玉島はかって吉備の穴海と呼ばれる浅い海の西端部にあり乙島、柏島等の島と、七島、阿弥陀島等の小さな島々との集まりであった。江戸時代になって松山藩により新田開発が行われ、北前船と高梁川を利用した高瀬舟の往来で栄えた。
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新田開発に伴い、柏島から乙島の北にあった小さな島阿弥陀島をむすんで堤防が造られその堤防上に町並みが造られた。
今も新町通りとして当時の面影を残し、隣接する仲買町、矢出町と共に県の玉島町並み保存地区に指定されている。
- 円通寺参道
- 新町通
- 羽黒神社参道
新町通りから県道47号線を抜け運河を渡ると良寛和尚修行の寺として知られた円通寺の参道入り口に達する。
また、新町通りを反対側に進むとこの地域の氏神様羽黒神社に突き当たる。この神社は、備中藩主の水谷勝隆が新田開発に当って出羽国羽黒山より勧請した神社で玉島の人々や北前船の商人などによって深い信仰を集めてきた。
- 西爽邸
- 沙美海岸
この玉島の港から海岸沿いに柏島を南西に回り込むと、美しい沙美海岸に出る。明治13(1880)年日本で最初の海水浴場となった海岸で、日本の渚百選にも選ばれている。沙美海岸から西の寄島方面へ行く途中には、映画「釣りバカ日誌18ハマちゃんスーさん瀬戸の約束」でロケ地となった「海蔵寺」がある。
玉島地区の北、船穂地区には、高梁川からの水の取り入れ口一の口水門と玉島に通じる全長9.1m、幅5~7mの運河を設け、船穂、玉島地区の灌漑用水として利用すると共に、玉島への運河(高瀬通し)の役割も持たせている。
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主な見所
ー円通寺、海蔵寺、玉島市街、玉島町並み保存地区、玉島新町通り、玉島ー仲買町ー、羽黒神社、羽黒山清瀧寺、旧柚木家住宅、玉島味噌醤油、菊池酒造、沙美海水浴場、ふなおワイナリー、南山城跡、南山明地遺跡、南山明地古墳群、日本遺産ー荒海を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~玉島・下津井ーー
この水門は、高梁川からの水を取り入れる為に松山藩主水谷氏により正保2(1645)年に築かれたもので、引き続き整備された水路と共に船穂、玉島地区への灌漑用水の供給と玉島への運河(高瀬通し)の役割も持たせている。
地元倉敷市船穂町で収穫されるマスカット・オブ・アレキサンドリアを100%使ったプレミアムワインを醸造。施設内では船穂でのマスカット栽培の歴史やワイン造りの様子を見ることが出来、試飲することも可能。
岡山県内で唯一残っていた「水江の渡し」が「倉敷大橋」の開通で2016年3月31日90年近い歴史に幕を降ろした。水江の渡しは明治末~大正の高梁川大改修で分断された水江地区の住民の足として昭和2年から運行されて来たもの。
玉島は瀬戸内海に浮かぶ小さな島々の集まりであった。松山藩の新田開発に伴い羽黒神社西側の潮止堤防上に造られた「新町通り」には虫籠窓やなまこ壁の商家や土蔵が数多く残され優れた歴史的景観を呈している。
仲買町は、円通寺参道の鳥居から里見川に沿って北に延びる町で、酒や味噌の醸造場、徳川時代から続く紙問屋の蔵、稲作や綿作に使われた北海道の「にしんかす」などを運んだ廻船問屋などが今も軒を連ねている。
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ここ羽黒山は海に浮かぶ小島で備中松山藩の水谷公が玉島新田干拓工事の無事を祈願して出羽国から羽黒神社を勧請した。その時京都青蓮院門跡におられた水谷公の御弟仙海和尚を迎え清瀧寺を建立して羽黒権現の別当寺とした。
備中松山城主水谷公が玉島地方干拓を行うに際し水谷家累世の氏神、出羽国羽黒山の出羽神社の神霊を勧請して開墾の成就を祈願し土地の守護神として建立。現在の本殿は嘉永3年(1845)幣拝殿は安政4年(1852)に再建されたもの。
柏島と呼ばれる瀬戸内に浮かぶ島であった所に奈良時代に僧行基が創建したと伝えられる寺。江戸時代中期に良高禅師により再興(円通庵)、その後「円通寺」と改められた。江戸時代後期には僧良寛が18年間この寺で修行している。
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