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倉敷美観地区方面

倉敷美観地区方面

拡大すると

正面中央に横たわる丘は向山でそのすぐ左手前に見える丘が阿智神社の鎮座する鶴形山倉敷美観地区はこれらの丘に囲まれるように発展してきました。
手前の横に広がる緑地は酒津公園でその手前は高梁川の堤防です。

戦国末期、宇喜多秀家が早島から向山までと向山から酒津まで堤防を築き干拓を始めたのをきっかけに、広大な干拓地が築かれ、この干拓地での綿花やイグサの栽培やそれを利用した繊維、花莚産業の発展が倉敷発展の基礎となったということです。
私も向山から酒津までの堤防跡を調べていますがまだ確定的なものは見つかっていません。

色々の状況から私なりの推測をするとその堤防跡は、倉敷ユースホステル下の県道22号線付近から北に、アイビースクエア横の通り、本町通り、倉敷駅前のアーケード通り(倉敷えびす商店街倉敷えびす通り商店街倉敷センター街、JR倉敷駅すぐ東側の踏切付近を抜けて県道24号線を通り酒津に至る通りが一番近いのではないかと思っています。

ちなみに、早島から向山までの堤防跡(宇喜多堤)は、早島町東端にある宇喜多堤の碑を起点に向山東側まで築いたという記録から、県道152号線がその跡ではないかというのが通説となっているようです。

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