06/30/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 国清寺 釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の禅寺で、慶長14(1609)年池田利隆が建立し、当初は法源寺と号した。その後、池田家の国替などによって寺歴は複雑化しているが、寛永9(1632)年、池田光正が鳥取から移封されると、彼は祖父輝政・父利隆を祀る寺として、国清寺と改称した。
06/29/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 長泉寺 薬園山長泉寺は、永正6(1509)年創建の真言宗御室派の寺院で、開創当時、周辺に備前国の薬草園が広がっていたことから山号を薬園山としたと伝えられている。本尊の薬師三尊の外陣右に弘法大師像(明暦元年在銘)が、左には大日如来が祀られている。
06/29/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 妙林寺 寛永9(1633)年の備前藩、池田光仲と因幡藩、池田光政の国替えの際、慈雲院日意上人が光政公に従い、旧山崎町に因幡から寺院を移し建立したのが起こりといわれている。その後、貞享3(1686)年、一往院日周上人が現在地に移転、元文元(1736)年現存する堂宇を建立した。
06/28/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 光珍寺 宇喜多氏の菩提寺として、秀家ファンの多くが訪れる光珍寺。岡山空襲により焼失したため今は鉄筋の建物の中の3階に本堂があり、向かって左側には宇喜多氏の祭壇が祀られている。元は、東隣する岡山寺と同一の寺院で、慶安5(1652)年、光珍寺と岡山寺に分割されている。
06/28/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 金刀比羅神社 宇喜多直家が岡山城に入城した時の城下町整備で創建された、旧山陽道に面した神社。昭和20年6月29日の岡山大空襲により付近一帯が焼け野原となるも、翌年には本殿と社務所が再建されたとか。狛犬や石灯籠、手水鉢にその痕跡が残っているのが戦災の恐ろしさを物語っている。
06/27/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 瑞雲寺 この寺は、暦応年中(1338~1341)多田頼貞の嫡子能勢太郎左衛門頼仲の創建といわれ、満願山成就時と呼んでいたが、岡山藩主小早川秀秋を葬ってから、その法号「瑞雲院殿前黄門秀厳日詮大居士」にちなみ瑞雲寺と改称。小早川秀秋の墓は本堂の中にあり、秀秋の木像も安置しており、これを稲葉塚と呼ぶ。
06/25/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 法界院 法界院の開山は天平年間(729)報恩大師と伝わり、本尊の木造聖観音立像(国指定重要文化財)は、脇仏の多聞天、持国天と共に平安時代の藤原中期作の秘仏で、33年ごとに開扉される。仁王門は重層八脚門で、楼門としては県下で屈指の規模である。縁日は毎月の21日で(午前中)、多くの人で賑わう。
06/25/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 妙善寺 かっては福輪寺という真言宗の寺であったが、南北朝の初め、大覚大僧正と時の住職が法輪の末、大覚に帰依して日蓮宗に改宗した。寛文7(1667)年岡山藩の厳しい迫害と弾圧を受け無住となり、その後、堂宇も取り壊されたが、明治10(1877)年津島教会所として再建、明治30年に再興。
06/25/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 招き猫美術館 江戸時代に庶民の生活の中で生まれ育った庶民芸術の代表であり、世界に誇れるものの一つである招き猫を、明治時代のものから当美術館オリジナルの招き猫まで、常設700点(木・焼き物・和紙・石・土・ブリキ等)を収集・展示し、併せて招き猫に関する作品の調査・研究・教育・普及活動をしている。
06/24/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 金山寺 報恩大師が創建、備前48ヵ寺の根本道場として栄えた名刹。その後、栄西禅師が入山ー灌室、護摩堂などを増築し法相宗から天台宗に改めた。金川城主松田氏が日蓮宗への改宗を求めたが応じず全山焼き尽くされる。のち大山寺から来た法印円智が岡山城主宇喜多直家の庇護を受け本堂、護摩堂を再建。
06/24/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 金山寺仁王門 本瓦葺の入母屋造りで、上下2層からなる楼門である。岡山藩主池田光正の寄進により正保2年(1645)に再建された。建物規模は、下層正面が6.1m、側面が4.4mを測る。柱には「チマキ」(柱端部の丸形にくびれた部分)のある特徴を持ち、柱の上の斗栱は二手先の禅宗様(唐様)を示している。
06/24/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 金山寺三重塔 江戸時代中期の天明8年(1788)の建立で高さ26.3m。和様に禅宗様を多く取り入れたどっしりとした三重塔で、柵原町の本山寺のそれと並んで、県下では最大規模のものである。
06/24/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 金山寺本堂 戦国時代の文亀元年(1501)に兵火で焼失。その後、天正の初め(1573年以降)に再建された。桃山時代初期の建築様式を伝える貴重な建築物として国指定重要文化財に指定されていたが、平成24年(2012)12月24日午後7時半頃本堂より出火し惜しくも全焼してしまった。
06/24/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 金山寺護摩堂 戦国時代の天正年間(1573~1591)の建築。後世修理の跡が著しいが、室町時代の手法がよく残されている。
06/23/2017 / 最終更新日時 : 06/23/2017 桃太郎 旅日記 岡山市北区建部町 建部町は、中央を清流、旭川が斜めに横切り、江戸時代以前から、備前・美作の結節点として、高瀬舟が行き交い、川湊として、また、陣屋町・宿場町として大いに栄えた。建部の地名は大和国家が成立した頃、日本武尊の御名代の地、「たけるべ」に由来すると伝えられている。
06/23/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 森林公園等 たけべの森公園 たけべの森公園は、岡山県のほぼ中央 国道53号線から少し入った所。良く整備された芝生広場、清潔なトイレ 家族連れや仲間達と一日を過ごすことができ、特に、春の桜やツツジ、初夏のあじさい、夏のキャンプ、秋の紅葉狩り、自然を楽しみながらのウオーキングにも最適。
06/21/2017 / 最終更新日時 : 03/04/2018 桃太郎 公的宿泊施設 たけべ八幡温泉 岡山市北部、清流旭川の右岸にある、眺望を生かした日帰り入浴温泉施設。大浴場、露天風呂、サウナ、家族風呂などがあり、源泉かけ流しの浴槽も完備、ゆっくりと横になって入る寝湯は、内湯でありながら空を眺めながら入浴が可能。
06/21/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 志呂神社 志呂神社は、作国が備前国から分国した奈良時代の和銅6(713)年の創建と伝えられる古社。現在の本殿は、中山造より発展した総欅造の出向拝を備えた入母屋造妻入で、江戸時代後期の嘉永元(1848)年の改築。秋の大祭に奉納される […]
06/20/2017 / 最終更新日時 : 06/24/2017 桃太郎 旅日記 岡山市北区御津地区 町の中央部を旭川が南下し、これに宇甘川、新庄川が合流している。この町の中心地、金川は南北を結ぶ水陸交通の要衝として発展し、室町から戦国時代にかけては、戦国最大の士豪松田氏が城を築いて、その城下町として、江戸時代になると岡 […]
06/19/2017 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ まつだ牧場 岡山空港から御津方面へ抜ける県道61号線、御津方面に向かう時、徳倉城跡付近を左に入ってしばらく進んだ所に、のどかな牧場が開けてくる。まつだ牧場と書かれた大きな石を左に見ながらすこし登るとおいしいジェラートの店が……。牧場ののどかな風景を眺めながらのジェラートもまた格別。
06/18/2017 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 花の見所ーサクラー かながわ桜並木 宇甘川河口の右岸堤防上に、ソメイヨシノ約100本が植えられており、さくら祭の期間中には、提灯やライトアップの点灯もなされ、夜桜を楽しむことができる。特に4月の第1日曜日には「金川さくら祭り」のステージイベントも開催され、各種出店も出店され多くの人々で賑わう。
06/18/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 岡山市御津郷土歴史資料館 岡山市御津郷土歴史資料館・交流プラザは、江戸時代に建てられた武藤家(西武藤邸)を再生して平成15(2003)年に開館。館内には、旧御津町から出土した考古遺物・民俗資料や御津町出身の書家、柏菅純美(号・渓雨)氏から寄贈された本人の作品・収集品を所蔵、順次展示している。
06/18/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 グルメ かながわSAKAGURA 江戸時代後期から明治初期にかけての地主、武藤家の跡である。武藤家は酒造業などで財を成した。現在は、かっての景観を守りながら、だれでもが気楽に利用できる文化センター兼レストランとして改装している。一定期間ごとに展示品の入れ替えがあり、各種の作品が楽しめる。
06/18/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 碑(文学碑等) 瀧善三郎義烈碑 慶応4(1868)年、岡山藩家老日置帯刀率いる岡山藩兵の隊列を外国兵が横切るのを、藩士が制止しようとして外国兵に傷を負わせるという事件(神戸事件)が起きた。その責任者として時の先鋒隊長瀧善三郎は神戸永福寺で外国事務係伊藤俊介(後の博文)や外国代表の前で割腹自殺した。
06/18/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 難波抱節先生顕彰碑 難波抱節は、幕末の、日置家の侍医で、備前、備中、備後地方屈指の漢方医、産科、種痘の先駆者として知られていた。胎座新書(産科)、散花新書(種痘)等の著書も多く、全身麻酔をして乳癌などの手術をしたと伝えられている。邸宅跡は現在、妙覚寺の所有となっているが、今日なお当時の遺稿を伝えている。
06/17/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 七曲神社 七曲神社は松田氏の氏神として、長禄元(1457)年ごろ神奈川県七曲山から金川に勧請されたと伝えられている。三十六武仙図は、古代の吉備津彦命から室町時代の足利義満まで三十六人の武将を選んで、狩野十兵衛が桧板6枚に描いたもので、日置忠明が武運長久を願って、寛文13(1673)年に奉納。
06/17/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 主な庭園 妙覚寺 不受不施派は、祖師日蓮聖人と中祖日奥聖人の教えを厳守した唯一の教団である。徳川幕府の宗教政策に抵抗した為に、江戸時代にはキリスト教と共に激しい弾圧を受けた。しかし、禁制が解かれた後の明治9(1876)年、日正聖人が、法華宗を外護した松田氏の本拠地金川に祖山妙覚寺を再興した。
06/17/2017 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ そば河原邸 江戸時代後期(母屋)から明治時代(離れ)にかけて建てられた伝統建築物である旧大庄屋を、歴史再発見の場として、また学習、交流の場として整備。週末には、旧庄屋の座敷で美味しい蕎麦をゆったりと味わっていただけるよう、売り切れごめんで「そば河原邸」の営業も行っている。
06/16/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 郷土記念物 徳蔵神社の森 徳蔵神社は、古事記に登場する天児屋根命を祭っているといわれる由緒ある神社で、地元の鎮守の森として住民に親しまれている。周囲の森林は、シイノキを優占とし、アタカシ、ナナメノキ、スギなどが混生し、自然の状態が良く保存されている。このようなシイノキの大木が群生する森は県下では珍しい。
06/16/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 徳倉城跡 御津金川と岡山空港を結ぶ、県道61号線沿いの遠藤山上にあった城跡。本丸の石垣がよく保存されており、岡山県指定史跡に指定されている。戦国時代、金川城主松田氏の支城としての時代が続いたが、城主宇垣一郎兵衛の時、宇喜多直家により謀殺。宇喜多氏の家臣である遠藤河内が城主となるも、関ヶ原合戦後、廃城となった。
06/16/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 城跡 虎倉城跡 築城の時期は、定かではないが、虎倉物語によれば、伊賀伊賀守が、赤坂郡鍋谷の城から移ったとあるが、それは備前軍記等から文明12年ごろと推定される。一説によれば伊賀兵庫頭が応永のころ築城。また、大永7年服部伊勢守築城という説もある。城主は伊賀勝隆ー久隆ー与三郎家久の名が知られている。
06/14/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 城跡 玉松城跡ー臥龍山ー 戦国時代初め文明12(1480)年頃、松田元成が本拠を金川に移して以来、永禄11(1568)年7月5日、宇喜多直家に攻められ落城するまで、5代約90年にわたって西備前随一の山城として栄えた。現在は臥龍山自然公園として整備され、城跡には、供養塔や天守の井戸などがみられる。
06/13/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 彦崎貝塚 縄文時代前期~後期にかけてつくられた貝塚。かって灘崎から現在の児島半島にかけては、縄文時代には島であった。そのため、この周辺は、西日本でも有数の貝塚密集地としてよく知られていた。彦崎貝塚からも縄文時代の彦崎式の土器や多く […]
06/13/2017 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 花の見所ーサクラー 奥迫川の桜ー通称・大山桜ー 岡山市の南部奥迫川の標高150mの傾斜地にある樹高約20m,推定樹齡約300~500年の桜。エドヒガンとヤマザクラもしくはカスミザクラとの雑種。地元の人達による手入れや、樹木医による治療の効果もあり樹勢は旺盛で春には見事に開花し,多くの花見客で賑わう。県南部最大級の桜。
06/12/2017 / 最終更新日時 : 03/11/2018 桃太郎 テーマパーク 岡山市サウスヴィレッジ 岡山市サウスヴィレッジは、市の南部に位置する南欧風の農業公園で、芝生広場やアスレチック広場、いちご狩りやぶどう狩りなどの収穫体験ができる農場、そして、地元農家で採れた新鮮な野菜や果物を販売する直売所ーロードサイドマーケットーがある。
06/11/2017 / 最終更新日時 : 06/11/2017 桃太郎 旅日記 岡南地区 岡山市南区の内、南を児島湾、児島湖に面し、東を旭川、西を笹ヶ瀬川で挟まれた地域で、特に、現在延伸中の外環状線を中心とする地域。地域のほとんどが干拓によって造成されており、広い敷地面積を生かした工場、商業施設や公共施設、農地、住宅団地が多い。
06/11/2017 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ お好み工房Santa 店が清潔で、お好み焼きも美味しい。個人的には、ふっくらとした食感の山芋豚玉がお勧め。名前を登録すれば誕生日などにはサービスの案内が来ます。おすすめの店です。ウイークデーの昼には、ドリンクバー無料。浦安総合公園から少し北に寄ったところ。
06/10/2017 / 最終更新日時 : 03/11/2018 桃太郎 ショッピングセンター・モール 岡南タウン 岡山市築港新町は、岡山市南部地域の街づくりの拠点の一つで、天満屋ハッピータウン岡南店とそれに隣接して、10スクリーンのシネマタウン岡南がある。この街のすぐ近くには、小型飛行機の発着場である岡南飛行場、少しはなれたところには、広大な岡山市浦安総合公園がある。
06/10/2017 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ 岡山市中央卸売市場ふくふく通り 岡山市中央卸売市場というと特定の業者の方のみしか入れないと思っている方も多いと思いますが、そうではありません。一般の方達も購入できる店舗も併設されております。ここでは、ジェラートショップ メルカート セントラレや海鮮丼を提供する食事処なども営業。
06/09/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 総合公園 岡山市浦安総合公園 西地区(面積約8.6ha)。約2.4haの芝生広場や水景施設など、「水と緑を基本テーマ」に静的な活動・利用ができる園庭的な施設を配置し、平成10年春に開園。日本宝くじ協会から寄贈された大型木製遊具「子供夢が島」は子供たちに喜ばれており、週末は家族連れで賑わっている。
06/08/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国立公園 瀬戸内海国立公園 東児島地区 児島半島の最高峰・金甲山から東へ東光寺山・貝殻山・八丈岩山を結ぶ一連の山からは、直島群島や四国の連山、或いは岡山平野を眼下に望み、遠くは中国山地を一望に収める絶好の展望地である。金甲山へは頂上までまた、貝殻山、八丈岩方面へは、頂上近くの登山口まで車道や駐車場が整備されている。
06/08/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 空港 岡南飛行場 岡南飛行場は、昭和37年岡山空港として開港、昭和63年、新岡山空港開港に伴い、それまでの岡山空港を小型機専用の飛行場として運用開始。管制塔のあるビルの3Fに上がることが出来、日常から離れた広い空間や飛行機の発着を楽しむことが出来る。予約すれば遊覧歩行を楽しむことも可能。
06/07/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国立公園 瀬戸内海国立公園 金甲山 瀬戸内海国立公園に属し、標高は403m。山頂からは、南に瀬戸内海の多島美や瀬戸大橋の遠景を、また北方には広大な干拓地である岡山平野を望むことができる。この山の名は奈良末期、由加山に棲む鬼を退治に来た坂上田村麿呂が、戦勝祈願の為金の甲を埋めた事から名づけられたという。
06/07/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国立公園 瀬戸内海国立公園 天目山 標高220m。児島半島の光南台スカイラインを金甲山方面から貝殻山方面にドライブする途中にある展望所。児島半島の稜線にあたる所で、南側は玉野市、北側は岡山市に属する。瀬戸内海の眺望は最高。春はツツジの花が咲き乱れる。近くに虎口池キャンプ場への入口がある。駐車場・休憩舎あり。
06/07/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国立公園 貝殻山市民憩いの森 児島半島東端近くの小串・阿津地区に造られた公園で、春はコバノミツバツツジ、サクラ、ハナショウブ、フジなどの花が咲き乱れ、岡山県花の見所としてもよく知られている。他に野鳥観察や4月中旬から5月上旬頃には、中央広場近くでは「わらび」摘みを楽しむこともできる。
06/06/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国立公園 瀬戸内海国立公園 貝殻山 瀬戸内海国立公園の東児島地区にある標高289mの山地で、頂上は岡山・玉野市境となっている。貝殻山の名は、山頂東部付近から貝殻が発見されたことに由来する。花崗岩からなり、山頂はなだらかな丘陵地形で展望台や遊歩道、駐車場も整備されている。山頂広場からの展望がすばらしい。
06/05/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国立公園 瀬戸内海国立公園 三頂山 児島半島の先端部近く、駐車場から15分ほどで登れる所に、大きなたくさんの岩がむき出しになった山が見える、これが三頂山である。春には、低潅木の明るい山肌につつじの花が美しく、秋には澄み切った青空と北に広大な岡山平野、南に瀬戸内の多島美の眺望を楽しむことが出来る。
06/04/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国立公園 瀬戸内海国立公園 八丈岩山 八丈岩山は、瀬戸内海国立公園東児島地区の東端に位置し、八丈岩山を中心に自然探勝路、休憩舎などが整備され内海の展望を楽しみながら、自然とのふれあいができる。又西方にある貝殻山、天目山、金甲山にも、園地、休憩舎等があり、四季を通じて利用することができる。
06/03/2017 / 最終更新日時 : 06/04/2017 桃太郎 旅日記 妹尾地区 妹尾は庭瀬藩主戸川氏の陣屋町で、盛隆寺とその塔頭群、御前神社など由緒ある神社仏閣をはじめ陣屋の町並みが残っている。一方瀬戸大橋線南側の東畦は江戸時代後半以降に行われた干拓地で、最近「せのおニューシティ」という大規模な宅地開発がなされてきた。駅の両側で全く異なった顔を持つ町である。
06/03/2017 / 最終更新日時 : 06/03/2017 桃太郎 旅日記 岡山西ふれあいセンター 地域住民の交流や、健康づくり、生涯学習を促進するための福祉サービスを提供。岡山市の機関である南区西福祉事務所、西保健センターも併設している。建物北側に普通車100台程度駐車可能な駐車場有。センター内には、レストランや喫茶室は無し。
06/03/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 栗村神社本殿 栗村神社は、吉備津神社72末社のひとつといわれ、周囲や本殿の床下には磐座(いわくら)と思われる巨岩がある。本殿は三間二間の入母屋造社殿で、内部は宮殿を安置し、その左右に小部屋を造り髄神を祀る。建立の時期は宮殿内部の扉銘板から元禄15(1708)年とみられる。
06/03/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 栗村神社 このお宮の縁起口碑によれば、当社は中山七十二社の末社の一つであり妹尾叔奈麻呂の新居跡である。叔奈麻呂は吉備津彦の軍に従い早島の海賊を三嶋部の大依別(おおよりわけ)と部下の足速男(あしはやお)等と謀って賊軍を打ち果す等の功績ありし人であり、その功により中山七十二社の一つに加えられた。
06/03/2017 / 最終更新日時 : 03/21/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 つちえの井戸 この付近は瀬戸の穴海に浮かぶ早島の東端に近い所で、海辺では塩水が湧き飲用には使えなかった。この井戸は山側にあったため良水が湧き共同井戸として地区の人々に使われてきた。当時の妹尾地区の生活の様子を知る上で大切にしていきたい井戸である。
06/03/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 粟村天満宮 妹尾小学校の北西に位置する栗村神社境内に、学問の神として全国的に崇敬厚い菅原道真公の御分霊を大宰府天満宮より拝領して奉斉している。
06/02/2017 / 最終更新日時 : 06/03/2017 桃太郎 旅日記 庭瀬藩主戸川家墓所 庭瀬藩初代藩主戸川達安をはじめ戸川家歴代の墓地。戸川達安は宇喜多秀家の家臣であったが、宇喜多家のお家騒動で徳川家康の家臣となり、関ヶ原の戦いでは東軍として活躍、庭瀬藩主となる。早世した妹の冥福を祈りたいという母の意を察して日鳳上人を開祖に迎えて、ここ啓運山盛隆寺を開創した。
06/02/2017 / 最終更新日時 : 06/02/2017 桃太郎 旅日記 啓運山盛隆寺菩提樹 釈迦国の王子お釈迦さまが、29歳で出家、修行をかさね、35歳で宇宙人生の真理を、インド・ブッダガヤの樹下でさとられ仏陀となられた。それ以来お釈迦さまは、樹下石上を住いとして、教化、説法を続けられ80歳を一期として、ご入滅されたと伝えられる。この樹下というのが菩提樹。
06/02/2017 / 最終更新日時 : 06/02/2017 桃太郎 旅日記 啓運山盛隆寺仁王門 現在のものは宝暦12(1761)年日領上人の代に改築されたものである。なお、仁王像は日蓮宗にはないもので、これは、この寺が真言宗であった当事のものである。
06/01/2017 / 最終更新日時 : 06/02/2017 桃太郎 旅日記 妹尾太郎兼康頌徳碑 妹尾太郎兼康公は、平家武将でここ妹尾に州浜城を築き、数多くの武功をたてたとされている。領内においては新田を開発、高梁川の湛井から水を引き、湛井井堰を開発すると共に用水路の整備をし、用水流域の12箇郷68ヶ村を干ばつから守った。
06/01/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 啓運山盛隆寺 庭瀬領主戸川達安公の妹君が、嫁ぎ先の宇喜多家で亡くなられたのを母堂の妙承尼が嘆き、悲しまれ、お寺を建てて姫君の冥福を祈ろうと思いたち、達安公もその死を哀れむと共にご母堂の心のうちを察しその願望を叶えてあげよう当山を開創、日鳳上人を開祖に迎え啓運山盛隆寺と名付けた。