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東区-芥子山より

市内東部に位置し、吉井川の恵みを受けて、古くから門前町・西大寺を中心に栄えた区域。伝統文化が大切に受け継がれている一方で、高等教育を含めた生涯学習の充実が図られ、近年は企業の進出により産業集積も進んでいる。

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Google Mapー吉備の中山及び周辺の史跡地図ー、Google Mapー岡山市内グルメマップー、

また、平成21年春に開催された「全国都市緑化おかやまフェア2009」跡地には、西大寺緑化公園、体験学習施設百花プラザ西大寺グリーンテラス、岡山市東区役所などが建設され、はだか祭りで全国的に知られた観音院の古い門前町に加えて、新しい都市像を持った一角が整備され、河畔の町に一層の魅力が加わった。

稲作や酪農、果樹栽培など、多種多様な農業活動も営まれており、農業従事者の割合が多いことも特徴の一つ。

主な見所

犬島犬島精錬所美術館宝伝⇔犬島定期船明王寺三徳園芥子山西大寺緑化公園河畔の町西大寺西大寺観音院浦間茶臼山古墳新庄山城跡万富東大寺瓦窯跡宗堂の桜大廻小廻山城跡亀山城跡岡山孤児院発祥の地安仁神社

区役所の位置ー〒704-8555 岡山市東区西大寺南1-2-4 人口ー96,718人 面積ー160.28㎢
区域ー旭東 上南 西大寺 山南 上道 瀬戸の各中学校通学区域

犬島遠景ー山之神山よりー

犬島遠景

犬島

岡山市の南東部にある犬島諸島の中にある島の一つで製錬所跡の独特の風景や石の産地として知られてきた。今ではベネッセが犬島製錬所美術館、犬島家プロジェクトなどを展開し国の内外から多くの観光客が訪れている。

犬島製錬所美術館

犬島製錬所美術館

犬島製錬所美術館

銅の精錬工場跡に遺構として残る煙突やカラミ煉瓦、犬島産の石などを利用して自然エネルギーだけを利用したエアコンシステムを組み込んだ三分一博志設計の建築と三島由紀夫をモチーフにした柳幸典氏のアートワークで構成。

あけぼの丸ー宝伝港ー

あけぼの丸

宝伝⇔犬島定期船

岡山市東区宝伝にある宝伝港と宝伝の南約3kmに浮かぶ犬島の犬島港を結ぶ定期船は「あけぼの丸」。宝伝港は両備バス「西宝伝」停留所から徒歩約5分、市営の駐車場から徒歩約4分の所にある。

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西大寺緑化公園

西大寺緑化公園

西大寺緑化公園

西大寺緑化公園は、2009年開催の全国都市緑化おかやまフェアの主会場跡地に整備された公園で、せせらぎや林床花壇、子ども用遊具のほか、多目的広場、はらっぱ広場、体験学習施設百花プラザがある。

西大寺観音院と吉井川

観音院と吉井川

河畔の町西大寺

観音院を中心に発展した門前町。吉井川沿いに広がっており、かっては高瀬舟の発着地としても栄えた。「全国都市緑化フェア」跡地に造られた平成の街と門前町の両方を徒歩圏内で楽しむことが出来興味深い。

西大寺観音院

西大寺観音院

西大寺観音院

奈良時代の創建と伝えられる古刹で、吉井川沿いに開けた西大寺地区は、観音院の門前町として発達してきた。毎年2月の第3土曜日に「裸祭り」がとりおこなわれ、まわし姿の群集が宝木を奪い合う。

観音堂と本堂ー明王寺ー

観音堂と本堂

明王寺

奈良時代末期に報恩大師の開基と伝えられ、備前四十八ヶ寺の一つに列する天台宗の古刹である。聖観音立像は平安時代前期の作とみられる体長148cm、カヤの木の一木造り。

農業展示館ー三徳園ー

農業展示館

三徳園

竹原出身で第一生命保険㈱の創設者、矢野恒太翁により創設された三徳塾を前身とする農業者研修施設。入園無料で広く一般の人々にも開放され、農業公園としても親しまれている。

吉井川・岡山平野・児島湾方面ー芥子山山頂よりー

吉井川・岡山平野・児島湾方面

芥子山

備前富士として地元の人達に親しまれている。山頂からは、吉井川河口、干拓により出来た岡山平野、児島半島方面を眺めることができる。操山と共に岡山後楽園の借景ともなっている。

浦間茶臼山古墳ー北面ー

浦間茶臼山古墳

浦間茶臼山古墳

3世紀末頃に造られた、吉備地方でも最古の前方後円墳と推定されている。円墳頂部には巨大な乱掘壙が残されているが、近年(1988)の発掘調査により長大な竪穴式石室をはじめ、銅鏡など多数の遺物が出土した。

新庄山城跡方面ー三徳園よりー

新庄山城跡方面

新庄山城跡

三方が小高い丘に囲まれた三徳園の南東部には、戦国時代の山城、新庄山城跡があり、この山城跡を巡るハイキングコースが整備されている。ここからは、山麓の三徳園は勿論、北部の東平島、瀬戸方面など周辺地域の眺望を楽しめる。

万富東大寺瓦窯跡ー大寺山地区ー

万富東大寺瓦窯跡ー大寺山地区ー

万富東大寺瓦窯跡

源平の戦いで焼失した東大寺大仏殿を、鎌倉時代初期に再建した際、その瓦を焼いた窯跡の一つ。大寺山および上の山と呼ばれる丘陵の斜面に窯場跡が、平坦部に、礎石建物、暗渠排水施設、竪穴遺構などが発見されている。

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宗堂桜

宗堂桜

宗堂の桜

八重桜の1種で花弁の直径は約3cm、花弁の数は60枚、内20枚くらいが内に向かって屈曲して二重の弁となる。この桜を植え、大変愛していた雲哲日鏡上人が若くして殉教したのを悲しみ、花は開ききることがないとされている。

小廻山ー草ヶ部大池よりー

小廻山

大廻小廻山城跡

鬼ノ城と同時期、東アジア情勢が緊迫した7世紀頃に築造されたと推定。発掘調査の結果、列石と版築盛土からなる土塁を3.2kmに渡って周囲に巡らせており、土塁が谷部を渡る3箇所には石積みの防塁を伴った水門が造られている。

亀山城跡

亀山城跡

亀山城跡

湿田の中に島状に並ぶ二つの丘陵に築造された連郭・輪郭式折衷の山城。宇喜多直家が永禄2年に主君浦上宗景よりこの城を賜り、新庄山城より移って以来天正元年岡山城に移るまで、直家壮年時代の勢力拡大期の14年間活躍の拠点となった城跡。

大師堂

大師堂

岡山孤児院発祥の地

100年余り前、民間施設「岡山孤児院」があった。創立者で、運営のリーダーは石井十次。十次は、22歳の時、ここの大師堂で子連れの旅の母親から一人の男児を預かって以来、48歳で世を去るまで、孤児の救済と教育に人生をささげた。

乙子城跡ー北側よりー

乙子城跡

乙子城跡

宇喜多直家が乙子山に構えた連郭式の小型山城。後に備前、美作一帯を統一した直家の最初の居城。乙子城は、当時の吉井川河口付近に位置し、邑久郡の穀倉地帯である千町平野の南側を画する山々の西端にある乙子山山頂にあった。

安仁神社拝殿

安仁神社拝殿

安仁神社

平安時代の「延喜式神名帳」に載っている備前地域では最古の記録を持つ神社。宮城山山頂にあり、主祭神として五瀬命(神武天皇の兄)を祭り、社名の「安仁」は、神武天皇の「兄」を仮名書きしとことに由来すると言われている。

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