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かき養殖の父猪又俊雄先生顕彰碑

顕彰碑ーカキ養殖の父猪又俊雄先生

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かき養殖の父猪又俊雄先生をしのぶ
大平山からの瀬戸内の眺望は、名勝鷲羽山のそれに勝るとも劣らない。眼下に広がる虫明湾の内外に浮かぶ数千に及ぶかきの筏。
空と海とそこに住む人々の営みが光となり影となってとけ合い、人の心を打つ。

大正15年1月、虫明湾のほとりにある裳掛尋常高等小学校の教師として、ひとりの青年が遠く新潟県より赴任してきた。新潟県立能生水産学校を卒業した新進気鋭の猪又先生である。

先生の目に映ったものは貧しい漁村であったが、そこには、豊饒を秘めた海があり瞳を輝かせた子供たちと、虚飾のない純朴な村人たちがいた。
先生の教育に対する燃えるような情熱、慈雨のように注ぐ愛情、スポーツを愛し、自由闊達な人柄はたちまち児童生徒はもとよりすべての村人たちの敬慕の的となった。
殊に実業補習学校の専任となってから、先生はその本領を発揮された。

現状を打破し、漁業の近代化を図るため、「獲る漁業から育てる漁業」への転換を説かれ、かきやアサリの養殖、漁業池の建設など、当時の最新の技術を駆使して実践指導に当たられた。
生徒たちもよく先生に従い日夜研鑽を積んだ。村人たちも物心両面から支援した。何かが変わり、何かが生れる希望があった。そうしたやさき、昭和8年12月14日、志半ばにして先生は、三十才という若さで急逝された。

しかし、先生が残された不撓不屈の精神と「育てる漁業」への夢は、生徒たちによって大切に育てられ、世代を越えて裳掛の人々に受け継がれてきた。その結果が養殖かきの生産高全国第二位という今日の繁栄をもたらせたのである。

猪又先生が亡くなられて半世紀、私たちは改めて先生の遺徳をしのび、意志を承継することを誓い、ここに碑を建立する。

昭和63年4月10日

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桃太郎

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桃太郎

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