Categories: 城跡

岡山城 本丸 中の段(表書院)

岡山城 中の段(表書院)ー不明門前よりー

岡山城 本丸 中の段は上の段(本段)の西側に、上の段より一段低いところに築かれ岡山藩の政治の場であると共に藩主の公邸である表書院(表向御殿)が多くを占めている。宇喜多時代に一部が築かれ、小早川時代に南部分、池田時代に北部分と藩主交替の度に拡張され現在の中の段になっている。

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中の段は、戦国時代の石垣を残す本段とは違い、直角に曲がった石垣上の各隅に櫓を設ける関ヶ原合戦後に築かれた城に見られる造りとなっているのが特色。

中の段にあった主要建物

表書院(表向御殿)ー発掘調査で出土した建物の礎石や雨落ち溝などの遺構は地下に保存し、地上には建物の配置や間取りを表示している。

月見櫓ー本丸では唯一つの現存建物で国指定重要文化財。

鉄門大納戸櫓伊部櫓数寄方櫓小納戸櫓多門櫓(南)多門櫓(北)

岡山城 中の段(表書院)パノラマー不明門前よりー

表書院 泉水・城主公務御殿付近

表書院

岡山城 本丸 中の段にあった表書院は、岡山藩の政治が行われた建物で、数棟からなり、大小60を越える部屋があった。登城してきた家臣らは玄関から入り、広い廊下を通って奥へ進み、それぞれ所定の部屋に詰めていた。藩主は、住居である本段の御殿から渡り廊下を通って北西の招雲閣に入り、南座敷で政務を執っていた。

岡山城 月見櫓

岡山城 月見櫓

岡山城 月見櫓は、岡山城本丸跡に現存する唯一の櫓で、池田忠雄ー元和元(1615)年~寛永9(1632)ーによって建てられた。城の裏口を守る目的の建物であったが、平時にも月見を始めとした四季の眺望と小宴を催すのに格好の構造となっている。岡山城内にあった櫓の中で最も新しく優美であったと言われている。

岡山城 鉄門跡

鉄門跡

岡山城 鉄門は、下の段の南面から表書院(中の段)正面へ通じる切妻造りの櫓門。1階部分が木部の全体を鉄板でおおった堅固でいかめしい造の門であったことからこの名が付いたといわれている。

岡山城 大納戸櫓跡

大納戸櫓跡

大納戸櫓は、本丸の大手を守る要となる三重四階建ての城内最大の櫓で、一階の平面は長辺(南北)20m、短辺10mで、壁には黒い下見板が張られており、藩政のための書類や道具類が保管されていた。

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伊部櫓跡

伊部櫓跡

伊部櫓は、白壁造りの三階建ての櫓で、平面は正方形だった。石塁に寄せ掛けて建っていたため、城外からは二階建てに見えた。備前焼の生産で栄えていた伊部村(現 備前市伊部)によって建造された櫓ではないかともいわれている。

数寄方櫓跡

数寄方櫓跡

ここに建てられていた数寄屋櫓は、白壁造りの三階建ての櫓だが、伊部櫓と同じように石塁に寄せ掛けて建っていたため、域外からは二階建てに見えた。近くには表書院の数寄屋跡(茶室)があることからこの数寄屋で使う茶道具類が保管されていたのではないかと思われる。

小納戸櫓跡

小納戸櫓跡

小納戸櫓は、本丸の搦め手にある廊下門に迫る敵を迎え撃つために設けた櫓。白壁造り二階建て、平面は正方形で、一階の壁には格子窓と石落としが設けられていた。この櫓の西と南にはそれぞれ平屋の多門櫓が続いていた。

廊下門の表書院側出入口

廊下門の表書院側出入口

岡山城の廊下門は、藩主の私邸(御殿)がある本段(上の段)と公邸がある書院(中の段)を結ぶ城主の通路として造られていたが、この写真は書院のあった中の段側の出入口を写したものである。

多門櫓跡

多門櫓跡ー南側ー

石畳の上に建てられた長屋を多門櫓という。大納戸櫓と伊部櫓の間には長さ37m、幅4mの平屋の多門櫓が建っていた。壁には下見板が張られ、格子窓や石落としが設けられていた。

多門櫓跡ー中の段 北側ー

多門櫓跡ー中の段 北側ー

この多門櫓跡(北)は、伊部櫓と数寄方櫓の間に建てられた長さ30m、幅5mの二階建ての長屋で、石塁の上は平屋となっていた。白漆喰の壁には格子窓が5ヶ所、石落としが2ヶ所設けられていた。

宇喜多秀家築城当時の石垣

宇喜多秀家築城当時の石垣ー中の段北東部

この石垣は、宇喜多秀家が岡山城を築城した時の石垣で、その後江戸時代の初めに中の段を北(手前)に向かって広げた時に埋め込まれていたのが、平成5年度の発掘調査で見つかった。自然の石をほとんど加工しないまま用いている。石垣の角が70度と鋭角に尖っているのが特徴で全国的にも珍しい。

宇喜多秀家築城当時の石垣ー中の段西面ー

宇喜多秀家築城当時の石垣ー中の段西面ー

この石垣は、宇喜多秀家築城当時の石垣で当時の中の段西面となっていたものと思われる。石垣の本来の高さは10mほどあり、下の段から積まれている。頂部は崩れているが上方の高さ約3m分を露出展示している。石は主に花崗岩で、加工を施さない自然石を横向きに積んでいる。

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岡山城 中の段 井戸跡

中の段 井戸跡

岡山城 中の段にある井戸跡。表書院の台所や泉水の水源は、地中に竹の管を埋めてこの井戸からサイフォンの原理で給水していたとのこと。

岡山城 表書院 泉水

表書院 泉水

岡山城 表書院の中庭にあった泉水を復元したもので、発掘調査で出土した遺構は地下に保存されている。水が漏らないように底に漆喰を貼り、北東の井戸から備前焼の土管で給水する仕組みで、中の島に湧水口を設けていた。

穴蔵

穴蔵

岡山城 本丸 中の段 月見櫓横にある、この穴蔵穴蔵は、香川県豊島産の凝灰岩(豊島石)の切石で造られており幅3.8m、奥行2.0m、深さ2.3mある。もとは屋根があり、非常用の食料を保存していたのではないかと考えられている。

台所にあった流し

台所にあった流し

この凝灰岩を刳り抜いて作った流しは、岡山城 本丸 中の段 藩主の公務の場である表書院の台所にあったもの。明治維新で表書院が壊されたときにここに放置されたらしい。

大納戸櫓台の石垣

大納戸櫓台の石垣

この大納戸櫓台の石垣は、関ヶ原合戦後に、小早川秀秋が築き、池田利隆が大幅に改修したとみられる石垣である。加工をあまり施さない自然石を用いているが、上部ほど傾斜が強くなる特徴を持っている。上には建っていた大納戸櫓は、南北長20メートル、三階建ての雄大な建築であった。

中の段南西の石垣

中の段南西の石垣

この中の段南西の石垣は、関ヶ原合戦後に小早川秀秋が築き、続く池田忠継の時に改修された石垣で、左隅は1620年代に池田忠継が築いた割石積みの石垣が被さっている。あまり加工を施さない石材を緩い角度で積むのが特徴で、高さは11mある。

数寄方櫓台の石垣

数寄方櫓台の石垣

数寄方櫓台の石垣は、切り出した石材だけを用いて築いた打込接で隅部は大きさの揃った長い石を互い違いに積み上げた算木積みである。勾配も急な新式石垣。ー算木積みは、慶長8年(1603年)に確立された積み方であるー

月見櫓下の石垣

月見櫓下の石垣

この月見櫓下の石垣は、池田忠勝が1620年代に築いた石垣で、上には月見櫓が建っている。隅部は表面を特に平らに整えた方形の割石を配し、その長辺を交互に振り分けた算木組みとなっている。石材は白色度の強い花崗岩で、瀬戸内海に浮かぶ犬島で切り出されたものとみられる。

月見櫓脇石狭間

月見櫓脇石狭間

この月見櫓脇石狭間は、池田忠勝が1620年代に築いた石垣の最上部に、土塀の基礎を兼ねた形で適切な間隔で鉄砲狭間を穿った長い石を横一列に並べて作っている。

月見櫓の石落し

月見櫓の石落し

岡山城 月見櫓の一階には、北側と西側の西面に石落し(俯射装置)付きの唐破風造りの出格子窓を設けて城外側への臨戦の備えをなしている。

小納戸櫓下の石垣

小納戸櫓下の石垣

この小納戸櫓下の石垣は、池田忠雄が1620年代に築いた石垣で、搦手の廊下門を守る小納戸櫓が上に建っていた。一帯の石垣の石材は犬島から運ばれたとみられる割石で「○の中に十の字」や「L」字形などの刻印を持つものがある。

 

岡山城 本丸 中の段の史跡整備図

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