鷲羽山 大宝寺 奥の院 久須見 大師堂

鷲羽山大宝寺 奥の院

鷲羽山大宝寺 奥の院

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鷲羽山 大宝寺 奥の院 久須見 大師堂縁起

当地より北方約2kmの大畠集落の中に真言宗御室派総本山仁和寺末で、開基大宝年中(701年~704年)と伝えられる鷲羽山大宝寺というお寺があります。

今は昔、寛政11年(1798年)、時の住職法印瑞道和尚が久須見ヶ鼻の海涯で虚空蔵求聞持秘法を修法中、眼前に千歳を経たかと思われる大亀が浮上し、その海髪を蓄えた甲羅の上に弘法大師の尊像が乗っているのを見つけました。

これは秘法成満の瑞兆だと大いに喜んで側らに安置し一心に念じていましたが、大師の、「吾れ永くこの地に留まって瀬戸内の安寧を計り、渇仰の輩を利益せん」との教告を得て、天城御山奉行所を通じ、領主池田藩老中池田出羽守に借地を出願して、久須見ヶ鼻に堂舎を新造し、その尊像を泰安して霊場を闢きました。

以来賽者は遠方より詣で香煙は縷々として日々絶えることが有りません。

天保10年(1839年)柳田吉塔寺円明阿闍梨が発願して児島八十八ヶ所が開基され、別に奥の院として五ヶ所を定めたが、久須見はその霊場の一に列せられました。

明治8年(1875年)には、時の兼務住職一如法師が借地上の堂宇は存廃に憂いありとして、鷲羽山石ノ塔より大浜までの尾根より東側山林を私財を以て買い取り、大師堂永代維持の基材として寺庫に納めました。

昭和30年(1955年)には、往古天慶2年(939年)に京都高雄山神護寺泰安の不動明王が、東国鎮護のために下向して成田山新勝寺が開かれた古例に倣い、総本山仁和寺より秘仏不動明王尊像を特別に賜り、由来に因んで「成田山兄弟不動」地名を冠して、「鷲羽山不動明王」と称し、当山本尊として併せ泰安しています。

因みに堂宇の変遷を順記すれば、

天保年間桁二間、梁間一間半の本堂再建。

嘉永年間、方二間の堂を再建。

明治5年、方二間の堂を再建。

同6年、堂の南に方二間の通夜堂増築。

同9年、堂の北に二間建増し。

同21年、本堂再建(規模不詳)、

大正8年、桁三間半、梁二間の本堂再建。次いで堂の南に桁五間、梁三間半の通夜堂を新築。西に桁五間、梁二間半の礼拝場を覆築。

昭和30年、桁七間、梁三間の不動会館新築。

昭和59年、方五間半本堂新築等々である。(現地案内板より)

名称 鷲羽山 大宝寺 奥の院 久須見 大師堂
所在地 〒711-0924 岡山県倉敷市大畠1663
TEL
宗派 真言宗 御室派 (総本山仁和寺)
本尊 鷲羽山不動明王
特色 久須見 大師堂の周囲の巡らされている回廊からの瀬戸内海の眺めが素晴らしい。
交通 瀬戸自動車道児島ICより車で約10分
駐車場 有り

 

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