難波抱節先生顕彰碑
難波抱節は、幕末の、日置家の侍医で、備前、備中、備後地方屈指の漢方医、産科、種痘の先駆者として知られていた。胎座新書(産科)、散花新書(種痘)等の著書も多く、全身麻酔をして乳癌などの手術をしたと伝えられている。邸宅跡は現在、妙覚寺の所有となっているが、今日なお当時の遺稿を伝えている。(現地案内板を参考)
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名称 | 難波抱節先生顕彰碑 |
所在地 | 〒709-2133 岡山市北区御津金川 |
TEL | ー |
歴史 | 年譜
1791年(寛政 3年) 岡山の篠野家に生まれる。のち難波家を継ぐ。 1811年(文化 8年) 京都で内科産科 華岡青洲の塾で外科を学ぶ。 1815年(文化12年) 金川へ帰り、思誠堂塾を開く。(妙覚寺) 1828年(文政11年) 愛児ハマ3歳 天然痘で死亡。 1850年(嘉永 3年) 緒方洪庵に牛種痘法を学び 金川で実施。 1859年(安政 6年) 前年よりコレラ大流行 死者40万という。 診療に奔走、遂に感染して卒す。享年69歳 見谷に葬る。 法名 清風軒勁節虚心居士。(現地案内板) |
交通 | JR津山線金川駅より徒歩約10分、
山陽自動車道岡山ICより車で約15分 |
駐車場 | 有り |
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