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和気広虫姫像ー和気神社ー

和気広虫姫像ー和気神社ー

和気広虫姫略伝

生い立ち
天平2年(720)に備前国藤野郡(現和気町)に生まれる。
孝謙上皇に仕え、勅を伝宣する女官を勤めた。上皇に従い剃髪し、法均と号した。

孤児救済
天平宝字8年(764)恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の逆徒の助命を嘆願して死刑を流罪に改め、乱後の孤児83名を養子として育てた。
これはわが国最初の孤児院の開設である。

道鏡事件
神護景雲3年(769)、道鏡事件により備後国(現広島県)に流されたが、光仁天皇の即位により許されて都に帰った。
その後も典蔵・典侍として宮中に仕え延暦18年(799)に没した。年79歳。

人柄
広虫姫は「人と為り貞順にして、節操欠くることなし」(日本書紀) 「未だ嘗て法均の、他の過を語るを聞かず」(同)と史書にあるように、慈悲深く、清純で心の広い人柄であった。 
また、「姉弟、財を同じくし」(同)と、家財も一緒にして分けなかったと伝えられる。

御神徳
このようなお人柄は、後世の人々の崇敬も厚く、子育て・縁結び・安産の神様として、また福祉の神様としても広く信仰されている。 (現地案内板)

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