Categories: 岡山県の港

大多府港

大生汽船

元禄10年、参勤交代で江戸に向かっていた薩摩藩主島津公が暴風に会い大多府島に無事避難する事ができた。備前藩主池田綱政公に島を譲ってほしい旨申し入れたことをきっかけに、港が整備され現在まで続いてきた。港の中心となる防波堤は「元禄防波堤」と呼ばれ現在も当時の威容を誇っている。

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大多府港
大多府港
待合所
名称 大多府港
所在地 〒701-3203 備前市日生町大多府島
TEL 0869-72-1919 日生町観光協会
概要 大多府港までは、日生港から大生汽船が運航されている。

元禄10(1697)年9月、薩摩の国守、島津京信が参勤交代のため航海中、にわかに暴風にあい
この島に避難して無事であった。

島津侯は「この島を譲ってほしい」と備前藩主、池田綱政に申し入れた。

池田藩では、領地内にこのような避難港があることをはじめて知り、津田永忠に命じ
元禄11(1698)年に防波堤を築造して開港した。

今から約300年前である。

開港と同時に在番所、加子番所を置いて管理にあたり、幕府の用船、諸侯の船舶に給水したり
海難救助の仕事にあたり、燈籠堂を設けて航海の便に備えるなど港の施設を整備した。

元禄12年に2棟、同14年に4棟の長屋を建築して島への移住を奨励し宝永4(1707)年頃から
定住が始まった。

開港後120年たった文化14(1817)年には26軒の集落となっていた。

その後、天保年間には家数は33軒あり元治元(1864)年には人口444人にもなった。

交通 JR赤穂線日生駅より日生港まで徒歩約10分、日生港から大生汽船30分、大多府港下船、すぐ、

岡山ブルーライン備前IC日生港まで車約10分、日生港から大生汽船30分、大多府港下船、
すぐ、

駐車場 普通車50台(日生港)
URL 大生汽船

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