長島愛生園 目白寮跡

目白寮跡

目白寮跡

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目白寮跡(明石 海人旧居)
ここにはかって明石海人が入居していた目白寮があった。
明石海人は1932年(昭和7年)、明石楽生病院の閉鎖に伴って愛生園へ入園、当初は精神失調の状態であったが、それが回復するや短歌に詩に散文に多彩で密度のある創作を始めた。
その後、改造社「新万葉集」への入選をへて1939年(昭和14年)、「白猫」を出版、当時25万部を売り上げた。
「深海に生きる魚族のやうに、自らが燃えなければ何処にも光は無い」と序文に記された言葉は当時の入所者に大きな希望を与えた。
彼の文化的功績は、当時不治の病であったハンセン病者の前に灯った一筋の光であった。

明石 海人
愛生園在園期間 1932年(昭和7年)~1939年(昭和14年)6月

監房に罵りわらふもの狂い
夜深く醒めてその聲を聴く(現地案内板)

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