国指定史跡 尾上車山古墳 昭和昭和47年7月29日指定
尾上車山古墳ー全長138.5m、後円部径96m、同高約11m、前方部幅52m、同高9mを測る前方後円墳で、ギリギリ山古墳とも呼ばれている。吉備の中山南東部、標高約五十メートルの尾根部先端に位置する。
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現在、南方には平野が広がっているが、この古墳が築造された当時は、山裾まで海が迫っており、内海に面した大形前方後円墳であった。墳丘は、後円部三段、前方部二段、もしくは三段築成で、墳頂における比高差は6mである。墳丘上で埴輪が採集されている。
築造年代は、墳丘形態や埴輪から古墳時代前記後半(四世紀後半)と推定される。同じく吉備中山にある中山茶臼山古墳(全長105m)に続いて築造された首長墓である。 (平成28年3月 岡山市教育委員会現地案内板より)
薬師寺慎一著「吉備の中山と古代吉備」(吉備人出版)の中で同氏は、この尾上車山古墳の被葬者は、備前吉備津宮(現 吉備津彦神社)の祭祀権を握っていた難波氏の祖先ではないかと記載し、またこの古墳で備前と備中の国境線が引かれたとも記載している。
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天神社ー学問の神様、菅原道真を祀った神社。尾上車山古墳の円墳の真南に位置していることから、薬師寺慎一氏はその著ー「吉備の中山と古代吉備」吉備人出版ーの中で天神社として祀られる前には、ここで尾上車山古墳の祭りを行っていたのではないかと書いている。
備前国旧藩主池田家文庫本神名帳に花尻八幡宮とあり、建武年間(1334年~1336年)の勧請という。尾上車山古墳の方墳の真南に位置していることから、薬師寺慎一氏はその著ー「吉備の中山と古代吉備」吉備人出版ーの中で、八幡宮として祀られる前には、この場所で尾上車山古墳の祭りを行っていたのではないかと書いている。