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備前国総社宮

備前国総社参道

かって国司はそれぞれの国で国内のすべての神社を一宮から順に参拝していた。平安時代になって、この参拝を効率化するため各国の国府近くに国内の神を合祀する為に設けられたのが総社。ここは、備前国府の北西に位置し備前国内にあった神社128社の祭神を集めたものと伝わっている。残念ながら、平成4(1992)年放火により、随神門を残して社殿を焼失、その後、平成22(2010)年に本殿が、平成27(2015)年に拝殿が再建されている。

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隋神門
本殿
名称 備前国総社宮(びぜんのくにそうじゃぐう)
所在地 〒703-8207 岡山市中区祇園598-1
TEL 086-275-7055
祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)、須世理姫命(すせりひめのみこと)、
神祇官八神(神祇官で祀る8柱の神々)、備前国内128社(「備前国神名帳」
に記載される神社)
概要 古代律令制下、平安時代ごろまでには、ほとんどの国に総社が設けられた。

総社とは、国司(国の長官)が逐一出向いて巡拝すべき各神社が、国内各所に
分散して不便であるため、各祭神を国府の近接の一か所に合祀することで、
参拝を略式化するために設けられたもので、国府直属の祭祀施設である。

備前国の総社は、備前国府(推定地)の北西丘陵に位置し、国司所祭の古社128の
祭神を集めたものと伝えられる。

成立の時期は定かでないが、およそ平安時代と推定される。

律令制度崩壊後は、氏神として地域の信仰を集め、中世の神仏習合期、岡山藩に
よる寛文の神社整理(1666~1667)を経て現在に至っている。

現在の境内地付近には、惣社の内一、同二、馬場といった字名が残っており、
かっては一町四方におよぶ広大な社地が広がっていたと考えられる。

焼失前の社殿は江戸中期のもので、幣殿の天井裏から室町時代前期の僧形社僧
(現安養寺)が三体発見された。

平成2年3月 岡山市教育委員会(現地案内板)

交通 JR岡山駅より車で約20分、または旭川荘行バス25分、終点下車徒歩約5分、

山陽自動車道岡山ICより車約30分、

山陽自動車道山陽ICより車約20分

駐車場

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