幸島新田

幸島新田は、岡山藩主池田光政が計画、その子綱政が津田永忠に命じて、吉井川左岸にあった神崎新堀を水門湾まで延長し、その東西に開発された新田である。津田永忠は、延宝7(1679)年に完成した倉田新田に次いで貞享元(1684)年に幸島新田を完成している。

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幸島新田
幸島新田と乙子城跡
名称 幸島新田
所在地 岡山市東区
TEL
特色 神崎樋門改修の際、江戸時代の治水の歴史をものがたる神崎樋門石が、掘り出された。

東側の樋門石には貞享4(1687)年、西側の樋門石には享保20(1735)年の年号が
刻まれている。

交通 岡山ブルーライン西大寺ICより車で約10分
駐車場

神崎川分水樋門

神崎川分水樋門

津田永忠が幸島新田を干拓したと同時期に構築したとされる樋門(完成1683年)で、県下で構築当初の姿を留めている石造り樋門としては最古のものと推定されており、330年以上経過した石護岸も崩れることなく見事な当初の姿を留めている。

千町川大水門

千町川大水門

津田永忠が干拓で造った幸島新田の南端、千町川の河口部にある水門。現在の大水門の竣工は、昭和47年3月で建設当初の水門を見ることはできないが、東西の水門の間をつなぐ堤防上には旧家らしき建物や倉庫が並び独特の風景を展開している。

南水門

南水門・北水門

幸島新田東部の内、幸田川流域の水の排水は北水門、幸崎川流域の水の排水は南水門、そして大雨による大量の水を排水は、幸崎排水機場の水門から行われている。これら三水門は、水門湾と幸島新田を隔てる堤防に設けられている。

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乙子城時代の海岸線

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