05/30/2016 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 旧犬養家住宅・犬養木堂記念館 犬養木堂生家は吉備の中山からほど近く、新幹線高架横駐車場より歩いて3分(300m)程の所にある。途中、この地域の古い集落、神社などもあり、木堂が育った村内の様子もしのぶことができる。途中に木堂記念碑、木堂の墓などもある。
05/30/2016 / 最終更新日時 : 11/01/2016 桃太郎 史跡 惣爪塔跡 足守川の東岸近くの田んぼの畔にある。田んぼの中の穴の穿たれた石が何故、昭和3年といった早い時期に国の史跡に指定されたのか?その歴史を知らないと分からないが、この石の背後にある歴史に想いを寄せ色々と想像してみるのも楽しいもの。
05/30/2016 / 最終更新日時 : 10/09/2020 桃太郎 史跡 造山古墳 造山古墳は、長径350m~360mの前方後円墳。履中天皇陵に次いで全国第4位の規模を持ち、上・中・下の三段の墳丘をつくり、埴輪円筒列をめぐらせてあった。付近の6基の小古墳と共に国の史跡に指定されている。6基のうち千足古墳の石室には、直弧紋様の装飾彫刻を施した槨障がある。
05/29/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 雪舟誕生地碑 雪舟誕生の地碑は、岡山自動車道の岡山総社IC近くの赤浜にある。赤浜は岡山に伝わる桃太郎伝説の中心地矢喰岩近くで、矢喰岩は鬼が住んでいたと伝わる鬼ノ城と鬼退治をした桃太郎(吉備津彦命)が祀られている吉備津神社との中間付近にある。
05/29/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国指定重要文化財 備中国分寺 五重塔 備中国分寺五重塔は、なだらかな松林を背景にした田園風景の中に、備中国分寺と共にいにしえの姿をそのままとどめており、四季折々の周囲の変化に応じた美しい姿を私達に見せてくれ、吉備路のシンボルとなっている。
05/29/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 史跡 作山古墳 備中国分寺の西方に県下第2位、国内第9位の作山古墳がある。一見この付近に多く見られる丘陵と変わらないので注意しないと見落とす。造山古墳同様立ち入ることがでる古墳。墳丘の東・南方向には農村集落があり、西方に駐車場がある。
05/28/2016 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 総社吉備路文化館 吉備路を代表する備中国分寺のある付近、なだらかな松林を背景にした田園風景の中に五重塔が建つ吉備路風土記の丘と呼ばれている丘の上、備中国分寺と備中国分尼寺の間、松林の一角に社吉備路文化館がある。
05/28/2016 / 最終更新日時 : 11/01/2016 桃太郎 旅日記 旧松井家住宅 風土記の丘県営北駐車場から総社吉備路文化館へ向かってのどかな風景の中を歩いてゆくと、茅葺きの建物が二軒見えてくる。その内の一軒が、岡山市沼に所在し、旧山陽道に沿う茶屋であったと言われる茅葺・入母屋造の旧松井家住宅。
05/28/2016 / 最終更新日時 : 11/01/2016 桃太郎 旅日記 旧山手村役場 吉備の国の時代の風景がそのまま残っているのかと思えるほどのどかな風景の中に旧山手村役場として使用されていた茅葺の家が建っている。わずか50年程前の昭和43年までは村役場として使われていたとの事。
05/28/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 井山宝福寺 高梁川が大きく迂回した所、秋葉山のふもとにあるこの臨済宗東福寺派の禅寺は、画聖雪舟が幼い頃この寺で修行してねずみの絵を描いたエピソードで有名。妻側に入口のある妻入りの庫裡と朱色優美な姿の三重塔が印象的。
05/27/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 井神社・兼康神社 湛井堰から北方に5分程歩いた権現山の山腹、湛井堰を見下ろす所には、元々湛井堰の傍に祀られていた井神社と平安末期に湛井堰を改修妹尾兼康を祀った神社が建てられている。この地域は吉備国の中でも農業用の灌漑用水の水源として非常に重要な位置を占めていた様子である。
05/26/2016 / 最終更新日時 : 06/14/2018 桃太郎 史跡 湛井十二ヶ郷用水 国道180号線より宝福寺へ入る道路から高梁川方面を見ると真横に大きな井堰が見える。この井堰は平安時代末期の平氏の武将妹尾太郎兼康により改修されたと伝えられており十二箇郷六十八ヶ村(現三市)の約5,000haの田畑を潤してきた。
05/26/2016 / 最終更新日時 : 11/01/2016 桃太郎 史跡 備中国分尼寺跡 聖武天皇が鎮護国家の考えの下に国分寺と国分尼寺の建立を命じて造られた奈良時代の尼寺跡。平たい松林の中に円形の柱座や地覆座のある金堂の礎石が往時のままに良く保存されている。その他、南大門、中門、講堂、塔の跡なども確認されている。
05/25/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 史跡 こうもり塚古墳 自然の丘陵を利用して造られた全長約100mの前方後円墳。後円部にある横穴式石室は巨石を用いた全長19.5mに及ぶ巨大なもので、中には家形石棺が安置されている。築造年代は6世紀後半。吉備路風土記の丘の一角にあり散策には最適。
05/25/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 備中国分寺跡 聖武天皇の発願によって全国に創建された国分寺の一つである。建物は南北朝時代に焼失したと伝えられ、現在の建物は江戸時代中期以降に再建された。境内にそびえる五重塔は県内唯一のもので吉備路の代表的な景観となっている。
05/24/2016 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 史跡 吉備の中山 備津神社や吉備津彦神社の背後には、古くから吉備の中心に位置し、人々から崇められていた吉備の中山がある。歴史や自然に興味の或る方は、健康作りも兼ねて吉備の中山を散策することをお勧め。数多くの桃太郎伝説が残る吉備の歴史や自然をより深く理解するよい機会となるでしょう。
05/23/2016 / 最終更新日時 : 04/17/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 鼻ぐり塚ー福田海(ふくでんかい)ー 吉備津神社と吉備津彦神社を結ぶ、吉備の中山の山裾沿いの道を通っていると鼻ぐり塚ー福田海ーと書いた見慣れない案内表示に出会う。ここでは牛の鼻ぐりを集めて家畜の供養や蓄魂祭を営んでいる。近くには平清盛の怒りを買ってこの地に流された藤原成親の遺跡も。
05/23/2016 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 史跡 藤原成親遺跡 大納言藤原成親は、僧俊寛らと共に平家打倒を誓った”鹿ヶ谷”の密議が露見、平清盛により治承元(1177)年下津井に流され、後吉備の中山有木の別所に移されこの地で非業の最後を遂げた。高麗寺の山門跡の礎石や成親の墓などが残っている。
05/22/2016 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 岡山県古代吉備文化財センター 古代吉備の国の時代、人々から崇められてきた「吉備の中山」の中腹にある埋蔵文化財の保存、展示施設で古代吉備の遺跡を中心に、百間川、鬼城山など岡山県内から出土した土器や石器を展示して写真やパネルで説明をしている。
05/22/2016 / 最終更新日時 : 04/20/2021 桃太郎 史跡 中山茶臼山古墳 古代吉備の国の時代、人々から崇められてきた「吉備の中山」の山頂付近にある全長120m程の中山茶臼山古墳は、4世紀初頭の築造で四道将軍として大和から派遣され吉備の国を治めた大吉備津彦命の墓と呼ばれる前方後円墳。
05/22/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 一乗寺 最上稲荷から奥之院参道を登って行くと、竜王山山頂にある、最上稲荷の奥の院に達する。ここには、麓の最上稲荷に比べ訪れる人も少なく、ひっそりとしていて訪れるたびに四季の変化を身近に感じることが出来る。
05/21/2016 / 最終更新日時 : 10/11/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 日本三大稲荷 最上稲荷教総本山 妙教寺 最上稲荷教総本山 妙教寺は、約1,200年前に報恩大師が創建した日本三大稲荷の一つで神仏混合の姿を今も残し、五穀豊穣・商売繁盛の神として全国から幅広い善男善女の信仰を集めている。奥之院への参道は季節の変化を感じることが出来、見晴らしも良いお勧めの散歩道。
05/19/2016 / 最終更新日時 : 04/17/2021 桃太郎 史跡 備中高松城水攻めの舞台ー備中高松城跡ー 備中高松城水攻めは、今から約400年前の天正10年(1582年)、織田信長より毛利攻略の命を受けた羽柴秀吉が備中国南東部に侵入、毛利方の諸城を次々と攻略すると共に、3万の大軍をもって備中高松城を攻めるに当たって行った奇策。
05/17/2016 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 主な庭園 吉備津彦神社 岡山市中心部より国道180号線を西進すると古代「吉備の国」で神体山として崇められた「吉備の中山」の北東麓にさしかかる。ここに鎮座し備前の一宮として信仰を集める神社には吉備国草創の伝説上の英雄吉備津彦命が祀られている。現在の本殿は1697年(元禄10年)、岡山藩主池田綱政による再建。
05/14/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 栄西禅師生誕地 臨済宗の開祖として、また中国から日本に茶の種を持ち帰り茶を広めた茶祖として仰がれる鎌倉時代の高僧栄西禅師は、吉備津神社の神官賀陽氏の出。吉備津神社から徒歩で5分程の栄西禅師生誕地とされる所に2014年3月庭園が整備された。
05/14/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 妹尾太郎兼康公墓 妹尾太郎兼康公は備中妹尾の豪族で平氏の家人として数多くの武功をたてると共に農業にも深く意を注ぎ領内においては新田を開発し嘉永元年には十二ヶ郷用水の取水口である湛井井堰を開設するとともに、用水路の整備をしたとされている。
05/13/2016 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 国宝 吉備津神社ー備中 吉備津宮ー 吉備の中山の麓に建つ吉備津神社は、崇神天皇の御代に四道将軍として吉備国に派遣された吉備津彦命ー桃太郎の温羅(鬼)退治(=桃太郎伝説)の主人公ーを祭神とし古くから吉備地方の総氏神として崇敬されている。境内では春にはぼたん、初夏にはあじさいが咲き誇り多くの人々が訪れる。本殿と拝殿は国宝。
05/12/2016 / 最終更新日時 : 03/04/2018 桃太郎 グルメ 足守観光駐車場 足守町並み保存地区の北東の入口近くにある観光駐車場。駐車場の中にはトイレと休憩処がありうどんやそばを安く提供してくれる食事処も併設している。近水園、旧足守藩侍屋敷遺構、足守町並み保存地区の何処にも近い便利な所にある。
05/12/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 体験型観光施設 足守プラザ 足守の町並み保存地区の南西のはずれにある、陶芸や木工の体験が可能な観光施設。併設してレストランやギャラリー、駐車場もあるのでゆったりと過ごすことが出来る。大きな「くすの木」と「洪庵茶屋」と書かれたなまこ壁の食事処が目印。
05/12/2016 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 備中足守まちなみ館 足守の町並み保存地区を南西に向かって歩いていくと右手に「備中足守まちなみ館」と書かれた、白壁になまこ壁が印象的な町家が見えてくる。ボランティアガイドの方が出てきて丁寧に展示物や足守の町並みについての説明を受けることが出来た。
05/12/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 緒方洪庵誕生地 江戸時代末期に蘭学者として天下に名をはせた緒方洪庵(1810~1863)の誕生地。現在は銅像、顕彰碑の建てられた宅地と古井戸が残っているのみ。足守の町並み保存地区から足守川の大井橋を渡って細い路地を越えた先の山裾にある。
05/12/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 乗典寺 足守観光駐車場に車を止めて足守の町並み保存地区を歩いていくと、備中足守まちなみ館が目に入るがこの建物のすぐ隣にあるのが乗典寺。緒方洪庵ゆかりの寺ののぼりが立っているので分かり易い。洪庵の両親や先祖の墓が後の墓地に。
05/12/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 大光寺 近水園から少し離れた山麓にある足守藩主木下家の菩提寺で、藩主の遺筆など貴重な資料も数多く納められ、御霊屋(みたまや)には秀吉、北の政所そして木下家代々藩主の位牌が安置され、足守の歴史を見つける事の出来る由緒ある寺院。
05/11/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 旧足守藩木下家陣屋跡 足守侍屋敷から足守小学校横の利玄道を通って、近水園に行く時左側に芝生の公園がある。何もないので見過ごしがちだがこれが、旧足守藩の陣屋跡。良く見ると周囲が濠で囲まれておりまた利玄生家ともかってはつながっていたとの説明もある。
05/11/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 木下利玄生家 旧侍屋敷から近水園に行く途中、利玄通りに入ると左側の広い空地(足守陣屋跡)に続いて利玄生家の長屋門が見えてくる。利玄生家は週末と祝日など限定された日にしか公開されないが嘉永年間に建てられた時の様相が良好に残されている。
05/10/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 主な庭園 近水園ー吟風閣ー 足守の町並みの北、宮路山の麓、足守川の右岸にある旧足守藩主木下家の庭園。広い泉池に鶴島、亀島をうかべ園内にはカエデやサクラが多い。吟風閣は6代藩主が宝永5年、京都の仙洞御所を造営した際、残材を運んで建築したと言われる。
05/10/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 旧足守藩侍屋敷遺構 市営足守駐車場から近水園に行く途中に,白壁の長屋門と土塀に囲まれた木下家家老 杉原家旧邸宅がある。長屋門、母屋、内蔵、便所・湯殿、外蔵からなり、母屋は伝統的な武家書院造りの構造を持ち、今日の和風住宅の原型とも言われている。
05/09/2016 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 藤田千年治邸 足守の町並み保存地区のほぼ中央にある、足守の商家の姿を良く残した貴重な建物。機械化、自動化されている現在の醤油製造工程とは違い、醤油仕込み桶や醤油搾り機等当時の醤油製造の様子を知るには分かり易く興味深く学ぶことが出来る。
05/08/2016 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 町並み保存地区 町並み保存地区ー足守ー 慶長6(1601)年に秀吉の正室「ねね」の実兄木下家定が25,000石の足守藩を収めたのに始まる足守の町は一時天領となったが元和元(1615)年家定の子利房が藩主となって以降、明治の廃藩置県まで256年間木下氏の陣屋町として栄えた。今もかっての建築様式を伝える武家屋敷や商家が数多く残り町並み保存地区に指定されている。
05/07/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 吉備大臣産湯の井戸 矢掛町の東端に近い所、旧山陽道(現国道486号線)の北側、吉備真備公の居館跡と伝わる地に造られた吉備真備公園の南西の隅、一段低い所に井戸がある。この井戸が吉備真備公が産湯を使った井戸と言われている。
05/07/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 吉備大臣宮 遣唐使として中国に渡り貴重な文物を持ち帰り、右大臣にまで上り詰めた吉備真備を祀った神社。隣接して吉備真備公園が整備され、休憩施設で手打うどん処「館址亭」や吉備真備公の巨大な銅像がある。受験の神様としても知られている。
05/07/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 主な庭園 吉備真備公園 矢掛町の東端に近い所、旧山陽道(現国道486号線)の北側、吉備真備公の居館跡と伝わる地に造られた公園。吉備真備公の巨大な銅像が建立され、藤棚や古代の丘、無料休憩所「館址亭」、囲碁発祥の地記念碑などが造られている。
05/07/2016 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ 佐藤玉雲堂 宿場町矢掛で天保元(1830)年に創業して以来180年余り8代にわたって「柚べし」にこだわった和菓子作りをしてきた店。参勤交代の大名たちやあの篤姫様も気に入られたとか。矢掛本陣石井家の少し西にある。
05/07/2016 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 美術館 古意庵 宿場町矢掛は本陣や脇本陣、そして町家が建ち並んだ表通りも良いが一筋裏通りに入るとのどかな雰囲気の通りが旧山陽道と平行に走っている。その一角にあるのがこの遊び心の美術館「古意庵」。陶器や書画などオーナー個人の収集品を展示。
05/07/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 専教寺 多聞寺から道路を西に進むと黒松の印象的なお寺が見えてくる。これが浄土真宗本願寺派の一乗山専教寺で中に入ってみると山門から本堂に向かって松の枝が15m程龍が伏せたように伸ばされている。樹齢は300年とか、良く維持されてきたものだ。
05/07/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 多聞寺 矢掛脇本陣の少し東の通りを北に入ると表通りとは違い、静かな雰囲気の通りとなる。少し進んだところにあるのが多聞寺。宿場町矢掛の雰囲気に合った玄関と立派な造りの客殿の建物が目立つ。この寺の副住職は落語家の桂米裕とか。
05/06/2016 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ やかげ町家交流館 宿場町矢掛の昭和初期の古民家、旧谷山邸を「やかげ町家交流館」として再生。会議室やギャラリー、イベントスペースとして使用できるように貸し出し或いは休憩室として提供し、地域の人々や観光客の方々が気軽に集い、休憩できる施設を提供。
05/06/2016 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 美術館 やかげ郷土美術館 矢掛の町並み保存地区のある旧山陽道の一本北側の通り沿いにある「水見やぐら」が印象的な美術館。田中塊堂(書家)の作品、佐藤一章(洋画家)の作品、考古資料、吉備真備像、備中矢掛宿模型、大名行列和紙人形などが常設展示。
05/06/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国指定重要文化財 旧矢掛脇本陣 岡山県南西部、小田川沿いの旧山陽道に面した宿場町の東の入口から入って少し進んだ右側にあるグレー色の壁の建物。江戸時代後期の弘化2(1845)年から明治10(1877)年にかけて建てられたもので、意匠的にも優れた建築群である。
05/06/2016 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 町並み保存地区 宿場町矢掛 岡山県南西部、小田川沿いの旧山陽道に面した宿場町で、参勤交代の西国大名が宿泊した本陣と脇本陣や妻側に入口のある妻入りの町家が良好な形で保存され、白壁、なまこ壁、虫籠窓、鬼瓦などと相まって美しい街並みとなっている。
05/04/2016 / 最終更新日時 : 07/10/2018 桃太郎 国指定重要文化財 旧矢掛本陣 宿場町で本陣と脇本陣が対になって共に国指定重要文化財としてその姿を残しているのは全国でもここ矢掛宿のみ。かって大名が出入りした御成門、正面中央に唐破風付きの玄関など当時の本陣の構えが良く保存されている。
05/02/2016 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 横溝正史疎開宅 推理小説作家横溝正史とその一家が、東京から疎開し昭和20年初めから足かけ4年間過ごした所。この疎開宅で海外小説を読み、地域の人々と交流、「八つ墓村」等を著述した。また、「本陣殺人事件」等の舞台としてこの地を取り上げている。
05/02/2016 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 真備ふるさと歴史館 横溝正史疎開宅から歩いて10分程の岡田大池べりにある真備ふるさと歴史館。江戸時代この岡田地区付近が、岡田藩の陣屋町であった頃の古文書と陣屋町の様子、横溝正史の東京での書斎や横溝正史の疎開生活の様子、写真などが展示されている。
05/01/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 琴弾岩 国道486号線の倉敷市真備町から矢掛町への境界付近の小田川を隔てて対岸、猿掛城への登り口付近にある河畔の岩。真備町側だと琴弾橋(ことひきばし)、矢掛町側では福頼橋(ふくよりばし)を渡ると丁度両橋の中間付近やや真備町寄りにある。
05/01/2016 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 主な庭園 まきび公園 スーパーや商店の立ち並ぶ国道486号線から北に少し北に入った、道路の喧騒を忘れさせる様な静かな所にある中国風の公園。昭和61(1986)年、中国の西安市に吉備真備公の記念碑が建立されたのを記念してここ真備町に造られた。
05/01/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 吉備寺 まきび公園に隣接してある吉備真備の菩提寺。というよりまきび公園がこの寺に隣接して造られている。寺の前の丘陵の上には神社があり御神体は吉備真備の墓。時代と共に吉備真備の顕彰の仕方は変わっているが尊崇するその心は同じ。