国立療養所長島愛生園

国立療養所長島愛生園

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長島愛生園は、岡山県瀬戸内市沖の瀬戸内海に浮かぶ島長島(瀬戸内市虫明)に位置する国立ハンセン病療養所で、1930年(昭和5年)に日本初の国立らい療養所として発足したのが始まり。
当時、感染症であるハンセン病はその有効な治療法が無かった為、国の施策としてこのような島に設けられた療養所への隔離が行われた。
その後1945年(昭和20年)頃特効薬が出来て完全に治癒することが出来るようになり、1988年(昭和63年)には本土との間に橋が架かるなど大きな変革は有ったが、不幸な隔離政策は1996年(平成8年)の)「らい予防法」廃止まで続いた。

現在、岡山県瀬戸内市にある長島愛生園、邑久光明園と香川県高松市にある大島青松園の3療養所が世界遺産登録を目指して様々な活動を始めている。

長島愛生園 歴史館

長島愛生園 歴史館

長島愛生園歴史館には、ハンセン病の歴史や日本初の国立のハンセン病療養所として誕生した長島愛生園での出来事、入所者の営みを分かりやすく展示している。

長島愛生園 収容桟橋

長島愛生園 収容桟橋

長島愛生園に収容される人の多くは、故郷に別れを告げると一般の乗客とは区別された患者専用列車で岡山駅まで運ばれた後、虫明港までは護送車と呼ばれた車で移送、この内白間(うちしらま)から上陸した。

長島愛生園 収容所

長島愛生園 収容所

この建物ー収容所ーは長島愛生園に隔離された入所者が、体の検診、病歴調査、その他の入所手続きを受ける為に最初の約1週間を過ごす場所で、1930年(昭和5年)9月の建設。当初は収容所と呼ばれていたが昭和27年以降は回春寮と呼ばれた。

長島愛生園 監房跡

長島愛生園 監房跡

1931年~1953年、外壁:高さ3メートル、部屋:独房8室(監禁室板間4.5畳6室、謹慎室畳敷き4.5畳2室)監房は開園と同時に建設され、風紀を乱した者、逃走又は逃走しようとした者、秩序を害し又は害そうとした者を中心に収監した。

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目白寮跡

目白寮跡

ここにはかって明石海人が入居していた目白寮があった。明石海人は1932年明石楽生病院の閉鎖に伴って愛生園へ入園、当初は精神失調の状態であったが、それが回復するや短歌に詩に散文に多彩で密度のある創作を始めた。

儀霊碑

儀霊碑

この儀霊碑は、入所者の給食に供給された家畜の霊を慰めるために建てられたもので、碑には「皇紀二千六百五年」との記載があることから1945年(昭和20年)の建造と思われる。

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