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岡山再発見の旅
このサイトは、岡山大好きな私が岡山再発見の旅をしながらの記録です。
岡山の観光やぶらり旅に、また地方移住検討の為に訪問する方々のご参考にもなるのでは?その地を良く知る為には?ーキャンプの旅も一法ー
⇒岡山県のキャンプ場
GoogleMapー岡山県の主要観光地案内地図ー、Google Mapー岡山県内宿泊施設案内地図ー
岡山県は、瀬戸内地方の中央に位置、南北を四国・中国山地に挟まれ、東西は紀伊半島・九州の山々に守られている。その為「晴れの国おかやま」で代表される様に雨や台風・積雪も少なく温暖な気候で果物をはじめ新鮮な農水産物にも恵まれています。
地中海に面した南仏のプロヴァンス、コート・ダジュール地方に似た気候として知られています。
また、高梁川、旭川、吉井川の三大河川が県内を均衡よく流れ、活断層も少なく、南部干拓地を除くと地盤も固く地震に強いと言われる地域が多い。最近それを裏付ける根拠として、吉備高原安定陸塊説が注目されている。即ち、吉備高原は近年の研究によって古第三紀から現在に至るまで地質学的に安定であったことが分かってきた。少なくとも3,400万年以上の間,吉備高原全体は地殻変動による水平及び垂直方向の大きな変位変形を受けていない。
このようなことから古くは大和政権にも匹敵する強国、吉備の国として栄えました。しかし、余りにも強大だった為、それを恐れた時の為政者により、備前―岡山県南東部―、備中―岡山県西部―、備後―広島県東部―、美作―岡山県北部―の四つに分断されてしまいました。
分断後も先人達は広大な干拓地「岡山平野」を造成、「備前焼」、「もも」や「マスカット」、「名刀長船」、「ジーンズ」、「大原美術館」、「水島臨海工業地帯」「岡山リサーチパーク」など数々の素晴しい特産物や文化・産業を育ててきました。
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岡山県の発展には、地理的条件からくる温暖な気象で、交通の要衝となっていることに加え先人達の努力が大きく関わっていると思います。
現在もこの恵まれた気象や地理的条件を生かして、大規模な太陽光発電、流通機能の充実、航空関連産業、情報関連産業などの誘致や建設が進んでいます。
このサイトでは、県内の旅をしながら、そのような岡山発展の謎解きもしていきたいと思っています。
岡山県南部―鬼ノ城山からの眺めに代表されるように、吉備高原の南端から笠岡諸島、日生諸島などの浮かぶ瀬戸内海に向かって開けたなだらかな丘陵地とそれを取り囲む沖積平野―高梁川、旭川、吉井川の三大河川により形成ーに加え、さらに南にはこれら河川から流出した土砂で浅くなっていく吉備の穴海を中世末以降に干拓・造成してできた穀倉地帯、岡山平野が広がっている。
その岡山平野の中には、岡山・倉敷など、古代には沿岸部であったが、干拓により内陸部になり、干拓の進行や時代の流れで次第に南に移動した山陽道に沿い東西に延びる市街地が形成され、岡山後楽園、岡山城、倉敷美観地区、吉備路、宿場町矢掛などの歴史的遺産や風景が残されている。
岡山県北部南から岡山県中央南部―吉備高原と呼ばれる、海抜300-600mの平坦でなだらかな高原(かっての隆起準平原)が岡山県内面積の半分以上に渡って広がり、その中を旭川・高梁川・吉井川が深い谷を刻み込んで流れている。
県内ドライブで興味深いのは、新見市南東部の草間台地に代表される、河川侵食で出来た渓谷や盆地から両側に切り立った崖のつづら折れの急坂を登った先では、耕作された緩やかな斜面に民家が点在し、雑木林や松林の穏やかな丘が見えるという平野部と大きく違わない風景が展開しており、標高の高い山の上にいることは全く感じないことである。
県開発の吉備高原都市は、このような高原の上に造られた都市で岡山県内の半分以上を占める吉備高原の活用策の試みの一つとされている。
岡山県北端鳥取県との県境部―日本アルプスに見られるような高く急峻な山並みとは違って鳥取県側の大山を除けば岡山県立森林公園に代表されるように海抜1,000―1,300mのたおやかな山並み(準平原)が東西に連なっている。
この地形の変化がよく分かる所としては、高梁市川上町の西端にある雲海でも知られた弥高山(海抜654m)がある。
晴れた日には頂上から吉備高原はもちろん、北は鳥取県の大山をはじめとする中国山地、南は瀬戸内海の島々、さらに四国の山並みまで眺望できる。
参考資料―「岡山の自然」 第2版 岡山県自然保護課(平成5年3月)
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