虎倉城跡

虎倉城跡

虎倉城跡

築城の時期は、定かではないが、虎倉物語(虎倉村又兵衛)によれば、伊賀伊賀守が、赤坂郡鍋谷の城から移ったとあるが、それは備前軍記等から文明12(1480)年ごろと推定される。一説によれば伊賀兵庫頭が応永のころ(1400年前後)築城。また、大永7(1528)年服部伊勢守築城という説もある。城主は伊賀勝隆ー久隆ー与三郎家久の名が知られている。(現地案内板)ー上の写真は県道 高梁ー御津線(県道31号線)の虎倉トンネルを高梁側に抜けた所より見た虎倉城跡ー

Google Mapー虎倉城跡・徳倉城跡案内地図ー

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名称  岡山市指定重要文化財 虎倉城跡
所在地  〒709-2137 岡山市北区御津虎倉
TEL  ー
概要 虎倉城跡は城山山頂(標高327m)に築かれていた中世の山城跡です。

15世紀後半に金川城(玉松城)の出城として服部伊勢守が築いた
といわれていますが、詳しいことは分かりません。

16世紀前半に伊賀氏の居城となり、以後三代にわたり城主と
なりました。

16世紀後半の伊賀久隆の頃が全盛で、宇喜多氏の有力武将として、
備前国北西部から備中国東部を支配しました。

やがて宇喜多氏と対立し、子の与三郎は虎倉城から出ました。

その後、長船越中守の居城となりましたが、1588(天正16)年、
一族の争いで城は焼けてしまいました。

虎倉城跡のある城山は急な山で天然の備えとなっています。

また、主要交通路の金川と高梁を結ぶ道、現在の県道高梁・御津線
を見下ろすことができる重要な所です。

虎倉城は連郭式山城で、慰霊碑のある郭から東へ200mの山頂に
本丸があります。

本丸から東に二の丸、出丸が、西に三の丸があります。

郭の先には堀切が設けられています。本丸は石垣で築かれ、
35x25mの広さがあります。瓦片も見つかっています。

虎倉城は重要部に瓦ぶきの建物が建ち、土塀が巡るしっかりした城
であったのでしよう。

しかし、この城は戦いの時に備えた城で、ふだんは山麓の根小屋で
生活していたようです。

御津町文化財保護委員会 御津町(現岡山市)教育委員会(現地案内板より)

交通  JR津山線金川駅より車で約15分、徒歩約80分、

山陽自動車道岡山ICより車で約30分、徒歩約80分

駐車場  ー

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本丸の東下は竹薮となっており、二の丸・東の出丸方面へは通ることができない。
なんとか行きたかったので探していたところ、本丸から東に向かって右下に、わずかに通路と思われるところがあったのでそこを通って行った。

二の丸へは右上の道を100mほど歩いたところに大きな岩があるのでそのすぐ東の斜面を上にあがると到着する。
二の丸から東の出丸まではさらに100mほど歩く。

虎倉城跡は見る方向によって見え方が大きく異なる。南東側から見えるのは出丸跡であり本丸ではない。

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