Categories: 碑(文学碑等)

正宗白鳥生家跡顕彰碑

正宗白鳥顕彰碑

備前市穂浪に生まれた、島崎藤村らと並び称される、自然主義作家正宗白鳥(1879~1962)の顕彰碑で白鳥の生家跡に建てられている。代表作は、「何処へ」。顕彰碑には、この地を題材に綴られた「入江のほとり」の一節が刻まれており、郷愁の思いを残している。

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名称 正宗白鳥生家跡顕彰碑
所在地 備前市穂浪
TEL 0869-64-1841 備前市役所生涯学習課
概要 本名は忠夫、父浦二、母美祢、明治12年3月3日旧和気郡伊里村穂浪のこの地で、
六男三女の長男として生誕、父親は小学校教師、村長、和気銀行取締役などを歴任、
弟たちに、国文学者の敦夫、洋画家の得三郎、植物学者の厳敬(まさむね)ら、著名な
人が多い。

白鳥は穂浪小学校、片上小学校高等科、閑谷学、東京専門学校(現早稲田大学)を卒業、
幼少の頃から文学に親しみ、内村鑑三らの著作に感動し、文学にますます傾倒、24歳で
読売新聞社に入社。

翌、明治37年処女作「寂寞」を発表、以来、自然主義作家として活躍、
その後、小説、戯曲、評論の各分野で文壇に光彩を放ち、昭和37年10月28日、満83歳で
この世を去った。

昭和15年帝国芸術院会員となり、昭和25年文化勲章受賞、昭和26年第1回文化功労者に選
ばれ、昭和32年菊池寛賞、昭和35年読売文学賞を受賞した。

白鳥の作品の主なものに、塵埃(1907)、何処へ(1908)、微光(1910)、
泥人形(1911) 、入江のほとり(1915)、 牛部屋の臭ひ(1916)、
毒婦のやうな女(1920)、生まざりしならば(1923)、人生の幸福(1924)、
安土の春(1926)、作家論(1941)、戦災者の悲しみ(1946)、
自然主義盛衰史(1948)、人間嫌ひ、日本脱出、内村鑑三(1949)、
文壇五十年(1954)、今年の秋(1959)などがある。 (現地案内板)

碑文 西風の凪いだ後の 入江は鏡のようで 漁船や肥舟は 眠りを促すような 艪の音を立てた

白鳥「入江のほとり」より

交通 JR赤穂線西片上駅より車約10、または伊里駅より車約5分、

山陽自動車道備前ICより車約10分

駐車場

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桃太郎

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