早島戸川家陣屋絵図(現地案内板)

早島は、江戸時代の初め寛永8年に達安の次男安尤が3,400石で封じられて以来13代、安宅の代まで、干拓によって開かれた豊かな土地といぐさ産業を背景に、旗本戸川家の陣屋町として発展してきた。この陣屋は元禄年間、2代安明の代に普請にとりかかり17年の歳月を費やして宝永6年に完成した。

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名称 早島町指定重要文化財 史跡 早島戸川家陣屋跡 昭和40年8月31日指定
所在地 都窪郡早島町早島
TEL 086-482-0615 早島町観光協会
概要 戸川家は家祖達安(たつやす)の父秀安ー友林(ゆうりん)と号すーの代から宇喜多家に仕え
備前児島の常山城を預かるなど、宇喜多家の重臣としてその役を担ってきた。

しかし、達安の代になって宇喜多家のお家騒動から達安は遠ざけられ、徳川家康に預けられた。

その縁で関ヶ原の合戦には東軍として参戦し数々の武勲を立て、その功によって29,200石を
与えられ、備中庭瀬に居城を構えた。

ここ早島は、江戸時代の初め寛永8(1631)年に達安の次男安尤(やすもと)が3,400石で封じ
られて以来13代、安宅(やすいえ)の代まで、干拓によって開かれた豊かな土地といぐさ産業を
背景に、旗本戸川家の陣屋町として発展してきた。

さてこの陣屋は元禄年間、2代安明の代に普請にとりかかり17年の歳月を費やして
宝永6(1709)年に完成した。

陣屋は敷地全体が堀と塀によって囲まれ、東西約65メートル、南北約120メートル、
約7,800平方メートル(約2,500坪)の広さを有し、その中には役人たちが仕事をする役所や
裁判を行う白州をはじめ、道場や年貢を納める米蔵などが置かれていた。

また、主だった家臣たちの住居も敷地内に定められ、陣屋の裏山には家祖の達安を祭る大明神
の社もあった。

しかし、この陣屋も明治の初めごろ取り壊され、現在ではここにある堀の一部と石橋、陣屋の
飲料水として使われた井戸などを残すのみとなったが、旗本領の陣屋の遺構として貴重な史跡
である。

早島町教育委員会、早島町文化財保護委員会(現地案内板)

交通 JR瀬戸大橋線早島駅より徒歩12分、

瀬戸中央自動車道早島ICより車で約5分

駐車場 普通車5台(早島児童館駐車場と兼用)

早島戸川家陣屋跡位置図(現地案内板)

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Tags: 早島町

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