長島愛生園 監房跡

監房跡

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1931年(昭和6年)~1953年(昭和28年)、外壁:高さ3メートル、部屋:独房8室(監禁室板間4.5畳6室、謹慎室畳敷き4.5畳2室)
「癩予防ニ関スル件(1907(明治40)年法律第11号)」が一部改正され、1916年(大正5年)から療養所長に入所者への懲戒検束権が付与されていた。
監房は開園と同時に建設され、風紀を乱した者、逃走又は逃走しようとした者、秩序を害し又は害そうとした者を中心に収監した。
当時、逃走(無断外出)で収監された者が一番多く、愛生園における「在園患者懲戒検束調」によると1946年(昭和21年)から1950年(昭和25年)まで処分件数75件、処分された人数延べ158人、監禁日数は1,159日にものぼる。
収監された場合、一日2食に食事が制限され、治療も一切行われなかった。
また、1939年(昭和14年)まで精神病者も収監した。
1953年(昭和28年)、監房が廃止になるまで入所者にとって威圧的な建物であった。
現在は埋立てられ、西側の外壁しか見ることができない。(現地案内板)

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