まだかな橋跡
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江戸時代中期以降になると、下津井港は北前船の寄港地として賑わい、陽も沈み町の行燈に赤い燈火がともると、中波止の橋のたもとから船頭や船乗りたちに「まだ(遊郭にあがらん)かな」と声をかける婆がいた。いつともなく橋は「まだかな橋」と呼ばれるようになった。
この親柱はその橋の欄干に用いられていたもので、下津井港埋め立ての際、橋の跡地に残されたもの。(現地案内板を参考)
まだかな橋欄干の親柱
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