Categories: 史跡

吉備の中山と古墳

吉備の中山と古墳

吉備の国は大和の国や出雲の国と並ぶ勢力を持ち、その中心が吉備の中山といわれてきた。この山には、最古級の前方後円墳とされている大和の箸墓古墳よりもさらに古い前方後円墳との説もある矢藤治山古墳をはじめ、吉備津彦命の墓ではないかとされている中山茶臼山古墳など多くの古墳が造られている。

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中山茶臼山古墳

中山茶臼山古墳

古代吉備の国の時代、人々から崇められてきた「吉備の中山」の山頂付近にある全長120m程の中山茶臼山古墳は、4世紀初頭の築造で四道将軍として大和から派遣され吉備の国を治めた大吉備津彦命の墓と呼ばれる前方後円墳。

尾上車山古墳

尾上車山古墳

尾上車山古墳ー全長138.5m、後円部径96m、同高約11m、前方部幅52m、同高9mを測る前方後円墳で、ギリギリ山古墳とも呼ばれている。吉備中山南東部、標高約五十メートルの尾根部先端に位置する。

石舟古墳

石舟古墳

中山茶臼山古墳の北東部、吉備の中山の中腹にあり、岡山に伝わる桃太郎伝説で、桃太郎ー吉備津彦命ーに退治された鬼(温羅)の墓ともいわれている古墳。古墳時代末期(7世紀初め)の横穴式石室中には播磨国の竜山石を繰り抜いた石棺がありる。

石舟古墳群

石舟古墳群

石舟古墳群は、石舟古墳のある所から300mほど北側に登ったところにある4基の横穴式石室古墳。7世紀初め頃に造られたと推測されるもので、吉備尾中山を守る会のメンバーが平成16年春の清掃作業時に発見した。

鼻ぐり塚となった円墳

鼻ぐり塚となった円墳

牛の鼻輪(鼻ぐり)を集めて浄祭し、円墳の上に積み上げたため鼻ぐり塚と呼ばれている。薬師寺慎一著「吉備の中山と古代吉備」(吉備人出版)には、この古墳は近くにある不動岩と密接な関係があるのではないかと書かれている。塚の前には馬頭観音の他牛と豚の像も置かれている。

矢藤治山古墳

矢藤治山古墳

矢藤治山古墳は、吉備中山の南面する尾根上に築かれた前方後円墳で、前方部が撥形を呈しているのが特徴。終末期の特殊器台と特殊壺が数多く発見されたこと、棺内・外から発見された副葬品、それに撥形の前方部という特徴から弥生時代終末期~古墳時代初頭頃の築造と推定され、全国でも最古型式の前方後円墳であり吉備における最も重要な遺跡の一つと考えられている。

藤原成親供養塔下古墳

藤原成親供養塔下古墳

藤原成親供養塔下古墳は、吉備津彦神社から吉備の中山に上る登山口付近にある古墳で、6世紀頃の古墳時代後期に造られた横穴式石室と考えられている。その名の通り、古墳の上には、藤原成親供養塔が安置されている。

 

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