吉備の中山
吉備津神社や吉備津彦神社の背後には、古くから吉備の中心に位置し、人々から崇められていた吉備の中山がある。歴史や自然に興味の或る方は、健康作りも兼ねて吉備の中山を散策することをお勧め。数多くの桃太郎伝説が残る吉備の歴史や自然をより深く理解するよい機会となるでしょう。
散策には、10月~5月の間が最適。冬は、寒いと思い敬遠しがちですが、少し歩けば、すぐに暖かくなるし、結構晴れの日も多い。寒風が吹いていても山の木立の中は、結構暖かい。
Google Mapー吉備の中山及び周辺の史跡地図
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磐座は、石位・石坐・石座・岩倉・磐倉・石蔵・岩蔵などとも書かれ、またその定義についても専門家の中では様々な説がある。薬師寺慎一氏はその著書「祭祀から見た古代吉備」(吉備人出版)で、磐座(イワクラ)とは神の依代(ヨリシロ)即ち、祭りなどの際に神様が一時的に宿るあるいはお座りになる岩と述べている。
吉備の中山は、吉備の国の中心にあり神聖な山として古代から崇められてきた。そしてそこにある巨岩を神の依代(よりしろ)即ち磐座として吉備の中山を崇拝する祭祀を行ってきたが、仏教が伝来してくると寺院建築の影響でこの祭祀の場に社殿が設けられるようになったようである。
名称 | 吉備の中山 |
所在地 | 岡山市北区吉備津・一宮・尾上・花尻・東花尻・西花尻・川入 |
TEL | ー |
概要 | 吉備の中山は、遠い昔この地方が吉備の国と呼ばれていた頃、その中心に位置していたことからその名がついたと言われている。
温暖な気候と肥沃な土地、それに豊かな自然に恵まれた吉備の国は、大和の国にも対抗し得る力をもったと考えられ、それがために後に、備前・備中・備後さらには美作に分国されることになる。 この時、備前と備中は、太古より神奈備山(かむなびやま)として崇めていた「吉備の中山」を二つに分ける形で国境を定めた。 そして備前も備中も、その国にとって最も大切な神社の一宮を中山の麓に置いた。 国府から遠く離れたこの地に一宮があるということは、吉備の中山に対する崇拝が如何に高かったかを如実に物語っていると言える。(現地案内板) |
主な見所 | 吉備津神社、吉備津彦神社、藤原成親遺跡、細谷川、鼻ぐり塚、天柱岩、八大龍王、鏡岩、石舟古墳、元宮磐座、八畳岩磐座、穴観音、中山茶臼山古墳、妹尾太郎兼康公墓、栄西禅師生誕地、真金一里塚 |
交通 | JR桃太郎線(吉備線)一宮駅・吉備津駅、JR山陽本線庭瀬駅、
山陽自動車道岡山ICまたは岡山自動車道岡山総社ICより車約20分 |
駐車場 | 吉備津神社駐車場、吉備津彦神社駐車場 |
吉備の国は大和の国や出雲の国と並ぶ勢力を持ち、その中心が吉備の中山といわれてきた。この山には、最古級の前方後円墳とされている大和の箸墓古墳よりもさらに古い前方後円墳との説もある矢藤治山古墳をはじめ、吉備津彦命の墓ではないかとされている中山茶臼山古墳など多くの古墳が造られている。
古代吉備の国は、あまりにもその勢力が強かったため、大和政権により備前国、備中国、備後国に分けられ、その後備前国はさらに備前国と美作国に分けられた旨伝わっている。ここでは、吉備の中山とその周辺にある備前国・備中国国境を示している場所を取り上げる。
山桜の大木(保存樹)ー岡山市が都市緑化向上のため保存している。指定番号第66号 第67号の2本 中山茶臼山古墳より遊歩道を八徳寺遺跡方面へ歩いていく途中にある。
平成15年に吉備の中山を守る会のメンバーが、この大きな山桜を発見し、通称名を「吉備桜」と名付けることにしましたが、本当の和名はヤマザクラ(バラ科)
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