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岡山市北区御津地区

岡山市御津地区

町の中央部を旭川が南下し、これに宇甘川、新庄川が合流している。この町の中心地、金川は南北を結ぶ水陸交通の要衝として発展し、室町から戦国時代にかけては、戦国最大の士豪松田氏が城を築いて、その城下町として、江戸時代になると岡山藩の家老日置(ひき)氏の陣屋町として栄えた。

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岡山市御津郷土歴史資料館

岡山市御津郷土歴史資料館

江戸時代に建てられた武藤家(西武藤邸)を再生して平成15(2003)年に開館。館内には、旧御津町から出土した考古遺物・民俗資料や御津町出身の書家、柏菅純美氏から寄贈された本人の作品・収集品を所蔵、順次展示している。

玉松城跡

玉松城跡ー臥龍山ー

玉松城は戦国時代初め文明12(1480)年頃松田元成が本拠を金川に移して以来、永禄11(1568)年宇喜多直家に攻められ落城するまで、5代約90年にわたって西備前随一の山城として栄えた。城跡には、供養塔や天守の井戸などがみられる。

かながわSAKAGURA

かながわSAKAGURA

江戸時代後期から明治初期にかけての地主、武藤家の跡である。武藤家は酒造業などで財を成した。現在は、かっての景観を守りながら、だれでもが気楽に利用できる文化センター兼レストランとして改装している。

名称 岡山市北区御津地区
所在地 〒709-2133 岡山市北区御津金川1020
TEL 0867-24-1114 岡山市役所御津支所
概要 岡山市御津支所のそばには戦国時代西備前の雄、松田氏の城、玉松城があった
臥竜山がそびえている。松田氏の先祖は相模国の松田郷より地頭として鎌倉幕府より派遣され、南北朝時代
から1483(文明15)年の「福岡の合戦」を経て永禄11(1568)年宇喜多直家に
滅ばされるまでこの地を治めてきた。また、松田氏は法華信仰を備前地方に広げたことでも良く知られている。

「かながわSAKAGURA」から西に200mほど行ったところには、日蓮宗
不受不施派の祖山妙覚寺がある。

江戸時代には、岡山藩の家老日置(ひき)氏の「陣屋」で1万6,000石の知行地であった。

「陣屋」は廃藩置県で取り壊され、現在は岡山市御津支所となっている。

宇甘川の河口、旭川と合流するあたりには、高瀬舟の船着場跡もあり高瀬舟の往来が
盛んであった頃をしのばせている。

また、岡山市御津支所と宇甘川の中間あたりの交差点には「かながわSAKAGURA」
という文化センター兼レストランがあるが、これは、江戸時代後期から明治初期にかけての
地主武藤家の跡である。

武藤家は酒造業などで財を成した。

今では、近くに岡山空港、県運転免許センター、御津工業団地、伊田工業団地等内陸工業
も誘致され新しい発展の基礎が築かれている。

交通 JR津山線金川駅より徒歩約10分、

山陽自動車道岡山ICより車で約20分

駐車場 有り

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難波抱節先生顕彰碑

難波抱節先生顕彰碑

幕末の日置家の侍医で、備前、備中、備後地方屈指の漢方医、産科、種痘の先駆者として知られていた。胎座新書、散花新書等の著書も多く、全身麻酔をして乳癌などの手術をしたと伝えられている。邸宅跡は現在、妙覚寺の所有となっている。

妙覚寺

妙覚寺

不受不施派は、徳川幕府の宗教政策に抵抗した為に、江戸時代にはキリスト教と共に激しい弾圧を受けた。しかし、禁制が解かれた後の明治9(1876)年、日正聖人が、法華宗を外護した松田氏の本拠地金川に祖山妙覚寺を再興した

拝殿

七曲神社

七曲神社は松田氏の氏神として、長禄元(1457)年ごろ神奈川県七曲山から金川に勧請されたと伝えられている。江戸時代にこの地を治めた日置氏も尊崇。三十六武仙図は、日置忠明が武運長久を願って、寛文13(1673)年に奉納した。

瀧善三郎義烈碑

瀧善三郎義烈碑

慶応4(1868)年、岡山藩家老日置帯刀率いる藩兵の隊列を外国兵が横切るのを藩士が制止しようとして外国兵に傷を負わせる事件が起きた。その責任者として時の先鋒隊長瀧善三郎は神戸永福寺で後の伊藤博文や外国代表の前で割腹自殺した。

旧河原邸

そば河原邸

江戸時代後期から明治時代にかけて建てられた旧大庄屋を、歴史再発見の場として、また学習、交流の場として整備。週末には、旧庄屋の座敷で美味しい蕎麦をゆったりと味わえるよう、売り切れごめんで「そば河原邸」の営業も行っている。

かながわ桜並木

かながわ桜並木

宇甘川河口に、ソメイヨシノ約100本が植えられ、さくら祭の期間中には、提灯やライトアップの点灯もなされ、夜桜を楽しむことができる。特に4月の第1日曜日には「金川さくら祭り」のステージイベントも開催され多くの人々で賑わう。

虎倉城跡

虎倉城跡

築城の時期は、定かではないが、一説によれば伊賀兵庫頭が応永のころ(1400年前後)築城。また、大永7(1528)年服部伊勢守築城という説もある。城主は伊賀勝隆ー久隆ー与三郎家久の名が知られている。

まつだ牧場ミルク工房

まつだ牧場

岡山空港から御津方面へ抜ける県道61号線の徳倉城跡付近を左に入ってしばらく進んだ所に、のどかな牧場が開けてくる。まつだ牧場と書かれた大きな石を左に見ながらすこし登るとおいしいジェラートの店が……。

徳倉城跡

徳倉城跡

本丸の石垣がよく保存されており県指定史跡に指定。戦国時代、金川城主松田氏の支城としての時代が続いた。城主宇垣一郎兵衛の時、宇喜多直家により謀殺。宇喜多氏の家臣である遠藤河内が城主となるも、関ヶ原合戦後、廃城となった。

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