宇喜多秀家築城当時の石垣ー中の段西面ー
この石垣は、宇喜多秀家築城当時の石垣で当時の中の段西面となっていたものと思われる。石垣の本来の高さは10mほどあり、下の段から積まれている。頂部は崩れているが上方の高さ約3m分を露出展示している。石は主に花崗岩で、加工を施さない自然石を横向きに積んでいる。
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石垣の傾斜は58度で、城の石垣としてはずいぶんと緩やかです。また、上方ほど傾斜が急となる「反り」の技法をとらず直線に立ち上がり、古い時期の特徴を持っている。
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今回の発掘調査で掘り出された、宇喜多秀家築城当時の石垣は、上の図からも分かる通り、北へはここから25mほど真っ直ぐ延び、そこで103度の角度で北東に折れ、中の段北東で、こことは別に露出展示している石垣に繋がっている。
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岡山城 本丸 中の段の平成8年度発掘調査で、西面の石垣を埋め込んだ造成土から、金箔をおした桐の文様の瓦が出土した。桐は宇喜多秀家が豊臣秀吉が家紋として与えられたもので、宇喜多秀家期の中の段には、こうした瓦を葺いた華麗な建物があったことがわかる。
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