Categories: 史跡

金毘羅道

金毘羅道の道標

「こんぴらさん」に参詣する往来に建てられた「金毘羅道」の道標。岡山城下からは、野田付近で庭瀬往来と別れて南下し、下津井湊を通るルートの他、江戸時代中期以降は、児島の「瑜伽大権現」との両参りも盛んになり、岡山城下からは吉備津神社、高松稲荷へ参詣してから庭瀬、早島、天城を経るルートを選ぶ人々も多かった様子。

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名称 金毘羅道
所在地 〒701-0164 岡山市北区撫川
TEL 086-293-1111 岡山市吉備支所
概要 金毘羅往来は、香川県の金刀比羅宮に参詣する往来のことです。

同宮は近世までは金刀比羅大権現や「こんぴらさん」という名で親しまれ、船乗りや漁民だけでなく、
商工業者から農民に至るまで海上守護、災害除去の神として尊崇されてきました。

その信仰は、戦国時代末から全国的に広まりました。

岡山の金毘羅往来は、江戸時代に岡山藩により城下より放射状に整備された六路線の官道の一つで、
岡山城下の栄町(現岡山市北区表町三丁目付近)を起点とし、その西の瓦町(現岡山市北区中央町)
の瓦橋から大供交差点付近に進みます。

この区間は備中庭瀬への往来の出発点ともなっており、庭瀬口とも呼ばれていたといわれています。

大供交差点を越えて少し行った地点で南に折れ、九十度カーブをしながらJR瀬戸大橋線を越え、
岡山市北区野田で庭瀬往来と別れて南下し、下津井湊、さらに往来は下津井湊からは海路で丸亀港に
上陸し、丸亀街道を通って金刀比羅宮へと続きます。

一方、江戸中期ころから、倉敷市児島由加にある「瑜伽大権現」が次第に庶民の信仰を集めるように
なりました。

特に文化文政期には極盛期となり、金毘羅と瑜伽の両方を参拝する「対参り」「両参り」が盛んに
行われました。

そのため、下津井湊からの海路で丸亀に上陸するより、瑜伽に近い下村湊(現倉敷市児島下の町)
や田の口港から船で行くこともしばしば行われました。

江戸時代の金毘羅・瑜伽への参詣は、岡山から吉備津神社・高松稲荷へ参詣し庭瀬から早島へ
出て天城へ向かうルートを選ぶ人々も多かったようで、船宿などで発行された「金毘羅道中絵図」
には庭瀬の地名が記載されています。

当時の道標は、多くの旅人への案内を務めるため建立されたもので、その賑わいを伝えてくれる
貴重な記念碑です。出典「岡山県歴史の道調査報告書第六集」より(現地案内板)

交通 JR山陽本線庭瀬駅より徒歩約20分、

山陽自動車道倉敷ICより車で約30分

駐車場

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桃太郎

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