03/31/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 展望の良い所 遥照山総合公園 遥照山の山頂付近にあり、多目的広場、テニスコート、子供遊戯広場、芝生広場などがあり、その周囲にはいくつかの展望台も設けられている。この展望台からは、倉敷市街、玉島市街、浅口市の家並や塩飽諸島、笠岡諸島などの瀬戸内海の多島美を楽しむことができる。展望台からの夜景も素晴しく人気スポットの一つ。
03/31/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 鴨方藩陣屋跡 鴨方藩は、岡山藩の支藩として寛文12(1672)年に、池田光政の次子政言が、25,000石の初代藩主として治めた藩で、ここはその政務の場である陣屋があった所。現在は、黒住教の教会が建てられており、当時の面影は、石垣と井戸にわずかに残されているのみ。鴨山城跡のある鴨山の山裾にある。
03/30/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 西山拙斎の居宅・私塾跡 江戸後期の儒学者 西山拙斎が京都での遊学を終え39歳の時生誕地に開いた私塾が欽塾で、拙斎の徳を慕って多くの弟子が入門した。拙斎は、64歳でこの至楽居に没するまで教育に携わった。至楽居の庭内の円い蓮池に架け渡してある華月橋上の拙斎を描いた田中索我の作品が今も残っている。
03/30/2017 / 最終更新日時 : 03/30/2017 桃太郎 旅日記 細川通董公墓碑 細川通董公は、第7代鴨山城主で、名君の誉れが高かったが、天正15(1587)年豊臣秀吉の筑紫征伐の際、毛利氏に随伴出陣、その帰途赤間関(下関)で客死した。長川寺境内に墓碑がある。
03/30/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 長川寺 源三位頼政の末裔西山宗久を開基とし、室町時代の応永19年に、永祥寺 英厳章傑禅師により曹洞宗として開山、鴨山城主 細川家の菩提寺となり、禅宗の修行道場として興隆した。境内の一角には、戦国時代末期、天正3年に、この寺を中興した鴨山城七代の城主・細川通董の墓塔がある。
03/30/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 城跡 鴨山城跡 室町幕府成立と発展に深くかかわってきた細川家の後裔にあたる細川満国がこの城を築いたとされている。それ以降この城を拠点に備中分郡守護職としてこの地を治めていた。しかし、関ヶ原の戦いで8代・元通(もとみち)が毛利秀元の客将として参陣し敗れ、鴨山城も廃城となった。
03/29/2017 / 最終更新日時 : 03/30/2017 桃太郎 旅日記 田中索我の墓 備中鴨方に生まれ、京都で鶴沢探索に学び、仙洞御所の屏風・杉戸などを制作した江戸時代後期の画家、田中索我ー寛保2(1742)年~文化11(1814)年ーとその子の墓。晩年は鴨方に帰り、求めに応じ筆をとるとともに、同郷の西山拙斎と親しく交わり「索我描けば、拙斎賛す」という仲であた。
03/29/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 碑(文学碑等) 西山拙斎の碑 鴨神社の西、西山家の墓所にある、江戸中期の儒学者で文人、西山拙斎の頌徳碑。西山拙斎は、享保20(1735)年備中国鴨方村の医者の子として生まれ、大阪、京都で医学、儒学、朱子学を学んだ後、郷里の鴨方で私塾、「欽塾」を開き子弟に朱子学を教えた。
03/29/2017 / 最終更新日時 : 03/30/2017 桃太郎 旅日記 宮の石橋ー鴨神社ー 宮の石橋は、鴨神社の参道、髄神門を通って拝殿まで行く石段の登り口にある太鼓状の石橋。6枚の反らせた長い石を並べて横道の上に架けている。この横道は、田中索我の墓、西山拙斎の碑へ通じている。鴨方に過ぎたるものが三つある。拙斎・策我・宮の石橋。
03/29/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 鴨神社 創祀年月は不詳。平安朝の頃、京都より加茂大明神を勧請し、氏神として奉斎、明治20年太政官布告により、鴨神社と改号。明治40年火災により焼失、幣殿と拝殿は明治45年に再建、本殿は昭和18年に再建竣工し旧に復した。戦前、戦中、戦後を通じ氏子はもとより、近郷近在の多くの人々の、魂のよりどころとして崇め祈っている。
03/28/2017 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ かもがた町家公園 旧鴨方往来沿いに東西に並ぶ江戸時代の歴史的建築物(二棟の町家)と伝統植物園を修復、再生し公園として開放したもの。東側の町家は、地域住民の研修や生涯学習の場、和風喫茶などを設けた交流館として、西側の江戸前期の町家、高戸家は建物博物館として開放し伝承館として使用。
03/28/2017 / 最終更新日時 : 03/28/2017 桃太郎 グルメ かもがた町家公園「まちや亭」 かもがた町家公園の交流館内に設けられた和風喫茶。ここでは、コーヒー、抹茶、ぜんざい、甘酒などの他、鴨方特産の手延べそうめんを食べることができる。
03/27/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 旧高戸家住宅 かもがた町家公園の中で、伝承館として使用されている旧高戸家住宅は、優れた意匠や構造を有する江戸時代前期に建築されたと推定できる、県下ではもっとも古く学術的にも価値の高い町家。貞享4(1687)年改修の跡がある。
03/26/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 史跡 早島戸川家陣屋跡 早島は、江戸時代の初め寛永8年に達安の次男安尤が3,400石で封じられて以来13代、安宅の代まで、干拓によって開かれた豊かな土地といぐさ産業を背景に、旗本戸川家の陣屋町として発展してきた。この陣屋は元禄年間、2代安明の代に普請にとりかかり17年の歳月を費やして宝永6年に完成した。
03/25/2017 / 最終更新日時 : 03/12/2018 桃太郎 ハイキングコース 不老の道 早島が瀬戸内に浮かぶ島だったころの生活道を復元、散策コースにしたもの。名前の由来は、史跡めぐりや景観を楽しみながら誰でも気軽に健康作りができるようにとのことから。歩くと、古き日本がそのまま残っており、懐かしさとこのような風景を残しておくことの重要さを痛感する。
03/25/2017 / 最終更新日時 : 03/11/2018 桃太郎 コンサートホール ゆるびの舎 ゆるびの舎は、早島町民の総合会館で、心の健康づくりを基本コンセプトとして、文化ホールや図書館、健康づくりセンターなどからなる総合複合施設。文化・健康・学習の3つの機能が互いに連携しながら、身体面の健康と心の安らぎや豊かさを実感できる快適空間を提供するためのもの。「ゆるび」とは「心がくつろぐ」という意味がある。
03/25/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 国鉾神社石灯籠 この石灯籠は文化15(1818)年に第九代領主戸川安梯が、国鉾神社に奉納したもので、台石から宝珠までの高さが4.4m余りという壮大なつくりで、領主の奉納にふさわしい重みと落ち着きを見せている。
03/25/2017 / 最終更新日時 : 04/13/2018 桃太郎 花の見所ーサクラー 国鉾つつじ公園 早島公園の西隣にある国鉾神社の境内とその周辺は昭和の初めごろからツツジの名所として知られていたが、ツツジが老木となった。そこで、平成20年の春、ツツジの名所として全国的に知られた、京都府長岡京市の長岡天神宮の「きりしまつつじ」を移植。
03/24/2017 / 最終更新日時 : 03/25/2017 桃太郎 花の見所ーサクラー 早島公園 早島町内の歴史探索路として親しまれている「不老のみち」の途中、早島駅や「いかしの舎」からも近い所にある公園。4月の桜、5月のフジやツツジで知られており、市民の憩いの場となっている。山頂からは、児島半島やその手前に広がる児島湾干拓地を望むことができる。
03/24/2017 / 最終更新日時 : 03/11/2018 桃太郎 コンサートホール いかしの舎 旗本戸川家3,400石の陣屋町で、金毘羅往来の地として、またい草の町として栄えた早島。この町にある明治時代の代表的旧家、寺山邸を改修し、新しい文化拠点として生まれたのが「いかしの舎」。会合、美術展など気軽な集まりや、各種演芸発表の場として多くの人々に使用されている。
03/24/2017 / 最終更新日時 : 03/24/2017 桃太郎 旅日記 裏川筋 宇喜多堤築堤の後、葦が繁茂する干潟が開墾され、葦原新田となったのは寛文4年(1664)であり、早島と前潟の境界付近に位置するこの裏川の辺りまでだったと推測される。当時は子供が川で遊び、邸内に水を引き入れる石組などがあり、生活に密着した用水と親しまれていた。
03/23/2017 / 最終更新日時 : 03/23/2017 桃太郎 旅日記 岡山県総合流通センター 岡山県総合流通センターは、中国・四国、関西・九州地域のほぼ中間地点に位置、瀬戸中央自動車道早島ICまで車で5分という立地にある。従って、中国・四国、阪神・福岡地域への貨物輸送拠点として広島、香川、兵庫などと比較しても輸送 […]
03/23/2017 / 最終更新日時 : 03/11/2018 桃太郎 コンベンション施設 コンベックス岡山 コンベックス岡山は、様々な用途に合わせて利用できる大・中・小展示場(マスカットホールー多目的ホールーを含む)をはじめ、国際会議場、中・小会議室、屋外展示場、約1500台収容可能な無料駐車場を完備している。オープン以来、西日本屈指のコンベンション施設として、高い評価を得ており、多彩な催しがここを舞台に開催されてきた。
03/23/2017 / 最終更新日時 : 03/23/2017 桃太郎 旅日記 早島町役場 「吉備の穴海」と呼ばれる海に浮かぶ島であった早島、420年ほど前、宇喜多秀家によって干拓が始められ、江戸時代には、旗本戸川家3,400石の陣屋が置かれ、イグサの育成と畳表の特産地となった。その後四国讃岐の金比羅詣の経由地、金比羅往来の拠点として多くの旅人でにぎわった。町内にはこれらの名残が数多く残っており散策が楽しめる。
03/23/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 戸川家記念館 史跡 早島戸川陣屋跡にある戸川家記念館には、江戸時代二百数十年を通じて備中早島村を治めた、旗本戸川家(3,400石)に代々伝わる歴史資料を後世に伝えるため、古文書、具足、鞍、陣屋絵図、指物等が展示されている。
03/23/2017 / 最終更新日時 : 06/19/2018 桃太郎 史跡 宇喜多堤 今から約420年前、宇喜多秀家の命により、岡豊前守と千原九右衛門らの指揮のもと築かれた宇喜多堤。(現県道152号 岡山ー倉敷線)そのきっかけは、どうも織田信長の家臣、豊臣秀吉による高松城水攻めの時の二人の築堤技術にあったようです。
03/22/2017 / 最終更新日時 : 06/24/2018 桃太郎 神社 天満宮ー松ヶ岡ー 長津の松ヶ岡に鎮座する天満宮は、その名のとおり菅原道真を祭る社である。かって瀬戸内の「吉備の穴海」に浮かぶ島であった早島は、九州から畿内をめざす船の航路に位置していたといわれ、九州大宰府へ流れる菅原道真がその途中休憩のため、ここに立ち寄ったという伝説も残されている。
03/21/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 お祭り会館 岡山県の無形民俗文化財に指定されている加茂大祭を保存承継するための施設で、加茂大祭を中心に、神輿やパネル、映像を駆使したディスプレイにより、関係する町内鎮座八社と総社宮の由緒沿革や祭りの様子を系統的に展示している。
03/20/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 加茂大祭 京都の加茂祭にならって行われる寄せ宮祭りで、近郷8社からきらびやかな神輿が総社宮に集まり、古式にのっとり荘厳な時代絵巻が繰り広げられる。950年以上の歴史を有し、岡山市の吉備津神社「七十五膳祭」、賀陽町の吉川八幡宮「当番祭」と並ぶ、県下三大祭の一つ。
03/20/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 加茂総社宮 奈良時代の宝亀2年に、備前国津高郡長田荘の氏神として創建、天喜年間に加茂郷に鎮座する古社8社を相殿に配祠しするとともに、加茂大祭を創始。現在も、10月第3日曜日に行われる加茂大祭は、近郊の8社から神輿が集まる寄宮祭(県指定無形民俗文化財)で、県下三大祭りの一つとされている。
03/19/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 天福寺 町内最高峰の大平山の山腹にあり、天台宗の修験の寺として役小角の開基と伝えられる。江戸時代初期に再建されたのち足守木下藩主の祈願所となったという。現在は郷土自然保護地域に指定されモミの天然林や赤松林に囲まれ、紅葉と四季の風情に富む佳境である。本尊薬師如来は室町中期の作、町指定文化財である。
03/19/2017 / 最終更新日時 : 02/28/2018 桃太郎 ホテル・旅館 湯の瀬温泉 山道沿いの一軒家のすぐ前には旭川の支流豊岡川が流れており、温泉はこの川床から湧いている。初夏には蛍の乱舞やブッポウソウの鳴き声が聞こえ、のどかな自然の中で人情あふれるもてなしを受けながらの入浴は心が安らぐ。泉質は硫黄鉱石アルカリ性単純泉。
03/19/2017 / 最終更新日時 : 03/04/2018 桃太郎 天然記念物 小森温泉 享保年間に岡山藩主池田継政が開設した温泉跡を、戦後昭和28年~29年にかけてボーリング調査を行なったところ、良質の温泉の湧出を得たことから池田家ゆかりの「いで湯」として再興したもの。アルカリ性単純温泉で、疲労回復・美容健康・神経痛・腰痛・アトピーなどに効果があるとされている。
03/19/2017 / 最終更新日時 : 03/04/2018 桃太郎 公的宿泊施設 ラーバニスト小森の里 享保17(1732)年岡山藩主池田継政が開発した湯治湯跡に復興された「小森温泉湯元」に隣接して平成6年にオープンした温泉施設。泉質は低張性アルカリ性冷鉱泉で、日帰り温泉を手軽に楽しめる一般風呂、家族中心で予約者に限定して食事も楽しめる日帰り温泉パック(岩風呂)、宿泊者対象のプランなどがある。
03/18/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 展望の良い所 いわくら公園 岩倉山(標高394.2m)が岡山県のほぼ中心に位置することから、ここを「岡山県の中心点=HEART OF OKAYAMA」とし、シンボル公園とした。展望台からは360度の景観を楽しむことが出来る。ここから眺めると、吉備高原が平たい高原状の台地が浸食されてできていることがよくわかる。
03/17/2017 / 最終更新日時 : 03/11/2018 桃太郎 ふるさと村 円城ふるさと村 円城地区は、岡山県の中央部に位置し、吉備高原の典型的な地形を示す地帯。奈良時代本宮山山頂に開創された正法寺が鎌倉中期の火災により、この地へ天台宗円城寺として再建されたのを期に門前町が形成され発展してきたもの。その歴史を残す魅力ある農村風景からふるさと村に指定された。
03/17/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 円城寺提婆宮 円城寺の鎮守提婆天を祀っているー鎌倉中期の創祀ー。古くから「加茂の提婆は人をとる」と言われており、呪詛の社としてよく知られている。深夜、提婆宮に参り、境内の古木に呪釘を打つと、この提婆宮の狐が相手に取り付いて殺してしまうという言い伝え。
03/17/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 石造宝篋印塔ー円城寺ー 「大願主僧蓮有大工沙弥硯隆延文2年8月上旬建」の銘があり南北朝時代(14世紀中頃)に建てられたことがわかる。銘が刻まれ、年代が明らかな石塔として重要性が高く、また、先年、塔解体の時、地下石室より千体仏像が出たことでも有名。
03/17/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 本宮山円城寺 初め本宮山正法寺と称して、行基の開山と伝えられ、鎌倉中期現在の地へ移されて円城寺と改めた。今は地蔵院、医王院を残すだけであるが、昔は十余の僧坊が立ち並び門前町として非常に栄えた。今も小規模ながら門前町のおもかげを、そこかしこで見受けることができる。
03/17/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 本宮山地蔵院 鎌倉中期(1282年頃)本宮山山頂より移転した円城寺の塔頭の一つ。最盛期には、塔頭14坊、末寺6ヶ寺を数えていたが、現在残っている塔頭は医王院とこの地蔵院のみ。
03/17/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 本宮山医王院 鎌倉中期(1282年頃)に本宮山より移転された円城寺の塔頭の一つ。最盛期には、塔頭14坊、末寺6ヶ寺を数えていたが、現在残っている塔頭は地蔵院とこの医王院のみ。裏手には、北向庚申堂、祇園社、根本稲荷などの社が祀られている。
03/17/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 根本稲荷 建立は不明であるが、約320年前に鎮座されていた記録があり、現在の建物は昭和52年に建築されたもので、本尊は走る白狐に乗る美しい天女の姿をした吒枳尼天(だぎにてん)が祀られている。名前の由来については京都鈴鹿山の根本稲荷明神を勧請していることから、根本稲荷と呼ばれている。
03/17/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 北向庚申堂 庚申堂とは帝釈天の使者青面金剛(庚申の別名)を祀るもので、本尊は見ザル、言わザル、聞かザルの3猿神を脇士としている。また、古来より悪事・災難は北方から襲来すると考えられており、この厄除けの神を祀る本尊も北向きに鎮座されている。
03/16/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2017 桃太郎 旅日記 円城寺門前町 円城地区の歴史は、奈良時代本宮山山頂に開創の正法寺が鎌倉中期の火災により、現在の地へ天台宗円城寺として再建されたのを期に門前町が形成され発展してきたもの。最盛期には、塔頭14坊、末寺6ヶ寺を数え、江戸時代には市が開かれ、宿場が軒を連ね、この地方の商業の中心地として栄えた。
03/16/2017 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ 吉備の国野菜村 農薬を使用しない芋ー安納芋ー・そばなどの健康野菜を栽培し、栽培・加工・直販などの6次化産業に取り組んでいる。主要商品ー安納芋・そば・キムチ。近くには、道の駅かもがわ円城がある。
03/15/2017 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ 道の駅かもがわ円城 国道429号線沿いにある岡山県下では最初に開設された道の駅。食堂、レストハウス、休憩所、観光案内所、トイレを備え、併設の「交流促進センター農産物直売所」では、地元産の新鮮な野菜や果物、花き、農産物加工品などを販売。
03/14/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2017 桃太郎 旅日記 吉備高原都市住宅地区 岡山県の中心部に位置する吉備高原都市は、風水害の被害が少なく近くに活断層も見当たらない。県内各地域、岡山空港や岡山自動車道にも近く、またセンター区には「きびプラザ」があり、銀行、町役場支所、ホテル、各種商業施設も整備されており生活にも便利。
03/14/2017 / 最終更新日時 : 03/03/2018 桃太郎 産直店ー産地直売ー かよう青空市 地元特産の新鮮野菜を農家から直接持ち込み販売。他に地元の特産加工品も販売。どこの青空市も同じですが新鮮野菜の需要は多く開店後できるだけ早くいくことをお勧め。主要販売品目ー野菜、コメ、花、農産・畜産加工品。5月の連休や秋にはイベントがあり。
03/14/2017 / 最終更新日時 : 03/11/2018 桃太郎 グルメ きびプラザ 「きびプラザ」は、岡山県のほぼ中央にある吉備高原都市の中心施設。銀行やホテル、レストランやスーパーマーケットなどが集まり、隣接して、近世ヨーロッパの羅針盤を形取った円形広場、それを取り囲むコリドールや芝生広場がある。これらの施設の設計は、建築家、黒川紀章による。
03/14/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2017 桃太郎 旅日記 さんさん広場 さんさん広場は、吉備高原都市のセンター施設、きびプラザに隣接したイベント広場。センター施設の玄関口で、広場を囲むように、吉備の国の中心施設であった「吉備津神社」の回廊をイメージできる円形の建物や芝生広場もある。これらの施設は、吉備プラザと共に黒川紀章による設計。
03/13/2017 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ どうぞのいす 無添加にこだわり、安心して食べられる食事やスイーツを提供する店が岡山県の真ん中の吉備高原都市の吉備プラザ入口にある。主なものは、おかやま地鶏の和風舞茸ラーメンセット、手作りとろろプリン、手作りとまとジュースなど。
03/13/2017 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ 郷土料理まきば 岡山県の真ん中吉備高原都市の中心にあるきびプラザ2Fにある郷土料理店。主なメニューは、郷土料理くさぎ菜のかけめし、くさぎな定食、和定食、まきば弁当、その他定食、うどん、手づくりのシフォンケーキ、トアルコ・トラジャのコーヒーセットなど
03/12/2017 / 最終更新日時 : 03/21/2018 桃太郎 博物館・資料館 岡崎嘉平太記念館 賀陽郡大和村(現吉備中央町)出身、池貝鉄工、丸善石油、全日空社長などを歴任し日中国交正常化などに功績のあった岡崎嘉平太氏の生涯とその思想や数多くの功績を次の時代の人々に伝えるための顕彰記念事業として平成13年に開館。
03/12/2017 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ ごっつおう 地元吉備中央町で生産された農産物や山の幸を使用して、この地伝統の家庭料理、お祭りの時に町内で作るチラシ寿司や鯖寿司。特産のブルーベリーを使用したカレー、米粉のピザ、新鮮な野菜・果物を使用したサラダ・デザート、大鍋田舎汁など約30種類が食べ放題。
03/12/2017 / 最終更新日時 : 02/28/2018 桃太郎 ホテル・旅館 吉備高原リゾートホテル 吉備高原都市の中心部「きびプラザ」内にあるホテル。岡山県のほぼ中心部にあり、岡山空港や岡山市、高梁市や総社市などどこに行くのも便利。何といっても素晴らしいのは、高原地帯に忽然と現れた近代都市とその周囲に残っている自然に抱かれた伝統的な神社、仏閣や自然に溶け込んだ山村の暮らしの両方に接することができること。
03/12/2017 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ ㈱山田養蜂場 地方分散の重要性が叫ばれる中、相変わらず東京への一極集中が続く今日、豊かな自然のなかで、その恩恵をいっぱい浴びながら、着実に実績を上げている会社が鏡野町にある。それが、「ひとりひとりのために」という創業の精神のもとに、ミツバチ製品を、長年送り続けている山田養蜂場。
03/11/2017 / 最終更新日時 : 03/11/2017 桃太郎 旅日記 吉備高原ー賀陽地区ー この風景、山の上にあると思えますか。でも標高300~500mの山の上の風景なのです。岡山の吉備高原では、このような風景があちこちで見えます。そして、こういった地形を表わす、「野呂」(ゆるやかな地形)とか「八丁綴」とかいった地名が残っている。
03/10/2017 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ 道の駅かよう 岡山自動車道賀陽ICより車で3分程の国道484号線沿いに設けられた道の駅で、吉備高原産の新鮮な野菜や果物を農家直販の「有機の郷かよう直売所」、特産物の加工品、日用品などを販売する「高原マーケットかよう」、「和風レストランかよう」などを併設した総合施設となっている。
03/09/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 妙本寺本堂 骨格は、鎌倉時代建造ー弘安4(1281)年又は建治元(1275)年ー当初のものと推定されている。南北朝時代から戦国時代にかけて無住期間があり、天正11(1583)年に大改修され、その後も幕末に改修、平成3(1991)年に解体修理されている。
03/09/2017 / 最終更新日時 : 10/11/2020 桃太郎 国指定重要文化財 妙本寺番神堂 室町時代後期の明応6(1497)年、京都吉田神社の神官で神道長の卜部兼俱が、京都の工匠に命じて建立、寄進したものとの伝承がある。華麗な極彩色の彫刻が施され、桃山時代の特色を持つ優れた建造物である。
03/09/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 妙本寺 備中野山郷の地頭として関東から赴任して来た伊達弾正朝義公が、鎌倉時代の弘安4(1281)年に日蓮上人の弟子の日像上人を招いて開基と定め創立した。その後、正和の頃京都から大覚大僧正が来て、日蓮宗の西国の拠点としたため”西身延”とも呼ばれた。
03/08/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 吉川歴史民俗資料館 旧吉川村役場を保存利用したもので、明治27(1894)年の建築。上部にバルコニーを設けたアーチ状の玄関ポーチを有する和洋折衷木造二階建ての建物。展示物は、村内で使われていた昔ながらの農具、生活用具、祭礼具等。吉備中央町指定重要文化財。
03/08/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 重森三玲記念館 旧賀陽町(現吉備中央町)出身の昭和を代表する造園学者、重森三玲の生誕100周年を記念して整備した記念館(平成8年完成)。記念館には「日本庭園史大系」(全35巻)をはじめとする多数の著書、全国各地各時代の名園約500庭の実測図などを収蔵するとともに、三玲の残した書画などが多数展示されている。
03/07/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 吉川八幡宮随身門 室町時代の応永12(1405)年建立の正面が5.4m、側面2.9mの入母屋造り、檜皮葺きの八脚門。
03/07/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 吉川八幡宮拝殿 元治元(1864)年建造、類例の少ない切妻造り、妻入栩葺きの縦長拝殿で、海老虹梁で本殿と繋ぐ。県指定重要民俗文化財「吉川八幡宮当番祭」で伝統的に使用され、神社建築および祭礼を考える上で貴重な建物である。
03/07/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国指定重要文化財 吉川八幡宮本殿 室町時代初期の応永2(1395)年再建時の棟札があるが、組み物や蟇股などの特徴から、室町時代後期の建造とみられている。本殿を建てるときには、縦挽(たてび)きの鋸(のこ)が一切使われていない。平成8年度から3ヶ年かけて改修工事が行われた。
03/07/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 国指定重要文化財 吉川八幡宮 旧黒山村に第15代応神天皇の巡幸があったと伝わる天安元(857)年に八幡宮を祀ったのが始めといわれる。平安時代後期の永長元(1096)年になって現在地に遷座、京都・岩清水八幡宮の別宮として繁栄した。本殿が国指定重要文化財で、随身門と拝殿が岡山県指定重要文化財に指定されている。
03/05/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 ハイキングコース 熊山 山頂付近は、熊山奥吉原郷土自然保護地域に指定されており、展望台からは、岡山平野を流れ下る吉井川や、遠く小豆島、屋島など瀬戸内海とその周辺の景色を望むことができる。また、周辺には奈良時代の築造と言われる「熊山遺跡」や児島高徳が挙兵をしたと伝わる熊山神社などがありハイキングコースも整備されている。
03/05/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 猿田彦神社 熊山の山頂にある熊山奥吉原郷土自然保護地域内に祀られている神社。かっては帝釈山霊山寺があった地域なので、明治以前の神仏習合の時代には、帝釈山霊山寺や熊山神社と共に一体的な霊場であったのであろう。参道脇には大国主命の御旅所があるので今は熊山神社の摂社か末社なのだろうか?
03/04/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 天然記念物 熊山奥吉原郷土自然保護地域 スギ、モミの巨樹をはじめとする針葉樹にスダジイ、ヤブツバキ、ヤブニッケイ等常緑広葉樹による天然林が形成されている。一部には海岸植生の代表であるウバメガシの大樹も見られ、県南部地域の潜在植生をうかがううえで貴重な存在となっている。
03/04/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 熊山遺跡 標高508mの熊山山頂にある全国に類例を見ない石積み遺構で、ほぼ方形の基壇の上に、割石で三段に構築している。第一段は南面が狭く、北面が広い台形、第二段は、南面が広く、北面が狭い台形になっている。第三段は、方形であるが、中央部分に大石で竪穴の蓋がしてある。戒壇に似た、類例のない特殊な遺構である。
03/04/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 帝釈山霊山寺跡 帝釈山霊山寺は、奈良時代、鑑真和上が建立したと伝わる寺で、熊山修験道の拠点となっていたと言われている。現在は、霊山寺本堂に通じる階段跡、「鐘楼か観音堂跡」と思われる遺跡や塔身に「僧顕空 正應五壬辰七月十日」と刻まれた、霊山寺にいた僧顕空のものと思われる供養塔などが残っている。
03/04/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 児島高徳挙兵の跡 児島高徳が25歳の年、足利尊氏が叛いて九州から攻め上がって来た時に、上寺山の館から熊山に旗挙げー建武3(1336)年4月ーをして新田義助を助けに行った所。熊山神社境内、拝殿に向かって右側には、児島高徳が腰掛けたと伝わる岩と旗を立てたと伝わる岩が、前後に並んで鎮座している。
03/04/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 熊山神社 熊山の山頂に祀られている熊山神社は、切妻平入り神明造りの本殿で、祭神は大国主命。熊山山頂付近には中世「帝釈山霊山寺」の伽藍があり熊山神社はその鎮守であった。明治初期の神仏分離令により開扉。境内には、児島高徳挙兵の跡として、上寺山の館から熊山に兵を挙げた時の腰掛岩と旗立岩がある。
03/03/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山實相院 この地にある寺院全体を大瀧山と称し、奈良時代に鑑真和上によって熊山と共に開かれ、現在は、本堂を中心に3ヶ院がありこれらを総称して福生寺と呼ぶ。寺には山号・寺号・院号があり、山号を大瀧山、寺号を福生寺、院号をそれぞれ西法院、福壽院、實相院と言う。ここ實相院は他の2寺院同様、高野山真言宗の寺院。
03/03/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山福壽院 福生寺には江戸時代13ヶ寺があったが明治以降現在の3ヶ院のみとなった。福寿院は實壽院、本命院、西明院が合併し、当時大瀧山の本坊西明院を福壽院として残し現在に至っている。高野山を本山とする真言宗の寺。聖観世音菩薩を本尊としている。
03/03/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山西法院 広島県の大聖院を起点として、山口県、岡山県と巡り広島市の観音寺を終点とする、「山陽花の寺」24ヶ寺の第14番札所。境内には約3万本、15種類のアジサイが植えられており、6月中旬から7月下旬にかけて楽しめる。
03/03/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山福生寺経蔵 本堂の後ろ、向かって右側に大師堂が、左側に経蔵が建てられている。経蔵は、寂應律師により延享3(1746)年に建立。内部の輪転式、八角形の書庫は、一切経を所蔵、全国的にも珍しいものである。
03/03/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山福生寺大師堂 福生寺は、天平勝宝6(754)年に鑑真和上により創建、報恩大師が備前四十八ヶ寺を整備するにあたりその一つに加えた寺。創建当初は天台宗であったが、早い時期に真言宗に改宗。大師堂は、江戸時代中期の天和2(1682)年に、岡山藩主池田綱政による本堂再建時に建立されている。
03/02/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山福生寺仁王門 応永4(1397)年、3代将軍、足利義政の命によって建立され、元和6(1623)年に檀信徒の寄付により改築。入母屋造、本瓦葺、三間一戸八脚門で桃山式の特色を有している。仁王門の上に掲げられている「大瀧山」の額は佐文山の書として有名。
03/02/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山福生寺三重塔 室町幕府6代将軍足利義教の命によって室町時代後期の嘉吉元(1441)年に再建されたと伝えられる。高さ19.8m瓦葺で、三重塔としては低い方に属するが、室町時代の様式を備えた貴重な塔で国の重要文化財に指定されている。塔内部には来迎柱、来迎壁、須弥壇が設けられ大日如来座像が安置されている。
03/02/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山福生寺本堂 福生寺は、天平勝宝6(754)年に鑑真和上により創建され、報恩大師が備前四十八ヶ寺を整備するにあたりその一つに加えた寺。本堂は、棟木墨書から江戸時代中期の天和2(1682)年に、岡山藩主池田綱政により再建されたことがわかる。正面五間、側面五間という中世仏堂形式をとっている。
03/02/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大滝山福生寺 奈良時代の天平勝宝年間(749~756)に鑑真和上により開基、足利義教によって再興されたと伝えられる古刹。三重塔は15世紀中頃の建立で国指定重要文化財。本堂、仁王門は県指定重要文化財、大師堂は市指定重要文化財。西法院はアジサイ寺として知られており6月中旬から7月中旬まで約7万本が楽しめる。
03/01/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 小川山 常念寺 自性院 常念寺 自性院は、日野富子が亡き夫、室町幕府八代将軍、足利義政の供養をするため、義政の造営した、京都東山にある慈照寺(銀閣)にちなみ建立した寺といわれている。寺の庫裡の脇の建物には、足利幕府8代将軍の供養塔と将軍の正室、日野富子の墓と伝えられる宝篋印塔が建てられている。