Categories: 史跡

吹屋銅山笹畝坑道

笹畝坑道ー吹屋銅山ー

吹屋銅山は大同2(807)年開坑されたと言われている。数ある坑道の内この笹畝鉱道は、江戸時代から大正時代まで採掘され、主として黄銅鉱、硫化鉄鉱を産出した。坑内の気温は15度℃前後と夏は涼しく、冬は暖かい別天地。

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笹畝坑道-2

笹畝坑道 内部

名称 吹屋銅山笹畝坑道
所在地 高梁市成羽町吹屋1987
TEL 0866-42-3216 高梁市成羽地域局産業建設課、

0866-29-2222 成羽町観光協会吹屋支部、

0866-29-2145 吹屋銅山笹畝坑道

概要 吹屋銅山は、大同2年(807年)に発見されたと伝えられ、古書に備中の産物に関する記載があるが、吹屋の銅山としての記録は、戦国時代尼子氏(あまこし)と毛利氏の争奪戦以来、江戸時代初期一時、成羽藩の支配下にあったが、大部分の間は、天領(てんりょう)幕府直轄地で代官の支配下で稼いでいた。

長い歴史の中で繁栄期は、次の三期であった。
時代、   元禄年間(1690) 享保~天保年間(1716~1842) 明治~昭和(1873~1930)
経営者   泉屋(住友)      福岡屋(大塚)        三菱(岩崎)継続年数
芸族年数   35年       2回で107年           57年

江戸時代の採掘は手掘りで、鉱区も小範囲であったが、坑内の排水が非常に困難であり水抜坑道を掘りぬいた時期が繁栄していた。

明治以降三菱金属(株)の経営となり、付近の小山を吸収合併し、自家発電所を設け、削岩機を使い精錬等の作業を機械化し、日本で初めて洋式溶鉱炉を造り、日本三大鉱山の一つとなった。

この鉱山は笹畝(ささうね)と称し、支山(しざん)であったが、後年は地下で本坑道(坂本)と連絡している。

ここでは、黄銅鉱、磁硫鉄鉱(硫化鉄鉱)が産出し、特に江戸時代にはこの地から馬の背に乗せて成羽町下原の総門まで運ばれ、高瀬舟により玉島まで行き、海路を利用し大坂の鋼役所へ運ばれていた。

地質 笹畝鉱山の地質は粘板岩及び石英玢岩(ひんがん)でこれが井ノ辻山を構成している。

井ノ辻山の北山麓が当鉱山で、粘板岩及び、粘板岩が変質した輝石岩「ホルンフェルス」が発達している。

鉱床の上盤は石英玢岩、下盤は輝石岩である。

樋石(ひせき)は輝石角閃石(かくせんせき)、石榴石(ざくろいし)、鉱石は黄銅鉱及び少量の磁硫鉄鉱(硫化鉄鉱)があり、鉱石は角閃石中に斑点状或は、鉱染状をなして含まれており含有量は3%程度である。

本鉱床は石英玢岩と粘板岩との接触鉱床に属して接触面に沿って掘下ったり堀すすんで多量の黄銅鉱を産出している。

料金 (個人)大人400円、小人200円、

(団体)20人以上、大人360円、小人180円、

開館時間 4月~11月ー9:00~17:00、12月~3月ー10:00~16:00
休館日 12月29日~31日、12月~3月ー定休日あり、
交通 JR伯備線備中高梁駅より車約40分、

または吹屋行バス55分終点下車徒歩約20分、

中国自動車道新見ICより車約40分、

岡山自動車道賀陽ICより車約50分

駐車場 普通車20台、バス3台

 

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桃太郎

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桃太郎

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