鶴崎神社

鶴崎神社

当社は、正中年間(1324~1326)に早島・豊洲・帯江の氏神として八幡神社を祀ったのが始まりで、その後貞和6年(1350)に吉備津神社から吉備津彦命荒魂を勧請、現在の両社宮の形式とし御崎宮と称した。春、秋の大祭には吉備津神社の七十五膳据神事と同様に、御盛相を始めとする神饌を三十台の御膳等に盛ってお供えする特殊神事供膳祭が古式に則り行われる。

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名称 鶴崎神社
所在地 〒701-0304 都窪郡早島町早島2220
TEL 086-482-0097
御祭神 大吉備津彦命荒魂
由緒 御祭神の大吉備津彦命は、第七代孝霊天皇の皇子。第十代崇神天皇の御代人々は神祇を敬って
天下にようやく災害も無くなったが、遠国には未だ大和朝廷の命に従わないものが多くあった。

そこで天皇即位の十年、天皇は皇族の中から四人の将軍を選んで北陸(大彦命)・東海(武淳川別命)
・西道(吉備津彦命)・丹波(丹波道主命)に派遣して天下を鎮定する事となった。

命はその四道将軍の一人として西道(吉備国)に下られ、当時の有力な豪族であった
蟹梟帥(かにたける)―温羅一族―を征伐してこの国を平定された。(後の桃太郎伝説)

その後吉備国に永住し国の統治にあたり281歳の長寿を保ったとされる。

当社は、正中年間(1324~1326)に早島・豊洲・帯江の氏神として八幡神社(品陀和気命)を
祀ったのが始まりで、その後貞和6年(1350・南北朝)庚虎2月21日に吉備津神社から
吉備津彦命荒魂(丑寅御崎大明神)を勧請し、現在の両社宮の形式とし御崎宮と称した。

文禄2年(1593・安土桃山)宮崎城主高畠市正、安原備中守によって両社改築。慶長8年(1603・江戸)
安原和泉守が八幡神社を再建。享保4年(1719・江戸)両社再建。
同11年神祇管領から神階正一位を拝受する。

明治初年には社名を鶴崎神社と改称し、同4年社格制度により郷社に列せられる。
神職は太田家(東・中・西)が社家として交代で奉仕していたが、明治10年頃からは中太田家が
社司(宮司)となって祭祀に当たった。

明治40年神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)に指定される。

昭和10年随神門改築。昭和46年本殿屋根銅板葺替。平成10年社務所を移して改築。同21年本殿を
移設し、社殿を全面改築した。

現在は早島・倉敷(豊洲・帯江)の総鎮守として守られている。

春、秋の大祭には吉備津神社の七十五膳据神事と同様に、御盛相(米を蒸し円筒形の型枠にはめ
押し抜いたもの)を始めとする神饌を三十台の御膳等に盛ってお供えする特殊神事供膳祭(きょうぜんさい)が
古式に則り行われる。

祭りの神幸祭は享保元年(1716)から行われており、二基の神輿を中心に供人130人の行列や鬼も
加わり早島・豊洲・帯江の秋の風物詩として大きな賑わいを見せる。

特色 本殿二棟、入母屋造り(鶴崎神社)、享保4年(1719・江戸)再建。

流れ造り(八幡神社)享保4年(1719・江戸)再建。

社殿(祝詞殿、幣殿、拝殿、神饌所等平成21年再建)。

随神門一棟。御釜殿一棟。神輿庫一棟。

双殿造りと呼ばれ二つの社を一つの拝殿でつないでいる。

境内神社 鹿島神社(武甕槌命)、稲荷神社(倉稲魂神)、金刀比羅神社(金山彦神)、大己貴神社(大己貴神)、
素戔嗚神社(素戔嗚命)、御霊社(大東亜戦争の戦没者の英霊252柱)
行事 年始祭―1月2日、春季大祭宵祭―5月第3日曜の前日、春季大祭(供膳祭)―5月第3日曜、
夏祭(輪くぐり祭)―7月30日、秋季大祭(供膳祭)―10月第3日曜日の前日、
神幸祭―10月第3日曜日、新穀感謝祭―11月23日、月次祭―毎月1日
御神徳 長寿の守護神、産業の守護神、安産育児の守護神、学業の守護神
文化財 上野寛永寺絵馬―正徳6年(1716)一面(町重文)、早島十景扁額―明治23年 一面(町重文)、
東参道常夜灯―安政3年(1856)一対(町重文)
見学スポット 吉備津彦命 休息石
交通 瀬戸中央自動車道早島ICより車で約5分、

JR瀬戸大橋線早島駅より車で約5分

駐車場 有り
URL 鶴崎神社

現地案内板より

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