宇喜多堤起点之地碑

宇喜多堤起点之地碑

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戦国時代末期、戦国大名宇喜多秀家が児島湾干拓の端緒を開いた所。秀家はここ多聞ヶ鼻を起点として倉敷の向山の宮崎へ至る堤と、当時は高梁川の河口であった酒津から向山に至る堤を築くことを命じて早島と向山周辺に広大な大地を生み出し、以後400年にわたる児島湾干拓が始まった。

名称  宇喜多堤起点之地碑
所在地  〒701-0304 早島町早島13
TEL  086-482-0097
概要 宇喜多堤は、天正12年(1584)から13年頃、当時この辺りを支配した戦国大名宇喜多秀家の
命により児島湾の干拓に最初に築かれた、干拓の為の潮止め堤防です。

堤は、ここ多聞ヵ鼻(早島町塩津)を東の起点とし、宮崎を経て、向山の岩崎(倉敷市二日市)に至る、
約4.5kmの長大なものでした。

また、同じく酒津(倉敷市酒津)を起点に向山に至る堤も築かれ、この二つの堤によって早島から
倉敷北東部にかかる広大な大地が生み出され、そして以後400年にわたる児島湾干拓の歴史が
ここから始まるのでした。

この場所は古くは、「龍王山」と呼ばれる切り立った山で、現在平地に祭られている龍神社
(別名 祇園社)はこの龍王山の上に座し、雨乞いの神、苗を守る神として崇められました。

宇喜多堤はやがて金毘羅往来へと姿を変え、現在は県道倉敷妹尾線となっています。

ここにある記念碑は、平成21年に開催された「宇喜多堤築堤420周年記念事業」の開催を
記念して、宇喜多堤の起点を示す碑として建設されました。(現地案内板)

交通   JR備中早島駅より徒歩約6分、

瀬戸中央自動車道早島ICより車で約5分

駐車場  無し

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