Categories: 史跡

犬養木堂(毅)生家

犬養木堂生家

犬養毅(木堂)は、安政2年(1855)この地に生まれた。明治23年(1890)36歳で衆議院議員に初当選し、以後、憲政擁護運動の先頭に立った。昭和6年(1931)内閣総理大臣となったが、翌年の5月15日首相官邸において兇徒に襲われ(5.15事件)「話せばわかる」の言葉を最後に志なかばにして没した。

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犬養家は、代々庄屋や藩の要職を勤めた農家で、この生家は江戸時代中期の正徳年間に建てられたものと推定されており、この地方の近世民家の代表的なものとして価値が高く、国の重要文化財、岡山県の史跡(昭和52年4月8日指定)に指定されている。

老朽化がはなはだしかったため、昭和54年(1979)解体復元したものである。(現地案内板参考)

隣接して犬養木堂記念館が、また駐車場からここ生家に来る途中には犬養家の墓地がありその中には木堂の墓と共に顕彰碑が建てられている。

犬養木堂記念館

犬養木堂記念館

犬養木堂記念館は、「憲政の神様」と呼ばれ、第29代総理大臣となりながら、翌昭和7年(1932年)に五・一五事件で海軍の青年将校らの凶弾に倒れた政治家犬養毅(木堂)の人柄、功績を広く顕彰する為、木堂生家に隣接して建設、平成5年に開館した。

旧犬養家住宅

旧犬養家住宅

旧犬養家住宅の主屋は18世紀前半の建築で、構造は和小屋。昭和53年(1978年)に国指定重要文化財に指定後、解体修理を行い、正徳年間(1711~1716)四代目に建て替えられた姿に復元されている。また、武家屋敷に似て式台を設け、座敷には付書院も整備している。

犬養毅墓地入口

犬養毅(犬養木堂)の墓と顕彰碑

五・一五事件で凶弾に倒れた犬養毅(犬養木堂)の墓と顕彰碑が生家近くの先祖代々の墓地の中にある。毅の墓の左隣には政治家(法務大臣)であり小説家でもあった三男の犬養健(たける)の墓も並んで建てられている。

木堂塾

木堂塾

木堂塾ー犬養毅(木堂)は、明治元年(1868年)に父親を亡くした後、門脇の部屋で近所の子供たちに読み書きを教えていたというエピソードが残っていた。この木堂塾はこのエピソードを受けて昭和56年(1981年)に建設された。

ハナノキの花

ハナノキ

木堂がこよなく愛したといわれるハナノキはカエデの一種、長野・岐阜・愛知の県境地域と長野県大町市にのみ自生する雌雄異株の落葉高木でハナカエデともいわれ春には珍しい形の赤い花を咲かせ、秋には葉が鮮やかに紅葉または黄葉する。

犬養木堂生家・記念館駐車場

犬養木堂生家・記念館駐車場

犬養木堂生家・記念館の駐車場は、山陽新幹線に沿って走る県道242号線を倉敷方面に走行する道路沿いにある。犬養木堂生家・記念館は、駐車場より歩いて約3分程度で途中には犬養木堂の葬られている墓地もある。

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犬養木堂生家の表門

犬養木堂生家の裏門

犬養木堂生家の裏庭

犬養木堂生家の井戸

 

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