城東の町並と小路案内図

城東の町並と小路案内図

中央のやや北側を東西に東下りの道がとおり、出雲街道と13本の小路でつながれている。

この南北に延びる南下りの坂のある小路には、

西から西美濃屋小路(にしみすやしょうじ)、美須屋小路(みすやしょうじ)、国信小路、関貫小路(かんぬきしょうじ)、栴檀小路(せんだんしょうじ)、長柄小路(ながえしょうじ)、松木小路(まつのきしょうじ)、福田屋小路、藺田小路(いだしょうじ)、札場小路(ふだばしょうじ)、大隅小路(おおすみしょうじ)、東美濃屋小路(ひがしみのやしょうじ)、瓦屋小路(かわらやしょうじ)

と言った通りの名がつけられている。

城東の町並

城東地区は、城跡より宮川をはさんで東に位置し城下町の東の入口の町である。

中世には、林田郷と呼ばれ繁栄していたといわれる。その地域はおよそ丹後山南麓の全域と考えられる。

近世の城下町の形成にともない慶長・元和年間に橋本町・林田町・勝間田町が城下に入り、寛永・正保年間に橋本町・林田町・勝間田町が城下に入り、寛永・正保年間に中之町・西新町・東新町が編入され6ヶ町の町並が形成された。

この町並の中を出雲街道が鍵曲りで屈折しながら東西に走っている。

城東の町の商いは、近在を相手とした雑貨の小商いを中心としているが、東新町は鎌、鍬などの鍛冶の製造と商いが江戸期より今日まで連綿と続けられている。

明治になると中之町、西新町などに高瀬舟の舟持があらわれている。

また、西新町には日本の近代科学の基礎を築いた幕末の洋学者箕作阮甫の旧宅がある。

城東の6ヶ町の北の背後に上之町の武家地がある。

東西に細長く延びており下級武士や足軽・中間の居住地である。

中央のやや北側を東西に東下りの道がとおり、出雲街道と13本の小路でつながれている。

この南北に延びる南下りの坂のある小路には西から西美濃屋小路、美須屋小路、国信小路、関貫小路、栴檀小路、長柄小路、松木小路、福田屋小路、藺田小路、札場小路、大隅小路、東美濃屋小路、瓦屋小路と言った通りの名がつけられている。

この武家地は享保12年(1727)からは松平氏の石高が5万石となったため大半が明屋敷となった。

しかし、文政元年(1818)10万石に復帰したことにより家臣数は再び増加し、明屋敷も少なくなった。

武家地の北側の丹後山南麓には6ヶ寺が連なり東寺町とも呼ばれている。

また、城東の氏神でもある大隅神社があり、変化に富んだ地形を生かした独特の景観を形成している。

このように城東地区は、城下町の4つの要素である津山城跡と宮川をはさんで向かい合い、武家地・寺町・出雲街道沿いの町人地と城下町の総合的な構造が良く残っており、特に出雲街道の町並は平入りの低い軒並、格子戸、ナマコ壁、防火のための袖壁など往時の姿を良くとどめている。(現地案内板より)

 

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