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万富東大寺瓦窯跡

万富東大寺瓦窯跡ー大寺山地区ー

治承4年(1180)源平の戦いで焼失した東大寺大仏殿を、鎌倉時代初期、俊乗房重源を中心に再建した際、その瓦を焼いた窯跡の一つである。大寺山および上の山と呼ばれる丘陵の斜面に窯場跡が、平坦部には、礎石建物、暗渠排水施設、竪穴遺構などが発見されており、窯場に沿って、工房や乾燥所、作業場、管理所などが設けられていたと考えられる。

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万富東大寺瓦窯跡ー上の山地区ー
万富東大寺瓦窯跡石碑
万富東大寺瓦窯跡ー大寺山地区ー
名称 国指定史跡 万富東大寺瓦窯跡 昭和2年4月8日指定、平成16年9月30日追加指定
所在地 〒709-0841 岡山市東区瀬戸町万富
TEL
概要 万富東大寺瓦窯跡は、鎌倉時代初期の奈良東大寺再建のための瓦を焼いた釜跡で、学問上

極めて重要であることから国の史跡に指定されています。

治承4年(1180)、源平の戦いで焼失した東大寺は、朝廷や鎌倉幕府の支援のもと俊乗房重源
を中心に再建されました。

重源は、建久4(1193)年に備前国を東大寺再建の用途に充てるための造営料国として賜り
ました。

万富地域は、良質の粘土が豊富であり、吉井川の水運を利用して多くの資材や製品を運搬
するのに都合が良い地であったため、東大寺瓦製造窯が築かれたと考えられています。

万富では、約30~40万枚の東大寺瓦が製造されたといわれております。

軒瓦には、「東大寺大仏殿」の銘文があり、平瓦には、格子自文や縄目文の叩目文様を残し、
一部には「東大寺」と押印されたものもあります。

これらの瓦は、東大寺だけでなく岡山県内外の寺院などでも発見されており、東大寺と重源
に縁のある地で使用されていたことが推測されます。

これまでの調査で、窯は14基確認されており、構造は、炎のとおりを良くする分焔牀
(ロストル)を持つ平窯であることがわかっています。

ほかにも、礎石建物、暗渠排水施設、竪穴遺構などが発見され、この付近一帯が大規模な
瓦製造工場であったと思われます。

            平成16年3月 岡山市教育委員会(現地案内板)

阿保田神社 平重衡の兵火により焼失した東大寺大仏殿を再建するにあたり、大勧進職に
任ぜられた重源が、備前の国万富で瓦を調達することに決め、瓦を焼く工事の安全と
良質の瓦を得る加護を受けるために、東大寺の守護神「田向山八幡宮」をこの地に
勧請したのが阿保田神社の起源。
交通 JR山陽本線万富駅より徒歩約10分、

山陽自動車道山陽ICより車で約15分

駐車場

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瓦の複製ー実物の約3倍ー
万富東大寺瓦窯跡ー大寺山地区ー
万富東大寺瓦窯跡
阿保田神社
万富東大寺瓦窯跡案内図
万富東大寺瓦窯跡配置図

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