仏殿

高梁川が大きく迂回した所、秋葉山のふもとにあるこの臨済宗東福寺派の禅寺は、画聖雪舟が幼い頃この寺で修行してねずみの絵を描いたエピソードで有名。妻側に入口のある妻入りの庫裡と朱色優美な姿の三重塔が印象的。

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庫裡
少年雪舟像
三重塔
名称 岡山県指定史跡 井山宝福寺(いやまほうふくじ) 平成12年3月28日指定
所在地 総社市井尻野1968
TEL 0866-92-0024
宗派 臨済宗東福寺派
概要 天台宗の古刹であったものを、この近く、真壁郷出身の名僧鈍庵(どんあん)和尚が、
貞永元年にこの地に伽藍を建立し禅宗に改めたと伝えられている。

天正年間の備中兵乱で三重塔を残して消失するも江戸時代以降七堂伽藍は漸次復興された。

境内には山門、仏殿、朱色が印象的な三重塔をはじめ、経蔵、庫裏、方丈、書院、禅堂、
鐘楼堂、開山堂などが配置され、禅宗様式の重厚な構成を示している。

絵に心を奪われていて柱に縛られた雪舟が、泣いた涙でネズミの絵を足で描いたという
伝説で有名。

文化財 国指定重要文化財 三重塔 昭和2年4月25日指定 昭和45年6月17日追加指定、

岡山県指定重要文化財 宝福寺 梵鐘

交通 JR伯備線総社駅より車約5分または美袋方面行バス10分湛井下車徒歩約10分、

岡山自動車道岡山総社ICより車約15分

駐車場 普通車70台、バス3台
方丈
山門
開山堂
庫裡・鐘楼
雪舟像
庭園

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鐘楼
経蔵
雪舟碑
千尺井
地蔵尊
如意輪観音堂
仏殿
山門ー般若院ー
伽藍配置図

井山宝福寺の縁起

当山は、もと天台宗の古刹で、千有余年の古道場であり、創立の始祖を日輪大阿闍梨と申します。

後白河天皇の御代、貞永元(1232)年に、鈍庵和尚が新たに現在の地に伽藍を建てたものが宝福寺であります。
当時栄西禅師が臨済宗を支那から将来され、数年後九条道家のねがいによって、円爾弁円(聖一国師)が東福寺に出世され、禅風は天下に普及しました。
このとき鈍庵も上洛して弁円について修行し、ついに井山を禅林に改宗されました。
時の御帝四条天皇の御病気平癒の加持を命ぜられた鈍庵は、新たに壇を築き懇祷しましたら満願の暁に客星が壇前に落ちてきました。
その壇を礼星壇と名づけて、落星の地に井戸を掘り、千尺井とよんでおります。
加持の霊験によって、天皇はたちまちお元気になられ、御満足の意により、近郷の荘園三千石を賜り、寺を勅願寺とされ、特に護国の二字を加えて宝福護国寺とされ、国家鎮護を祈るよう、御宣示を戴きました。

山内で一番古い建物といわれる三重塔(国指定重要文化財)は、北条時頼公が巡国の際、当山に立ちより建立されたと伝えられております。

今からおよそ540年程前に、画聖雪舟が十二歳で当山に入門し修行の際、絵ばかり書いていてその業を怠り、住職がいましめのため本堂の柱にしばりつけたところ、落ちる涙で板敷にねずみの絵をかき、そのねずみが生きているように見えたので、住職はすっかり感心して、絵の修業をゆるしたということです。

たまたま天正3(1575)年の備中兵乱にあい、一山は丸焼けとなり、わずかに三重塔、般若院、満足庵が残っただけで、以後永らく無住となり、寺は荒廃の極みにいたりました。

寛永7(1630)年徳川氏から朱印百石を受領し、歴代の住職は寺の再建に百方奔走したため、旧例によって国家鎮護の官寺となり、暫次伽藍を再興して今日に至っており、臨済宗東福寺派の中本山で、七堂伽藍完備の巨刹であります。
総社市(現地案内板)

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桃太郎

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桃太郎

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