10/31/2017 / 最終更新日時 : 10/31/2017 桃太郎 旅日記 サントリー天然水 奥大山ブナの森工場 伯耆大山から烏ヶ山方面にかけての奥大山地区に振った雨や雪は、地中へゆっくりと浸透、火山活動でできた火砕流の地層の中を約20年以上かけてゆっくりとくぐり抜けることによって程よいミネラルを含む天然水となる。この水を採水、徹底した品質管理の下で無菌環境でボトリングをする工場。
10/29/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 大山寺世代墓 豪円山登山路をのろし台に向かって上る途中、松の木の下に墓石が7基並んで立っている。これは大山寺中興の祖である豪円僧正を第1世として、第2世より第8世までの7代の墓を祀ったもの。第7世と第8世との間が離れていることから、この松の木は少なくとも第8世の墓をここに祀る時にはここに生えていたと考えられる。
10/29/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 豪円地蔵 大山寺中興の祖豪円僧正を祀ったもの。豪円僧正は大山寺寺領の事で米子城主と争い、没する時に「吾を葬るには米子城を俯瞰すべき地に於いてせよ、吾必らず異日米子城の没落を見せよう」と遺言したのでこれを呼滝山に葬った。後3年、城主中村一忠は頓死し、その家はついに血統を絶ったという。
10/29/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 豪円山のろし台 僧兵のろしの場とも言われ、元弘3(1333)年、後醍醐天皇を奉じた伯耆国の武将、名和長年と鎌倉幕府軍との間で起こった船上山の戦いの際、大山寺の僧、信濃坊源盛が700人の僧兵をひきつれて、兄名和長年を助けた。その時この高台でのろしをあげて敵の襲来を知らせたと伝えられこの名がある。
10/28/2017 / 最終更新日時 : 10/28/2017 桃太郎 旅日記 大山沢通行止め時の迂回道路 大山の南壁側は、大山パークウエイが山の中腹を通っており、大雨が降った際、山の崩壊により、沢(一の沢・二の沢・三の沢)からの土砂が道路上へ流出し、道路の通行止めがしばしば発生する。この時の迂回路として広域農道が使用されている。この道路からの大山の眺めは、大山パークウエイ通行時とはまた別の良さがある。
10/28/2017 / 最終更新日時 : 10/30/2017 桃太郎 旅日記 大山パークウエイ 大山パークウエイは、大山隠岐国立公園の中で大山を中心に、南東の蒜山から北西の美保関までの、景観や自然の優れた地域を結ぶ道路。すなわち、旧蒜山大山スカイライン、旧大山環状道路、旧大山観光道路、国道431号線(通称産業道路)、美保関道路を結んだルートの名称で地域活性化の中心軸としている。
10/28/2017 / 最終更新日時 : 10/28/2017 桃太郎 旅日記 白水川 大山の南側斜面は崩壊が激しく、大量の土砂を下流へと流出させている。国は、この土砂の流出を防いで、土石流や洪水による氾濫を防ぐため、砂防堰堤や川床固群の整備を行っている。大山山系から日野川に流れ込む川は北から別所川、清山川、大江川、白水川、小江尾川、船谷川、俣野川などがあり、大山山系南7渓流と呼んでいる。
10/25/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国立公園 大山隠岐国立公園大山エリア Sponsored Link 火山活動によって形成された大山は、ブナ林で被われた広大な裾野を有し、四季の移り変わりに応じて様々の顔を見せてくれる。また、自然の作り出した険しい山容は、昔から修験者の道場でもあった。Goog […]
10/24/2017 / 最終更新日時 : 03/04/2018 桃太郎 岡山県のスキー場 奥大山スキー場 標高750m~1,000mの所に、雄大な大山南壁をバックに広がるゲレンデを有するスキー場。高地にある為比較的遅くまで滑ることができるスキー場で、来場者の多くがスノーボードというのが特徴。ゲレンデは、道路や駐車場から近くて便利。
10/24/2017 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 紅葉の見所 鳥取県立とっとり花回廊 雄大な伯耆大山を眺めることができる所に造られた面積50ha、日本最大級のフラワーパーク。全長1kmにおよぶ屋根付き回廊があり、傘を差すことなく園内を歩きながら花を楽しむことができる。園内には、ユリの花をメインフラワーとして年中展示しており、日本に自生する野生ユリ15品種すべてが保有・展示されている。
10/24/2017 / 最終更新日時 : 03/02/2018 桃太郎 展望の良い所 鬼女台展望休憩所 大山パークウエイの内最も蒜山に近い側にある展望所。北方には、大山を中心として、左に城山、右に烏ヶ山、象山、擬宝珠山をまた、南方には蒜山高原を一望の下に眺めることができる。ここ鬼女台はススキの群生地としてまた、秋から初冬に […]
10/23/2017 / 最終更新日時 : 03/04/2018 桃太郎 岡山県のスキー場 鏡ヶ成スキー場 大山の南東部、蒜山高原との間、920mの高地にあり、天然雪の量・質共に西日本ではトップクラスのスキー場。休暇村奥大山内にあるため、宿泊施設や大浴場が隣接しており、コースは緩斜面が多く、また、独立したちびっこ広場があるのでファミリーでのんびりと楽しむことができる。
10/22/2017 / 最終更新日時 : 03/03/2018 桃太郎 キャンプ場 鏡ヶ成キャンプ場 大山パークウエイの蒜山高原と大山の間の奥大山、鏡ヶ成にあるキャンプ場。標高920mの高原に位置し、ブナやミズナラの原生林に囲まれた自然豊かなキャンプ場は、避暑地に最適で蒜山高原や大山へのアクセスも良好。休暇村奥大山内にあり、本館内にある大浴場やレストランを利用することができる。
10/22/2017 / 最終更新日時 : 03/04/2018 桃太郎 休暇村・国民宿舎 休暇村奥大山 中国地方の最高峰大山の南側、烏ヶ山の麓、標高920mの高原にある休暇村。初夏の新緑、夏のキャンプ、秋の烏ヶ山登山、冬のスキーなど四季折々を楽しめる。また、蒜山高原と大山の玄関口大山寺との間にあり、大山パークウエイや米子自動車道を使えばこれらのエリアへのアクセスも便利。
10/22/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国立公園 大山隠岐国立公園 鍵掛峠 鏡ヶ成から大山パークラインを大山寺方面に向かって車を進めると途中前面に、屏風を立てたような岩肌が聳え立つ、まるでアルプスの山容にも似た大山の南壁に真正面から向かい合う峠がある。ここは鍵掛峠(標高800m)と呼ばれ、大山裾野に広がるぶなの樹海は、四季折々の色の変化を楽しませてくれる。
10/22/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国立公園 大山ブナ林 蒜山高原から大山寺方面に向かう時、大山パークウエイ沿いには広大なブナ林が広がっている。ブナ林は大山を代表する林で、海抜600m~1350mの地帯に生育している。ブナ林には、高木層、亜高木層、低木層、草木層と植物の棲み分けが見られ、豊かな水源ともなっている。
10/22/2017 / 最終更新日時 : 10/22/2017 桃太郎 旅日記 大山二の沢 崩壊していく大山南壁のガレ場や小さな沢から土砂が流入してくる二の沢、何段もの砂防ダムが造られているにもかかわらず崩壊との戦は果てしなく続く。この様な沢は、大山の南壁の下を通る大山環状道路を越えて流れ下っており、特に一の沢、二の沢、三の沢は大規模で、大山の自然を知る上で見逃せない。
10/21/2017 / 最終更新日時 : 03/04/2018 桃太郎 グルメ 大山ガーデンプレイス 国立公園大山の広大な裾野に位置する、地元の新鮮な農産物や農産加工品の直売店、レストラン、バーベキューコーナー、観光案内所、テニスコートなどを備えた複合施設。隣接した伯耆町総合スポーツ公園には、「ちびっこ広場」、「芝生広場」などがあり、買い物や食事、子供とのふれあいを楽しむことができる。
10/21/2017 / 最終更新日時 : 02/28/2018 桃太郎 ホテル・旅館 大山ロイヤルホテル 広大な大山のすそ野に広がる松林の中、大山を正面に眺めることができるリゾートホテル。近くには、同じグループで開発したロイヤルシティ大山リゾート(別荘地)もあり朝や夕方の散策にも最適。また、大山とその周辺観光はもとより、足立美術館、花回廊などの山陰観光にも便利。
10/21/2017 / 最終更新日時 : 02/28/2018 桃太郎 オートキャンプ場 大山レークホテル 大山の麓、緑に囲まれた静寂な大野池畔にあるリゾートホテル。全室、大野池畔に面したマウンテンビュールームからは森の上に顔を出した大山の北壁を眺めることができる。また、池畔には周囲を一周することのできる遊歩道が設けられている。静かな雰囲気のホテルで、地元契約農家提供の新鮮な野菜と、鳥取産和牛ステーキをどうぞ!初夏の6月には音楽祭「夏至祭」も行われる。
10/21/2017 / 最終更新日時 : 03/02/2018 桃太郎 グルメ 大山まきば・みるくの里 大山の雄姿と日本海・弓ヶ浜の眺望を楽しむことができる標高600mの「大山放牧場」。この中にある「大山まきばみるくの里」は、売店では、バター、チーズ、ソーセージなど大山ブランドの土産物を販売、レストランでは新鮮なミルクたっぷりのフードメニューを提供する高原のレジャー施設。濃厚でクリーミーなミルクソフトも大人気。
10/20/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 展望の良い所 大山ますみず高原天空リフト 大山桝水高原のスキーリフトをオフシーズンの4月中旬から11月中旬の期間、標高900m(標高差140m)の展望台(2006年に恋人の聖地に指定)まで運行しており、約8分の間の空中散歩を楽しむことができる。この展望台からは、弓ヶ浜や中海、日本海は勿論、気象条件が整えば遥か隠岐島まで望むことができる。
10/20/2017 / 最終更新日時 : 10/30/2017 桃太郎 旅日記 桝水 大山環状道路が桝水高原を横切る道路脇に、年中水量が桝で計ったように変わらぬ水量だったため、元禄時代あるいはそれ以前の昔から村人たちが桝水と呼んでいた小さな水溜りがある。この水溜りの脇には、この付近一帯が桝水高原と呼ばれるようになった経緯が書かれた案内板が立てられている。
10/20/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国立公園 大山隠岐国立公園桝水高原 蒜山高原から、大山・蒜山道路を鬼面台、鏡ヶ成、鍵掛峠、ぶな林、三の沢、二の沢、一の沢を通り、最後のぶな林を抜けると、広大な大山の裾野と日本海が美しい桝水高原にたどり着く。ここは、大山の登山口の一つであるとともに、スキー場、天空リフト、レストハウスなども点在する、リゾートゾーンである。
10/20/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 三輪平太の墓と清浄泉 大山寺本殿は、文化2(1805)年に再建されたが、その本殿建立にかかわった宮大工の墓が、桝水高原から大山寺へ行く大山環状道路の右側、横手橋の手前に数体の地蔵尊と共にひっそりと建っている。そして、その墓のすぐ脇には「清浄泉」と呼ばれる湧水があり、横手道を歩く登山者ののどを潤している。
10/19/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国立公園 大山隠岐国立公園大山寺地区 大山寺地区は大山登山の玄関口、又信仰の山大山の歴史や自然を知るに最適の所。博労座跡には広い駐車場や大山情報館、大山自然歴史館が。大神山神社奥宮まで続く石畳の参道沿いやブナの園地、佐陀川河原には山岳信仰が盛んであったことを物語る地蔵尊、金門、僧兵荒行の岩等様々の史跡が残っている。
10/18/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 展望の良い所 豪円山 豪円山(標高891m)は、「呼滝山」と呼ばれていたが、17世紀、大山寺の中興の祖として活躍した豪円僧正の名をとって「豪円山」と呼ばれるようになったと言われ、山頂には豪円地蔵が祀られている。登山路からは、大山北壁方面の眺望がすばらしく、山頂からは、日本海や弓ヶ浜、米子市街方面まで見渡すことができる。
10/18/2017 / 最終更新日時 : 03/04/2018 桃太郎 岡山県のスキー場 大山ホワイトリゾート 大山登山の玄関口、大山寺地域の東部にあるスキーリゾートで、中の原エリア、豪円山エリア、上の原エリア、国際エリアの連なった4エリアから成っている。雄大な大山の斜面を利用した、日本海や弓ヶ浜の見えるゲレンデは、西日本一の規模。周辺には宿泊施設も充実し、車で30分ほどの所には皆生温泉もある。
10/18/2017 / 最終更新日時 : 03/04/2018 桃太郎 公的宿泊施設 大山ビューハイツ 豪円山の南東側、大山ホワイトリゾート、中の原エリア、中の原スキーセンターに並んで建てられている。ここから、夏には緑の美しい中の原スキー場の背後に荒々しく雄大な大山の北壁を眺めることができる。この素晴らしい環境の下で山陰の海の幸、山の幸を楽しむのは如何?
10/18/2017 / 最終更新日時 : 03/03/2018 桃太郎 キャンプ場 豪円山キャンプ場 大山寺の博労座から東に約500m、豪円山の下、中の原スキー場との間にある。豪円山山頂からの大山北壁の眺めは素晴らしく、北方には弓ヶ浜、中海、日本海の遠望を楽しむこともできる。また、大山を開山した金蓮上人の供養塔がある寂静山を越えて大神山神社奥宮へ参詣する遊歩道も整備されている。
10/18/2017 / 最終更新日時 : 03/03/2018 桃太郎 キャンプ場 下山キャンプ場 大山の玄関口である大山寺地区のブナ林(標高約750m)の中大山登山道入口付近にあるキャンプ場。登山基地として、また大山寺や大神山神社奥宮参拝、大山寺周辺の自然や歴史を訪ねての散策にも最適でありシーズンには多くのキャンパーで賑わう。
10/17/2017 / 最終更新日時 : 03/04/2018 桃太郎 駐車場 博労座駐車場 大山登山の玄関口として知られた大山寺地区の、かって牛馬市の会場であった博労座と呼ばれる所にある鳥取県営駐車場。大山登山の基地としてまた、大山寺や大神山神社奥宮への参詣や大山の自然や歴史を訪ねての散策、スキー場の利用などに使用することができる。
10/17/2017 / 最終更新日時 : 03/04/2018 桃太郎 グルメ 大山館 大山登山の玄関口として知られた、標高780mの大山寺地区にある、民宿タイプの宿泊施設を備えた食事処。大山寺への参道と大山北壁を望むことができる大山寺橋の間にあり、大山登山や大山寺、大神山神社奥宮など大山の自然や歴史を訪ねて散策をする基地として最適。
10/17/2017 / 最終更新日時 : 10/17/2017 桃太郎 旅日記 御幸参道本通りー大山寺ー 古くからの大山信仰の門前町でありまた大山登山の拠点大山寺集落から大山寺への参道で石畳と石段の続く道。 麓には、広い駐車場、みやげ物店、宿泊施設や郵便局、大山情報館、大山自然歴史館などの公共施設が並んでいる。この本通りに沿った、佐陀川側のブナ林の中には、御幸参道河原通りがある。
10/17/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 大山情報館 大山情報館は、大山を訪れる人達にとって必要な、自然情報、登山情報をはじめとする、様々な情報を提供すると共に、休憩施設を整備、キャンプ場の管理なども行って、大山観光を楽しんで頂ける様に環境省によって整備された施設。1階は定期バスや冬季間のシャトルバスの待合所にもなっている。
10/16/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 大山自然歴史館 写真パネルや標本、映像などにより大山の成り立ち、大山寺を中心とした山岳信仰の歴史、ブナや野鳥などの生息する動植物を取り上げながら大山の自然などをわかりやすく紹介している。大山をより深く理解でき、大山登山や周辺の散策をする […]
10/16/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国立公園 大山寺付近の自然 大山寺参道脇を流れる佐陀川沿いには、大山寺の僧兵が荒行をした「僧兵荒業の岩」、河原の石を積み重ねてつくった塔が多くある「賽の河原」、佐陀川の峡谷部で参道工事の際の謂れの残る「金門」、元南光院谷派僧坊のあった所で、金門を開いたために河原となってしまった「南光河原」などさまざまの謂れのある場所が続いている。
10/16/2017 / 最終更新日時 : 10/17/2017 桃太郎 旅日記 金門ー大山寺地区ー 金門は俗に「切り分け」ともいわれ、佐陀川の峡谷部で、切立つ崖が両岸に迫った景観は見事である。大山が山岳仏教の行場として開かれた所で、この東側断崖南壁の下から約3米の所には、高さ1.3m位の地蔵菩薩が刻まれている。大山寺の隆盛の頃「賽の河原」の守り地蔵として刻まれたものと思われる。
10/15/2017 / 最終更新日時 : 10/17/2017 桃太郎 旅日記 賽の河原と大山 賽の河原とは、小児が死んでから赴き、苦を受けるところ。冥途の三途の河原で、小児の霊が石を拾って、父母供養のため塔をつくろうとすると、大鬼が来て崩す。小児の霊は泣きながら、また塔をつくるが、また崩される。これを繰り返すうちに地蔵菩薩が現われて救う、と言われている。
10/15/2017 / 最終更新日時 : 10/17/2017 桃太郎 旅日記 中門院谷園地 大山寺参道とその脇を流れる佐陀川の間にある中門院谷園地は、標高は800m内外の所にある。ここにあるブナをはじめとする各樹木は、春に新芽を出して葉を拡げ、花をつけ、夏に広い葉を茂らせ、秋は実をつける。そして、樹木の葉は様々な色に紅葉し、木枯し吹く冬に散っていく。こうした特徴から夏緑広葉樹林と呼ばれている。
10/15/2017 / 最終更新日時 : 10/17/2017 桃太郎 旅日記 僧兵荒業の岩 養老2(718)年金蓮上人がお堂を建てて地蔵菩薩を祭り、修験者の根本道場とした事に始まる大山寺の僧兵は一騎当千勇猛をもって知られており、常識では想像も出来ない荒業をしたと伝えられているが、その荒業の一つとしてこの岩から飛んだと伝えられ、この名がある。
10/15/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 国指定重要文化財 大神山神社奥宮 米子市尾高にある大神山神社の奥宮。大神山とは大山の古名で、大国主命(大黒さま)が祭ってある。社殿は文化2年(1805年)の建立と伝わり、神仏混淆時代の神社の特徴である権現造りで、中国地方でも大きい方の神社。参道の途中にある神門は、門の表裏が反対になっているので「後向き門」と言われている。
10/15/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 吉持地蔵 江戸中期の頃、会見郡の長者吉持甚右衛門(吉持家第4代)が、経悟院住職・豪堅に仲を持ってもらい、農業用の水路(完成後の名前は佐野川用水)の完成を願って寄進したもの。大山寺の数多い地蔵の中で自然石にきざまれた数すくない地蔵である。大山寺から大神山神社奥宮に続く石畳の道の中間あたり右側にある。
10/14/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 大神山神社奥宮神門 単層・桧皮葺・四脚の向唐門で、江戸時代末期の技法が豊かな門である。神門右側の石柱にあるように、安政4(1857)年に今の日野郡根雨の近藤氏が寄進したことがわかる。この神門は、門の表裏が反対になっているので「後向き門」と言われている。毎年6月初めの山開き祭はここで行われる。
10/14/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国指定重要文化財 下山神社 備中郡司渡邊日向守一子照政公参拝が、元徳2(1330)年、大神山神社参拝の帰路不慮の最後を遂げた。これを憐れんだ人々が大山下山の地に祠を建て下山神社と呼んだのが始まり。その後、此の地に奉還したもので多くの武将の信仰があり、現在の社殿は、石州津和野の領主亀井隠岐守矩賢公が文化2(1805)年に再建したもの。
10/13/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 角磐山大山寺 大山寺は、養老2(718)年金蓮上人がお堂を建てて地蔵菩薩を祭り、修験者の根本道場とした事に始まる。貞観7(865)年、慈覚大師により天台宗になり、平安末期から室町時代にかけては160の僧坊と3,000人を超える僧兵を擁する大寺院として賑わった。参道沿いには、地蔵尊、不動明王や手水鉢などの奉納物が並んでいる。
10/13/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 海蔵寺 お地蔵さんの後に広がる風景どこかで見たことありませんか?そう、映画「釣りバカ日誌18」で、出てくる風景です。明るい、のんびりとした・・・・、瀬戸内の漁村によく見られる、こころがなごむ風景です。右端に見える青佐山(瀬戸内海国立公園)も何かしら印象的に残る山です。
10/12/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国指定重要文化財 本荘八幡宮 通仙園の入り口右側にあり、源平水島合戦の地である水島灘を見下ろすことが出来る。この本荘八幡宮のある地域は、平安時代、備前国通生荘(かようしょう)の一部であり、その内の本荘にあったことから本荘八幡宮と呼ばれたのではないだろうか。三間社流造。
10/11/2017 / 最終更新日時 : 11/03/2020 桃太郎 主な庭園 旧野崎家住宅 野崎家旧宅は、日本の塩田王と呼ばれた野崎武左衛門が江戸後期の天保から嘉永に築いた、雄大な規模を有する上層民家。本瓦葺の主屋群、土蔵、庭園が創建当時のままに保存されている。約3,000坪の敷地には、42mの奥行きがあり独特な平面の主屋、意匠の優れた表書院、土蔵群、茶室、水琴窟がある。
10/11/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国立公園 通仙園ー宮の鼻ー 瀬戸内海国立公園は、昭和9年にわが国で最初の国立公園として指定され、通仙園は、昭和25年に追加指定された。春(4月中旬~4月下旬)にはつつじの花を楽しむことが出来、源平合戦の昔から変わらない、水島灘の島々を眺めることができる。また、宮の鼻からは,水島工業地帯を望むことが出来る。
10/11/2017 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ 手打ちうどん梅荘 この「梅荘」は、日本の塩田王と呼ばれた野崎家の別荘として建設され、その名前は、梅の清楚な香がするこの庭園と、この庭園からの眺望を愛した近衛文麿によって名づけられた。文麿の他にも、犬養木堂、平沼騏一郎、後藤新平らの先人達も訪れたとのこと。
10/10/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 旧岡山藩藩学 岡山藩主の池田光政が藩士の子弟教育のために寛文9(1669)年に創設した藩学校跡。廃藩置県後の明治4(1871)年7月に閉校になり、明治9(1876)年に岡山県師範学校、明治44(1911)年岡山県女子師範学校が置かれ、旧建物は漸次撤去された。
10/10/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 岡山県ゆかりの人 熊沢蕃山碑 旧岡山藩藩学跡の泮池脇に建てられた陽明学者熊沢蕃山の石碑。熊沢蕃山は、寛永12(1635)年岡山藩主池田光政に仕えた後、中江藤樹の下で陽明学を学ぶ。正保2(1645)年、再度池田光政に招かれ、三千石の家老として藩政に参与、治山治水、飢饉対策、教育宗教で岡山藩に功績を残す。
10/09/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 史跡 岡山藩郡代津田永忠の事蹟 岡山藩主池田光政、綱政の2代、50年にわたって仕え、和意谷に池田家墓所の造営、旭川の洪水から岡山城下を守るため、百間川放水路の開削、倉田新田、沖新田など新田の干拓、倉安川の開削、池田家の菩提寺である曹源寺の建立、後楽園の造営など現在の岡山の基礎となる各種事業を手がけ完成させる。
10/09/2017 / 最終更新日時 : 10/09/2017 桃太郎 史跡 津田永忠遺績碑 この石碑は岡山後楽園の正面入り口から近い所、鶴舎と茶店の中間地点あたりにある。この碑文を読むと熊沢蕃山と津田永忠の二人のうち、津田永忠の業績が世間にはほとんど知られていないため、これを再評価したいと願う木畑道夫達がこの碑 […]
10/09/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 鏡の州用水湧水池 和意谷川がつくった扇状地の先端地域の水田化のために計画された、サイホン方式を用いた地水下利用の用水施設。飯山と権現山の間の約200mの土地で、地中に粘り気の強い赤土で堤防をつくり、地下水を食い止めて方向を変えさせ、鏡の州に湧出させる仕組みとなっている。
10/09/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2020 桃太郎 岡山県ゆかりの人 沖新田 沖新田の干拓は、倉田新田ー延宝7(1679)年完成ー、幸島新田ー貞享元(1684)年完成ーに続いて元禄4(1691)年9月に池田綱政が津田永忠に命じて開始され、翌年の7月には完成するといった非常なスピードで進められた。同時に百間川を延長して新田の中央を通し元禄6(1693)年に完成させている。
10/09/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2020 桃太郎 旅日記 百間川河口水門 百間川の水を海に排出するための施設で、満潮時に海水が逆流しないように水門を閉め、干潮時に水門を開けて水を排出するように出来ている。昭和年間に改築した昭和水門は、計画流量の6割程度しか排水能力が無い為、平成に入って新しいタイプの水門を増築しその排水能力を増加させた。
10/09/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 体験型観光施設 四つ手網漁 児島湾北岸で行われている漁法で、取った魚を家族やグループで鍋やバーベキューにして楽しむことができるので人気がある。その方法は、十字に組んだ竹の腕木で一辺5~6mの正方形の網の四隅を留めた四つ手網と呼ばれる網を水中に吊り下げ、光で魚を集めて網を引き揚げ、長い柄の先につけた小網で魚を獲る。
10/08/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 岡山県ゆかりの人 幸島新田 幸島新田は、岡山藩主池田光政が計画、その子綱政が津田永忠に命じて、吉井川左岸にあった神崎新堀を水門湾まで延長し、その東西に開発された新田である。津田永忠は、延宝7(1679)年に完成した倉田新田に次いで貞享元(1684) […]
10/08/2017 / 最終更新日時 : 10/08/2017 桃太郎 旅日記 南水門・北水門 江戸時代に岡山藩主の命で津田永忠が干拓した幸島新田の内、東部の幸田川の水の排水は北水門、幸崎川流域の水の排水は南水門、そして大雨で大量の水を排水する必要が生じた場合には、幸崎排水機場の水門から行われている。これらの三水門は、水門湾と幸島新田を隔てる堤防に設けられている。
10/08/2017 / 最終更新日時 : 10/08/2017 桃太郎 旅日記 千町川大水門 千町川大水門は、江戸時代に津田永忠が岡山藩主の命で千町川の両岸の干拓を行って生じた幸島新田の南端、千町川の河口部にある水門。竣工は、昭和47年3月で建設当初の水門を見ることはできないが、東西にある水門の間を仕切る堤防上には旧家らしき建物や倉庫が並び独特の風景を展開している。
10/07/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 亀石神社 亀石神社は、神武天皇の水先案内をした神が乗った大亀の化身(亀岩)を祭った神社で、毎年旧暦6月15日には、帆柱から山形にちょうちんを飾り付けた美しいシャギリ船が笛や太鼓などを演奏しながら水門湾内を巡回し、五穀豊穣を祈る古式豊かな満潮祭が催される。
10/06/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 秀天橋 秀天橋は、瀬戸内地方に多く産出される花崗岩を使用した全長36m、幅3mの石造桁橋で、江戸時代後期の19世紀初頭の文化10(1813)年頃にここ鴨川に架けられたとされている。当時の岡山藩領内では最長の石造桁橋であったと考えられており、現存する石桁橋では、わが国内でも最大である。
10/05/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 内尾大水門 この内尾第水門は、江戸時代後期の1824年頃に構築された水門で、国内に現存する石造の水門や樋門の中では最長、約10mの花崗岩を使用している。
10/05/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 神崎川分水樋門 神崎川分水樋門は、津田永忠が幸島新田を干拓したと同時期に構築したとされる樋門(完成1683年)で、県下で構築当初の姿を留めている石造り樋門としては最古のものと推定されており、330年以上経過した石護岸も崩れることなく見事な当初の姿を留めている。
10/04/2017 / 最終更新日時 : 03/26/2020 桃太郎 世界かんがい施設遺産 百間川一の荒手・二の荒手ー永忠堤(えいちゅうつつみ)ー 一の荒手(越流提)は、岡山城下を旭川の洪水から守るため開削した百間川放水路に流入する水量を調節するための洗堰。三つの洗堰(一の荒手・二の荒手・三の荒手)が設けられたが、現在、一の荒手・二の荒手のみが残っており、三の荒手は消失している。
10/03/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 建部井堰 旭川中流域の岡山市北区建部町にある、江戸時代初期に構築されてから約350年の歴史を持つ井堰。保存状態良好で稼働中、かつ国内最大級の石造り斜め取水堰として土木学会選奨土木遺産に認定されている。
10/03/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 百間川大水尾旧堤 百間川大水尾旧堤は、岡山城下を旭川の氾濫による洪水の被害から守るためにの旭川放水路(百間川)河口部の大水尾(おおみお)を造るために築いた堤防。大水尾は、洪水の際、満潮時など潮位が百間川の水位より海側の水位が高いと排水が困難となる為、樋門で水量を調整する為に一時的に水を貯める広大な遊水池。
10/03/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 井田跡 中国周代の井田法を模して寛文10(1670)年岡山藩主池田光政が津田永忠に命じてこの地に造らせた地割遺構で上井田、下井田からなる。上井田は面積九町七畝(約900アール)、下井田は九町三反十八歩(約930アール)を一区画一町歩(約100アール)を単位にして、一ノ町から九ノ町に九等分し井田法を実施した。
10/02/2017 / 最終更新日時 : 07/14/2020 桃太郎 県指定重要文化財 田原用水水路橋 江戸時代の元禄年間に岡山藩の郡代津田永忠らによって数々の技法を駆使して作られた。田原用水が小野田川を横切って渡るために架けられた石製の水路橋で、長さが12.97m、幅3.19mの県下最大規模のものである。全国的にも、その規模、技術水準の高さにおいて誇り得る貴重なものである。