長島愛生園 収容桟橋
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1931年(昭和6年)から昭和30年代半ばにかけて、長島愛生園に収容される人の多くは、故郷に別れを告げると一般の乗客とは区別された患者専用列車で岡山駅まで運ばれた後、虫明港までは護送車と呼ばれた車で移送、この内白間(うちしらま)から上陸した。 この収容桟橋は家族との別離の場所で、多くの入居者がこの場所で故郷を思って涙した。この桟橋は入所者専用で、職員等の利用する桟橋は別の桟橋だった。島内においても隔離は徹底されていた。(現地案内板を参考)
当時の様子(現地案内板より)
収容桟橋
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