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矢筈城跡

矢筈城跡

矢筈城跡は、標高756mの矢筈山に、天文元(1532)年から翌2(1533)にかけて、美作国と因幡国に勢力を有した国人領主の草刈衡継(ひらつぐ)によって築かれた東西1,600m、南北500mの壮大な規模を誇る県下最大の中世の山城です。
また、全国でも屈指の高地にある山城で、山頂に「本丸」を置き、その北方に続く尾根上に「土蔵郭(どぞうくるわ)」「馬場」を、西方に続く尾根上には「二の丸」「三の丸」「石垣段」「腰郭」「成典寺丸」等、数多くの曲輪(くるわ)を配した典型的な連郭式山城で、石垣や礎石をはじめ、土塁、石塁、堀切、狼煙場(のろしば)等の遺構がよく残っています。矢筈山の北西山麓に位置する大ヶ原には「内構」と呼ばれる、草刈氏の大規模な居館跡が、また城跡の北東にあたる山下には第二代城主景継の墓所があり、北から西に流れる加茂川は矢筈城の堀の役目を果たしていました。
第三代城主重継(しげつぐ)は毛利氏に属したため、矢筈城は宇喜多氏や織田方の秀吉等の軍勢から度々攻撃を受けましたが、そのつど撃退し「本能寺の変」の後、毛利輝元らの要請によって天正12(1584)年に重継が退城するまで、矢筈城は築城以来、一度も落城することのなかった難攻不落の堅城として知られています。(現地案内板)
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