03/31/2021 / 最終更新日時 : 03/31/2021 桃太郎 神社 吉備護国神社 旧都窪郡吉備町(旧吉備郡庭瀬町と旧都窪郡撫川町が合併してできた町)関係の戦没者の霊を祭神として昭和21年に川入八幡宮の境内に創建した神社。鳥居には大国魂神社と書かれた扁額が架けられている。
03/31/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 神社 川入八幡神社 吉備の中山の最南端に鎮座している川入八幡神社は、備中守藤原宗弘が平安時代の貞観2年(860年)に宇佐八幡宮を勧請・創建した神社で、歴代の庭瀬藩主(戸川家・板倉家)が篤く崇敬してきた。
03/28/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 磐座・巨石 備前吉備津宮(吉備津彦神社)の磐座 備前吉備津宮(吉備津彦神社)の磐座ーこの忠魂碑の台座として使われている大きな石は、かってはこの忠魂碑が立っている広場より一段高い後ろ側の土地にあり、社殿は無く、この巨岩を神のヨリシロ(磐座)として吉備の中山を拝んでいたのではないかと考えられている。
03/28/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 庚申山 帝釈天 浄泉山 正法寺(じょうせんざん しょうぼうじ) 正法寺は、江戸時代元和年間(1615年~1624年)に、吉備の中山、庚申山の麓にあった藤原成親ゆかりの三つの庵室(坊)、正林坊、法住坊、月心坊を、成親の菩提供養と成親が信仰していた帝釈庚申天祭祀のため合体建立、正林坊と法住坊の頭文字を取って正法寺と名付けられたのが始まり。
03/28/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 庚申山 帝釈天 ここに祀られている庚申山 帝釈天は、宝暦年間(1751年~1764年)正法寺8世 観達院日道上人の代に、ここ庚申山の山頂近くに帝釈天堂を建立、それまで正法寺に祀られていた藤原成親信仰の帝釈庚申天を移転したのが始まり。
03/26/2021 / 最終更新日時 : 04/20/2021 桃太郎 史跡 矢藤治山古墳(やとうじやまこふん) 矢藤治山古墳は、吉備中山の南面する尾根上に築かれた前方後円墳で、前方部が撥形を呈しているのが特徴。終末期の特殊器台と特殊壺が数多く発見されたこと、棺内・外から発見された副葬品、それに撥形の前方部という特徴から弥生時代終末期~古墳時代初頭頃の築造と推定され、全国でも最古型式の前方後円墳であり吉備における最も重要な遺跡の一つと考えられている。
03/24/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 福田海本部 福田海は、聖徳太子、役行者、僧行基の法統に立つ中山通幽(なかやまつうゆう)師が、明治33年に開創、比叡山より頂いた「不滅の燈明」をかかげた陰徳積善をモットーとする宗教団体。
03/22/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 有木の別所ー有木山ー 有木の別所は、吉備の国の中心に位置し信仰の対象でもあった吉備の中山のうち、有木神社、青蓮寺、高麗寺などの寺社と関連施設のあった現在の福田海本部付近を中心に、有木山一帯を総称して呼ばれていたようで、平安時代には京の都にも広く知られていたと思われる。
03/22/2021 / 最終更新日時 : 03/31/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 有木山ー吉備の中山ー 有木山は、吉備国の中心にあり古代からあがめられてきた吉備の中山を構成する山の一つで、平安時代には有木神社、高麗寺、青蓮寺などが立ち並び脇には細谷川が流れる有木の別所として都にまで知れ渡り、数多くの和歌にも詠まれている。
03/21/2021 / 最終更新日時 : 03/21/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 藤原経衡歌碑ー福田海ー 藤原経衡歌碑ー「祈ること しるし有木の 山なれば 千とせの程も たのもしき哉」筑前守従五位上藤原朝臣経衡鼻ぐり塚で知られた福田海の境内、易塚の入り口右手に建てられた歌碑。この和歌は、大嘗会和歌集に載せられている平安中期の歌人藤原経衡の歌。
03/21/2021 / 最終更新日時 : 03/21/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 平賀元義歌碑ー福田海ー 平賀元義歌碑ー「あたらこの 成親がごと よき臣を 有木の山の うもれ木にして」元義詠 古杏書 鹿ケ谷での平家討伐の謀議が露見、この地高麗寺 有木の別所に配流、あえない最期を遂げた大納言 藤原成親卿について詠んだ江戸末期の歌人平賀元義の歌碑。福田海、鼻ぐり塚近くに置かれている。
03/21/2021 / 最終更新日時 : 03/21/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー お大師堂ー福田海ー お大師堂ー福田海の中、鼻ぐり塚の斜め前に建てられたお堂で、本尊は大師座像、そのかたわらに藤原成親卿の位牌が祀られている。
03/20/2021 / 最終更新日時 : 03/20/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 英霊堂ー福田海ー 英霊堂ー福田海境内の鼻ぐり塚へ行く途中、養老本堂の奥山側にある。英霊が奉斎され、三千体の観音像が祀られている。
03/20/2021 / 最終更新日時 : 03/20/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 鼻ぐり塚の古墳開口部ー福田海ー 鼻ぐり塚の古墳開口部ー鼻ぐり塚は円墳の上に鼻ぐりを納めたものだが、その円墳の正面開口部には馬頭観音が祀られている。
03/20/2021 / 最終更新日時 : 03/20/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 鼻ぐり塚の鼻ぐりー福田海ー 鼻ぐり塚の鼻ぐりー福田海の鼻ぐり塚に納められた鼻ぐり。鼻ぐりは牛を飼うにあたり牛を動かしたり柱や木に留め置くため、鼻に穴を穿ち鼻輪(鼻ぐり)をはめそれに綱を結んで使われていた。
03/20/2021 / 最終更新日時 : 03/20/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 護摩堂ー福田海ー 護摩堂ー福田海の境内、藤原成親遺跡に向かう山道の左側、燈明堂の下にある護摩を焚いて祈祷を行う仏堂で本尊は虚空蔵菩薩、脇士は弥勒菩薩と役行者。
03/20/2021 / 最終更新日時 : 03/20/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 仏舎利塔ー福田海ー 仏舎利塔ーお釈迦様を祀った塔で鼻ぐり塚で知られた福田海の境内を藤原成親遺跡方面へ上る途中の左側、燈明堂の上にある。福田海の案内資料によると前奈良国立博物館長 故石田茂作先生の設計によるとのこと。
03/16/2021 / 最終更新日時 : 04/20/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 円墳ー鼻ぐり塚ー 牛の鼻輪(鼻ぐり)を集めて浄祭し、円墳の上に積み上げたため鼻ぐり塚と呼ばれている。薬師寺慎一著「吉備の中山と古代吉備」(吉備人出版)には、この古墳は近くにある不動岩と密接な関係があるのではないかと書かれている。塚の前には馬頭観音の他牛と豚の像も置かれている。
03/10/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 磐座・巨石 不動岩ー有木神社ー 不動岩は福田海の敷地内、根本中堂の背後に祀られている自然の巨岩。この場所は吉備の中山の一つ有木山の麓に位置し平安時代には有木神社という神社が祀られていた。この不動岩は有木神社が祀られる以前から磐座として信仰の対象であったと考えられている。
03/10/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 史跡 有木神社ー吉備の中山ー 有木神社はかって吉備の中山の有木山山麓に祀られていた神社。現在は鼻ぐり塚で知られた福田海の敷地内に小さな祠が残るのみとなっている。しかし、有木神社についてよく調べてみると非常に興味深い事が分かってきた。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/07/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 有木山青蓮寺石碑 吉備津神社から、吉備津彦神社へ行く道路を少し歩くと右の石垣の上に「有木山青蓮寺」と書かれた標柱石が見える。有木山は「平家物語で鹿ヶ谷の謀議にやぶれ、流配の身となり最期を遂げた大納言 藤原成親の流配の地有木の別荘」で知られた所であり、高麗寺や青蓮寺跡でもある。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/12/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 養老本堂ー福田海ー 福田海の本堂で、青蓮寺の本尊十一面観世音を祀っている。また隣には、勝鬘夫人尊像(慶長8年多田朝臣雪津郎の作)を奉祭。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/07/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 燈明堂ー福田海ー 福田海境内にある不滅の常燈明を奉祀するためのお堂。このお堂の上側には釈尊を祀る仏舎利塔が下側には護摩堂が並んでいる。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/07/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 長床ー福田海ー 吉備津神社から吉備津彦神社に向かう山裾の道を少し歩くと写真のような長床が見えてくる。ここは、平家物語で知られる有木別所の跡地であり、青蓮寺、高麗寺等の寺跡でもある。現在は、福田海(ふくでんかい)本部となっており、牛の鼻ぐりを浄祭して畜類を供養する塚、「鼻ぐり塚」がある。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/11/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 「鎮遠」の錨と理源大師・役行者石造ー福田海ー 福田海(ふくでんかい)根本中堂の真後ろに祀られた「鎮遠」の錨と理源大師(左)・役行者(右)石造。「鎮遠」は日清戦争時の明治28年、日本海軍と戦った中国(当時は清国)の軍艦名。この軍艦を弔い、現在その錨が不動尊として祀られている。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/07/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 根本中堂ー福田海(ふくでんかい) ー 根本中堂は、福田海の中枢となる施設で水神を祀る施設。周りには49基の石塔があり、奈良時代に行基僧正が説いた弥勒四十九ヶ院浄土説法にもとづくもの。また、中堂の天井には瑞龍が彫られているが左甚五郎の作と伝わっているとか。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/07/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 馬頭観世音菩薩 この馬頭観音は福田海(ふくでんかい)の鼻ぐり塚となっている横穴式古墳の前に本尊として安置されている銅像。馬頭観音は、観音菩薩の変化身の1つとされるが、観音の中では唯一忿怒の形相である。六観音の一つに数えられ、馬が草を食べるように煩悩を食べ尽くし災難を取り除くとされている。
03/04/2021 / 最終更新日時 : 03/04/2021 桃太郎 史跡 門前町宮内(もんぜんまちみやうち) 門前町宮内ー宮内とは江戸時代の備中国賀陽郡宮内村のこと。備中国一宮の吉備津神社の門前町が起源。江戸時代になると、宮内は門前町として栄え、山陽道でも屈指の遊興街を形成していた。井原西鶴の著した「好色一代女」にも備中宮内として出てくる。
03/04/2021 / 最終更新日時 : 03/04/2021 桃太郎 史跡 神領会所(じんりょうかいしょ) 神領会所ー江戸時代、三代将軍徳川家光から交付された朱印状によって御朱印領となった宮内村を支配するための会所跡。神領役所ともいわれ、江戸時代の絵図によると、長屋門をくぐって広場となり、その南側に屋敷を構えていた。
03/04/2021 / 最終更新日時 : 03/04/2021 桃太郎 史跡 藤井高尚旧邸(ふじいたかなおきゅうてい) 藤井高尚は、江戸時代後期の吉備津宮の社司(しゃし)で、著名な国学者であり、本居宣長の高弟でもあった。高尚は自分の屋敷を師宣長の「鈴屋(すずのや)にならって「松の屋」と称した。中国地方をはじめ、京都、四国にも多くの弟子があり、王朝文学を教えている。
03/04/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 史跡 新宮社跡ー吉備の中山ー 新宮社跡ー吉備武彦命を祀っていた神社で平安時代の歌謡集「梁塵秘抄」に出てくる神社。明治時代の末までこの地に鎮座していたが現在は吉備津神社の摂社である本宮社に合祀されている。
03/03/2021 / 最終更新日時 : 03/03/2021 桃太郎 史跡 岡山県指定史跡 伝賀陽氏館跡 伝賀陽氏館跡ー吉備の中山の西麓の新宮社跡西方にある、幅約30mの堀で囲まれた、東西約70m~75m、南北約60mの館跡。備中国の有力者で吉備津神社の神官を務めた賀陽氏の館跡と伝わり、中世の豪族屋敷の典型的な遺構である。現在は個人の人家があり周囲は畑地となっている。
03/02/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 磐座・巨石 お休み岩ー吉備の中山ー お休み岩ーこの岩について特に記録や言い伝えは残されていません。他の地域では神さまが休息された「腰掛け石」や「お休み岩」と呼ばれるものの言い伝えが数多く残されている。
03/01/2021 / 最終更新日時 : 03/02/2021 桃太郎 展望の良い所 船越金毘羅宮裏山 宇野港から玉野競輪場方面への道路沿いの丘の中腹に船越金毘羅宮と呼ばれる海上安全などのご利益のあるといわれる神社が祀られている。この神社の背後の丘陵の頂からは玉野市街、瀬戸内海など360度の展望を楽しむことが出来る。 日の […]
03/01/2021 / 最終更新日時 : 03/01/2021 桃太郎 神社 船越金毘羅宮 船越金毘羅宮は、玉野市築港に鎮座する神社で、家内安全、海上交通の安全、交通安全にご利益がある神様を祀っている。背後の丘陵の頂からは玉野市街、瀬戸内海など360度の展望を楽しむことが出来る。