福田海本部

福田海本部

福田海本部

福田海は、聖徳太子、役行者、僧行基の法統に立つ中山通幽(なかやまつうゆう)師が、明治33年に開創、比叡山より頂いた「不滅の燈明」をかかげた陰徳積善をモットーとする宗教団体。

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農耕や搾乳で使役された後に、あるいは近年ではその目的で飼育され、解体されて肉や皮が人の用に供されていく牛を供養する為に鼻ぐりを集めて円墳の上に積み上げた「鼻ぐり塚」があることで知られている。

その境内は吉備の中山の有木山麓で、付近一帯にはかって高麗寺、青蓮寺、有木神社などがあり、平家物語でよく知られた有木の別所跡地。(福田海本部の境内案内を参考)

養老本堂

養老本堂

養老本堂

福田海の本堂で、青蓮寺の本尊十一面観世音を祀っている。また隣には、勝鬘夫人尊像(慶長8年多田朝臣雪津郎の作)を奉祭。

鼻ぐり塚

鼻ぐり塚

鼻ぐり塚

鼻ぐり塚とは、農耕や搾乳で使役された後にあるいは近年ではその目的で飼育され、解体されて肉や皮が人の用に供されていく牛を供養する為に牛の鼻ぐりを集めて円墳の上に積み上げた塚をいう。

有木の別所

有木の別所

有木の別所

有木の別所は、吉備の国の中心に位置し信仰の対象でもあった吉備の中山のうち、有木神社、青蓮寺、高麗寺などの寺社と関連施設のあった現在の福田海本部付近を中心に、有木山一帯を総称して呼ばれていたようで、平安時代には京の都にも広く知られていたと思われる。

根本中堂

根本中堂

根本中堂

根本中堂は、福田海の中枢となる施設で水神を祀る施設。周りには49基の石塔があり、奈良時代に行基僧正が説いた弥勒四十九ヶ院浄土説法にもとづくもの。また、中堂の天井には瑞龍が彫られているが左甚五郎の作と伝わっているとか。

燈明堂

燈明堂

燈明堂

福田海境内にある不滅の常燈明を奉祀するためのお堂。このお堂の上側には釈尊を祀る仏舎利塔が下側には護摩堂が並んでいる。

護摩堂

護摩堂

護摩堂

護摩堂ー福田海の境内、藤原成親遺跡に向かう山道の左側、燈明堂の下にある護摩を焚いて祈祷を行う仏堂で本尊は虚空蔵菩薩、脇士は弥勒菩薩と役行者。

「鎮遠」の錨と理源大師・役行者石造

「鎮遠」の錨と理源大師・役行者石造

「鎮遠」の錨と理源大師・役行者石造

福田海 根本中堂の真後ろに祀られた「鎮遠」の錨と理源大師(左)・役行者(右)石造。「鎮遠」は日清戦争時の明治28年、日本海軍と戦った中国(当時は清国)の軍艦名。この軍艦を弔い、現在その錨が不動尊として祀られている。

易塚

易塚

易塚

易塚ー易を祭り、凶を吉に変じ禍を福に転ずる道場。

不動岩

不動岩

不動岩

不動岩は福田海の敷地内、根本中堂の背後に祀られている自然の巨岩。この場所は吉備の中山の一つ有木山の麓に位置し平安時代には有木神社という神社が祀られていた。この不動岩は有木神社が祀られる以前から磐座として信仰の対象であったと考えられている。

長床

長床

長床

長床ー修行をする山伏や僧侶たちが宿泊したり、食事の支度をする場所、或いは集会の場として使用されており、役行者の流れをくむ修験道の神社や寺院に多い様子。

英霊堂

英霊堂

英霊堂

英霊堂ー福田海境内の鼻ぐり塚へ行く途中、養老本堂の奥山側にある。英霊が奉斎され、三千体の観音像が祀られている。

お大師堂

お大師堂

お大師堂

お大師堂ー福田海の中、鼻ぐり塚の斜め前に建てられたお堂で、本尊は大師座像、そのかたわらに藤原成親卿の位牌が祀られている。

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平賀元義歌碑

平賀元義歌碑

平賀元義歌碑

平賀元義歌碑ー「あたらこの 成親がごと よき臣を 有木の山の うもれ木にして」元義詠 古杏書 鹿ケ谷での平家討伐の謀議が露見、この地高麗寺 有木の別所に配流、あえない最期を遂げた大納言 藤原成親卿について詠んだ江戸末期の歌人平賀元義の歌碑。福田海、鼻ぐり塚近くに置かれている。

藤原経衡歌碑

藤原経衡歌碑

藤原経衡歌碑

藤原経衡歌碑ー「祈ること しるし有木の 山なれば 千とせの程も たのもしき哉」筑前守従五位上藤原朝臣経衡鼻ぐり塚で知られた福田海の境内、易塚の入り口右手に建てられた歌碑。この和歌は、大嘗会和歌集に載せられている平安中期の歌人藤原経衡の歌。

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