吉備の中山と神社・仏閣(寺院)

吉備の中山と神社・仏閣

吉備の中山は、吉備の国の中心にあり神聖な山として古代から崇められてきた。そしてそこにある巨岩を神の依代(よりしろ)即ち磐座として吉備の中山を崇拝する祭祀を行ってきたが、仏教が伝来してくると寺院建築の影響でこの祭祀の場に社殿が設けられるようになったようである。(薬師寺慎一著 祭祀から見た古代吉備 吉備人出版を参考)

ここでは吉備の中山とその山麓に鎮座する神社と仏閣を取り上げてみた。

吉備津神社 本殿

吉備津神社

吉備の中山の麓に建つ吉備津神社は、崇神天皇の御代に四道将軍として吉備国に派遣された吉備津彦命ー桃太郎の温羅(鬼)退治(=桃太郎伝説)の主人公ーを祭神とし古くから吉備地方の総氏神として崇敬されている。境内では春にはぼたん、初夏にはあじさいが咲き誇り多くの人々が訪れる。本殿と拝殿は国宝。

本殿ー吉備津彦神社ー

吉備津彦神社

岡山市中心部より国道180号線を西進すると古代「吉備の国」で神体山として崇められた「吉備の中山」の北東麓にさしかかる。ここに鎮座し備前の一宮として信仰を集める神社には吉備国草創の伝説上の英雄吉備津彦命が祀られている。現在の本殿は1697年(元禄10年)、岡山藩主池田綱政による再建。

真如院

真如院

当真如院は、東林山明仙童寺真如院と称し、明仙童寺という数院を擁する天台宗の寺院の塔頭であった。明仙童寺は、吉備津五摂社の第一にあげられる新宮社の別当寺で、文献などから、室町初期に最も隆盛であったと推定され、吉備津宮の社僧寺の中でも有力な寺院であったと思われる。

徳寿寺

徳寿寺

徳寿寺は十一面観世音菩薩を本尊とする天台宗の寺院。かっては備前吉備津宮(現在の吉備津彦神社)の社寺の一つで、池田光正が強行した寺社整理ー寛文6年(1666年)ーの対象からはずれた備前一宮では唯一の寺院。

新宮社跡

新宮社跡

吉備武彦命を祀っていた神社で平安時代の歌謡集「梁塵秘抄」に出てくる神社。明治時代の末までこの地に鎮座していたが現在は吉備津神社の摂社である本宮社に合祀されている。

有木神社

有木神社

有木神社はかって吉備の中山の有木山山麓に祀られていた神社。現在は鼻ぐり塚で知られた福田海の敷地内に小さな祠が残るのみとなっている。しかし、有木神社についてよく調べてみると非常に興味深い事が分かってきた。

福田海本部

福田海本部

福田海は、聖徳太子、役行者、僧行基の法統に立つ中山通幽(なかやまつうゆう)師が、明治33年に開創、比叡山より頂いた「不滅の燈明」をかかげた陰徳積善をモットーとする宗教団体。

庚申山 帝釈天

庚申山 帝釈天

ここに祀られている庚申山 帝釈天は、宝暦年間(1751年~1764年)正法寺8世 観達院日道上人の代に、ここ庚申山の山頂近くに帝釈天堂を建立、それまで正法寺に祀られていた藤原成親信仰の帝釈庚申天を移転したのが始まり。

浄泉山 正法寺

浄泉山 正法寺

正法寺は、江戸時代元和年間(1615年~1624年)に、吉備の中山、庚申山の麓にあった藤原成親ゆかりの三つの庵室(坊)、正林坊、法住坊、月心坊を、成親の菩提供養と成親が信仰していた帝釈庚申天祭祀のため合体建立、正林坊と法住坊の頭文字を取って正法寺と名付けられたのが始まり。

天神社

天神社ー西花尻ー

この天神社は、鎌倉時代の創建といわれており、菅原道真公をご祭神としてお祀りしている。正法寺の北西、帝釈天への参道の途中に鎮座している。

川入八幡神社

川入八幡神社

吉備の中山の最南端に鎮座している川入八幡神社は、備中守藤原宗弘が平安時代の貞観2年(860年)に宇佐八幡宮を勧請・創建した神社で、歴代の庭瀬藩主(戸川家・板倉家)が篤く崇敬してきた。

尾上八幡宮

尾上八幡宮

尾上八幡宮は、吉備の中山の東側に突き出した台地上に鎮座しており、南東方面の眺望に優れている。創建は永保元年(1081)で、祭神は応神天皇、神功皇后、中山主命。

天神社

天神社ー東花尻ー

学問の神様として知られる菅原道真を祀った神社。尾上車山古墳の円墳の真南に位置していることから、薬師寺慎一氏はその著ー「吉備の中山と古代吉備」吉備人出版ーの中で天神社として祀られる前には、ここで尾上車山古墳の祭りを行っていたのではないかと書いている。

八幡宮

天満宮ー花尻ー

備前国旧藩主池田家文庫本神名帳に花尻八幡宮とあり、建武年間(1334年~1336年)の勧請という。尾上車山古墳の方墳の真南に位置していることから、薬師寺慎一氏はその著ー「吉備の中山と古代吉備」吉備人出版ーの中で、八幡宮として祀られる前には、この場所で尾上車山古墳の祭りを行っていたのではないかと書いている。

立成寺

福寿山 立成寺

立成寺(りゅうじょうじ)は、吉備の中山の南麓東花尻にある日蓮宗の寺院である。山号は福寿山という。旧本山は庭瀬の不変院。山門は明治維新後の廃藩置県の際に庭瀬城の表門が移築されたもので重厚な四脚門として知られる。

題號山 妙伝寺

題號山 妙伝寺

吉備の中山の南麓にある日蓮宗の寺院で永禄年間の1558年頃に日戒により備前国尾上に開創された。岡山藩主池田光政の時代に行われた日蓮宗不受不施派の弾圧(寛政の法難)を逃れるため当時備中国の現在地に移転し難を逃れたという。

牛王山 八徳寺

牛王山 八徳寺

牛王山 八徳寺は、中山茶臼山古墳の東側の谷間にあり、中山茶臼山古墳の後円部を拝む位置にある。この場所には、山岳仏教が盛んであった平安時代末期に「高麗寺(こうらいじ)」の金堂があったと考えられている。

神道山 大教殿

神道山ー黒住教本部ー

神道山は、江戸時代後期に岡山で生まれた神道、黒住教本部のある所で、春は桜やつつじ、秋には紅葉を楽しめる自然豊かな山。また、日の出の名所としても知られており、山頂に設けられた日拝所では、正月の初日の出は勿論、毎朝日の出を迎え拝む「日拝式」が欠かさず執り行われている。

三十番神堂

三十番神堂

三十番神は、神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民などを守護するとされた30柱の神々のことで。伝教大師 最澄が比叡山に祀ったのが最初とされ、鎌倉時代には盛んに信仰されるようになった。

御崎神社ー西花尻ー

御崎神社ー西花尻ー

ここ西花尻に鎮座する御崎神社(おんさきじんじゃ)は、平安時代中期、醍醐天皇の延喜年中(901年~923年)に吉備津彦命の御墓を守護する御崎の神として創建せられたと伝わる。

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