07/25/2020 / 最終更新日時 : 07/26/2020 桃太郎 史跡 造山古墳 陪塚5号墳ー千足古墳ー 造山古墳 陪塚5号墳ー千足古墳ーは、全長75m、3段築成の前方後円墳、吉備地方では最古型式の横穴式石室が築かれ、石室内には直弧文の刻まれた石障(せきしょう)がある。 鏡・碧王製勾玉(まがたま)・鉄鏃(てつぞく)・埴輪などが出土している。
07/25/2020 / 最終更新日時 : 07/26/2020 桃太郎 史跡 造山古墳 陪塚4号墳 造山古墳 陪塚4号墳は、直径約35mの円墳、あるいは前方後円墳。墳丘部から円筒埴輪・形象埴輪(家・短等)が出土している。
07/24/2020 / 最終更新日時 : 07/26/2020 桃太郎 史跡 造山古墳 陪塚2号墳 造山古墳 陪塚2号墳は、一辺約40mの方墳。周濠が存在し、外堤上に埴輪列を伴う。平成9年11月~平成10年1月の造山古墳陪塚遊歩道整備に伴った調査によって、この位置に2号墳の最も外側に並べられたとみられる約110個の埴輪列を確認することができた。
07/24/2020 / 最終更新日時 : 07/26/2020 桃太郎 史跡 造山古墳 陪塚1号墳ー榊山古墳ー 造山古墳 陪塚1号墳ー榊山古墳ーは、直径40mの円墳ないし造り出しを持つ円墳で、神獣鏡・銅鈴(どうれい)・馬形帯鈎(うまがたたいこう)ーバンドの留め金ーが出土したと伝えている。また伽耶(かや)系陶質土器も出土している。
07/21/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 神社 土産・食事処桃太郎の販売員の鬼 吉備津神社の参道脇にある土産・食事処桃太郎の点灯では、鬼が販売員の一人としてお茶の販売を行っている。
07/21/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 グルメ 土産・食事処桃太郎ー吉備津神社参道脇ー 土産・食事処桃太郎は、吉備津神社の松並木の先にある駐車場に隣接した食事処・土産処。
07/21/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 神社 風月燈籠ー吉備津神社ー 吉備津神社祈祷殿横の神木イチョウ(大銀杏)に吊り下げられている「風月燈籠」は、吉備津神社に奉献された宝物の一つで源三位頼政が奉献している。風月を配した雅趣に富んだデザインで昔から風流を好む人々の垂涎の的であった。ここに掲げられている燈籠は原型通りに鋳造したもの。(現地案内板より)
07/21/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 神社 神木いちょう(大銀杏)ー吉備津神社ー 吉備津神社 祈祷殿横の神木いちょう(大銀杏)には、源三位頼政が同社に奉献した風月燈籠のレプリカが吊り下げられている。
07/20/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 神社 吉備津神社 休憩所 吉備津神社 休憩所は、吉備津神社参道のある吉備津松並木が吉備津神社に突き当たる右手付近にある。休憩所内では、「吉備津神社」について、あるいは日本遺産に指定された「桃太郎のまち岡山」についてのビデオを見ることができる。
07/20/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 神社 吉備津弓道場 吉備津弓道場は、吉備津神社ボタン園に隣接して設けられている。的の数=近的ー5、遠的ー2、定休日ー12月29日~1月3日。
07/19/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 神社 吉備津神社 御供殿(ごくうでん) 吉備津神社の御供殿(ごくうでん)は、七十五膳据神事(しちじゅうごぜんすえしんじ)に供される神膳を調理する所。七十五膳据神事は、吉備の国を平定するために大和朝廷から派遣された四道将軍の吉備津彦(祭神)へ海山の珍味をお供えする行事。春と秋の毎年5月と10月の第2日曜日に行われる。
07/19/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 神社 吉備津神社 瀧祭神社 吉備津神社の南、細谷川脇にある瀧祭神社(たきまつりじんじゃ)は、祭神に瀬織津姫命を祀った吉備国最古の水神。
07/19/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 三重塔心礎ー吉備津神社ー 吉備津神社 三重塔心礎ー室町中期の文安4(1447)年建立の三重塔の心礎。当社の古図や旧記によるとこの塔は一層が三間四方という堂々とした大塔であった。しかし次第に腐朽も甚だしくなったので享保17(1732)年社家たちに依って取り壊された。今日わずかにこの心礎に依って在りし日の大塔を想像するほかはない。(現地案内板)
07/19/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 旅日記 如法経塔ー吉備津神社ー 岩山社参道左、大きな木の下にある如法経塔は、格調高い調和のとれた構造美から室町時代の作品と考えられる。吉備津神社の境内に数多くある中世、神仏混淆時代の遺物、遺跡の一つ。(現地案内板を参考)
07/18/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 神社 吉備津神社 宇賀神社 宇賀神社は、御釜殿と道路をはさんで西側の池には中島が設けられ、明治時代以降では稲荷神を祀るようになった宇賀神社がある。五穀豊穣をもたらす神様。
07/18/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 神社 吉備津神社 本宮社 本宮社は、回廊の南端を左に曲がると本宮社の拝殿が、その奥には本殿が見える。岡山城主宇喜多秀家が再建した。
07/18/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 神社 吉備津神社 三社宮 三社宮は、回廊の御釜殿への分岐部分よりさらに本宮社に向かって下ると、左側の山裾に朱塗りの柱を有する社が三社祀られている。向かって左より春日宮・大神宮・八幡宮。
07/18/2020 / 最終更新日時 : 04/18/2021 桃太郎 磐座・巨石 吉備津神社 岩山宮 吉備津神社 岩山宮(いわやまぐう)は、回廊をえびす宮からさらに少し下がった左側、あじさい園の中央にある石段を登ったはるか上方に見える。ご神体を見ることはできないが磐座とのことで吉備の国の地主神である建日方別(たけひかたわけ)を祀っている。
07/17/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 神社 吉備津神社 えびす宮 吉備津神社 えびす宮は、本殿からの長い回廊を本宮社や御釜殿に向かって下る途中の左手にある末社。夷と大黒の二神を祀っている。江戸時代には招福と商売繁盛の霊験で賑わったが明治以降一童社に合祀されていた。氏子の強い要望で昭和47年頃から元通りご神体を祀り「えびす祭」も復活している。
07/17/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 神社 吉備津神社 一童社 一童社は、学術神・遊芸の神として江戸時代の国学者達も篤く信仰した社。近年は受験の神様として信仰されている。
07/17/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 矢置岩ー吉備津神社ー 矢置岩は、吉備津彦命(桃太郎)が温羅(鬼)と戦った時に、命が空中で奪取した矢を置いたのが矢置岩だと伝わっている。毎年正月三日には矢置岩の上に供え置いた矢を四人の射手が四方に向かって放ち一年の泰平を祈願する矢立の神事が行われる。
07/17/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 郷土記念物 郷土記念物 吉備津の松並木 郷土記念物 吉備津の松並木は、吉備津神社の参道で、旧山陽道から吉備津神社の表参道石段の下まで続いている県下最大級の松並木。郷土記念物には、昭和49年12月18日指定。
07/17/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 神社 吉備津神社 アジサイ園 吉備津神社回廊の山側、岩山宮参道の両脇斜面には、6月中旬から7月中旬の花季には約1,500株のぼたんが咲き誇る。
07/17/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 神社 吉備津神社 ボタン園(牡丹園) 吉備津神社ボタン園(牡丹園)では、4月下旬から5月上旬の花季には、長い回廊を背景に約400株のぼたんが咲き誇る。
07/16/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 県指定重要文化財 吉備津神社 回廊ー岡山県指定重要文化財ー 吉備津神社回廊は、本殿横の南随神門から南の本宮社や御釜殿をつなぐ、総延長398mの歩廊。廻廊建立の棟札が29枚現存しており、現在の姿になったのは戦国時代の天正年間(1573~1591)と推定されている。梁間一間、切妻造、本瓦葺。岡山県指定重要文化財 昭和51年3月27日指定。
07/16/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 国指定重要文化財 吉備津神社 御釜殿ー国指定重要文化財ー 吉備津神社の御釜殿は、江戸時代初期の慶長17年(1612)に安原備中守知種によって再建されたもので、窯のなる音で吉凶を占う鳴釜神事は、上田秋成の雨月物語「吉備津の釜」などにも紹介され神秘な神事として天下に有名である。国指定重要文化財 昭和55年1月26日指定。
07/15/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 国指定重要文化財 吉備津神社 南随神門ー国指定重要文化財ー 吉備津神社 南随神門は、本殿から本宮や御釜殿につながる回廊の入口にある正面6.2m 側面3.2m 入母屋造り・本瓦葺三間一戸の八脚門(やつあしもん)。木部は丹塗りで壁は白壁。社記・棟札などから、南北朝時代の延文2(1357)年の再建と言われ、この神社の数多い社殿群の中では最も古い建物である。国指定重要文化財。
07/15/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 国指定重要文化財 吉備津神社 北随神門ー国指定重要文化財ー 吉備津神社 北随神門は、縁日にはみやげ物店の並ぶ北参道の中ほどに位置する三間一戸、正面7.5m 側面3.9m 入母屋造り・桧皮葺の八脚門。棟札の写しなどから、室町中期(15世紀半ば頃)の再建とされている。木部はすべて丹塗りで、壁は白く塗られている。国指定重要文化財。
07/15/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 国宝 吉備津神社 拝殿ー国宝ー 吉備津神社拝殿は、本殿と共に応永32年(1425年)の再建。本殿の正面に接続して突き出した切妻造の建物で本殿と共に国宝に指定されている。正面と両側面に裳階を付けている為、外観は重層に見えるが内部は吹き抜けで屋根裏まで見通すことが出来る。
07/15/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 国宝 吉備津神社 本殿ー国宝ー 吉備津神社の本殿及び拝殿は、応永32年(1425年)に再建。本殿は、比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)または吉備津造とよばれる檜皮葺の入母屋造を二つ前後に連結した独創的様式の大建築で拝殿と共に国宝に指定されている。
07/14/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 猿掛城跡 猿掛城築城のはじまりは東国の武将・庄太郎家長がこの地に地頭として赴任した際に当初、幸山城へ入ったが、防禦に不便として、元久2年(1205年)ごろ猿掛山へ新城を築いて移ったことによる。この城は天正10年(1582年)の高松城攻めの際に毛利輝元の本陣となったことでも有名。
07/12/2020 / 最終更新日時 : 07/12/2020 桃太郎 城跡 石鎚神社ー長良山城跡ー 石鎚神社は、長良山城の南の郭跡と言われる所に祀られている。 神社正面には、昭和5年に天皇陛下をお招きして行われた陸軍大演習の記念碑が。 右に福山城跡、幸山城跡、左に鷹ノ巣城跡のある日差山、正面には備中国分寺の背景となっている吉備路風土記の丘を見ることが出来る。
07/12/2020 / 最終更新日時 : 07/12/2020 桃太郎 城跡 八幡宮ー長良山城跡ー 長良山城跡の北の郭跡とされる所には現在八幡宮が祀られている。 ここからは、総社市街や岡山県立大学キャンパス、鬼ノ城跡、福山城跡、幸山城跡などを眺めることが出来る。
07/12/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 長良山城跡 長良山城跡は、室町時代初めここ服部郷を治めていた、世瀬川左衛門入道祐隣が、建武年間(1334~1338)に築いた城と伝えられている。高松城水攻めのあった頃の城主は、世瀬川祐隣の子孫で姓を禰屋(ねや)と改めた禰屋親光で、毛利方として参戦している。
07/10/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 毛利軍配置状況ー備中高松城水攻めー 羽柴秀吉軍の備中高松城水攻めの際、毛利・羽柴両軍は足守川を挟んで向き合った。毛利軍の配置は、境目(備中)七城を含めて、備中宮路山城跡、備中高松城跡、吉川元春陣跡、天神山陣跡、日差山陣跡、庭瀬城跡、松島城跡などである。
07/10/2020 / 最終更新日時 : 09/19/2020 桃太郎 史跡 羽柴軍配置状況ー備中高松城水攻めー 羽柴秀吉軍の備中高松城水攻めの際、毛利・羽柴両軍は足守川を挟んで向き合った。羽柴秀吉軍の配置は、鍛冶山城、冠山城、加藤清正陣、津田与左衛門陣、宇喜多忠家陣、羽柴秀勝陣、仙石権兵衛陣、羽柴秀吉本陣、堀尾茂助陣、羽柴秀長陣、花房助兵衛陣、加茂城、日幡城などである。
07/09/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 境目七城(備中七城)ー備中高松城水攻めー 「境目七城」は別名「備中七城」とも呼ばれ、中国地方の雄毛利氏が織田軍との戦いに備え整備した防衛ラインで、南から松島城・庭瀬城・日幡城・加茂城・高松城・冠山城・宮路山城の七つの城を併せて名付けられた。
07/08/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 史跡 舟橋ー備中高松城水攻めー 高松城は平城で三方を堀で囲まれており、南手口には具足の武士がようやくすれちがう程の細い道があった。開戦直前に八反堀を掘り外壕とした。そこへ舟を並べて舟橋(長さ約64m)となし、城内より進攻の際はこれを利用し又、退く時は撤去出来る仕組。
07/08/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 仙石権兵衛陣跡ー備中高松城水攻めー 羽柴秀吉の備中高松城水攻めにおいて、後に信濃小諸藩の藩主となる仙石権兵衛秀久陣跡は、羽柴秀吉本陣の石井山の麓近く、堀尾茂助の陣の北側に構えている。上の写真では、正面右中央に見える団地付近がその陣跡ではないかと言われている。
07/07/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 花房助兵衛陣跡ー備中高松城水攻めー 備中高松城水攻めで秀吉軍として活躍した花房助兵衛の陣跡(城跡)を探したが、案内図に詳細な表示が無かった為容易に見つけることが出来なかった。ここは、丁度歩いてこられた近くにお住まいの方にお聞きして探し当てた所。
07/07/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 冠山城跡ー備中高松城水攻めー 冠山城は羽柴秀吉の備中高松城水攻め時、毛利軍の「境目七城」の一つであった。時の城主は、林三郎左衛門重真、妻は清水宗治の娘。NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」では、この冠山城攻めが官兵衛の長男「黒田長政」の初陣であったと放送された。
07/06/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 備中宮路山城跡ー備中高松城水攻めー 備中宮路山城は備中高松城水攻めの際毛利軍の「境目七城」の内の一つで、最も北に位置。黒田官兵衛らが降伏を呼びかけるも小早川隆景の家臣で城将として来ていた乃美元信は応じなかった。隣冠城の陥落後宇喜多家家臣の信原氏が開城を勧めついに開城した。
07/06/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 備中鍛冶山城跡ー備中高松城水攻めー 備中鍛冶山城は高松城水攻めの際、毛利氏の最前線「境目七城」の一つ宮路山城とは足守川を挟んで対岸にある城で、宇喜多氏側の延原(信原)氏が城主であったといわれている。当時宇喜多氏は織田方に寝返っており織田軍の最前線の城であったことになる。
07/05/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 日幡城跡ー高松城水攻めー 日幡城は、羽柴秀吉の備中高松城水攻めの際、中国地方の雄毛利氏が織田軍との戦いに備え整備した防衛ライン「備中七城」(庭瀬城・松島城・日幡城・加茂城・高松城・冠山城・宮路山城)の一つ。
07/04/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 羽柴秀勝陣跡ー岡之鼻ー高松城水攻めー 岡之鼻という小さな丘の上に立てた羽柴秀勝の陣。秀勝は織田信長の四男で羽柴秀吉の養子となっていた。この高松城水攻めは、羽柴秀勝にとっての初陣。天正10(1582)年10月15日には、大徳寺において喪主となって実父信長の葬儀を行っている。
07/04/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 加茂城二の丸跡ー備中高松城水攻めー 加茂城は天正10(1582)年の羽柴秀吉の備中攻略ー備中高松城水攻めーに際し毛利方が備中南東部の国境沿いに備えた「境目七城」のひとつで、桂広繁・上山元忠・生石治家が立て籠りましたが、秀吉軍の攻撃にあって城中で内紛が起き、ついに落城したと伝えられます。
07/03/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 天神山陣跡ー備中高松城水攻めー 天神山陣跡は、備中高松城水攻めにおいて、毛利軍小早川勢の小田孫兵衛、細川兵部、杉原播磨守らが陣を張ったとされる所。備中高松城へは、花房助兵衛の陣、吉川元春の陣に次いで近い所に位置する。
07/02/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 松島城跡ー備中高松城水攻めー 松島城は備中高松城水攻め時における毛利軍「境目七城」の一つであったが高松城からは遠く水攻めの時は、秀吉軍に攻撃される事無く織田方と毛利方の和睦となった。現在、川崎医療短期大学の敷地となっているあたりが松島城跡とされている。