07/31/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 常夜灯ー信城寺境内ー この常夜灯は、撫川と庭瀬の堺となっている堺川の撫川寄り、北側の橋詰にあった常夜灯。最上部の宝珠まで地上総高4mに余る大きさで軸石の三面に「吉備津宮」「文化二年乙丑九月吉旦」(1805年)「発起人橋本屋吉兵衛」の銘があり、四段の台石の上段には「世話人大黒屋」「栄講中」とある。
07/31/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 法万寺川 この法万寺川の水は、総社、宝福寺近くの高梁川合同堰から取水した農業用水を、足守川を経由して流れてきており、江戸時代、この川は庭瀬城の外濠としての役割を持っていた。この地区では、水路を水運として利用し、備中南部の舟物資集散地の要所として栄えており、水路には雁木(船着場)が設けられ、荷物の積み替えも行われていた。
07/31/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 観音院 奈良時代の神亀~天平年間(724~749)の創建と伝えられ、戦国時代に備中松山城主三村元親と安芸の毛利輝元が戦った備中兵乱ー天正2(1574)年~天正3(1575)年によって荒廃し、長期間再建されなかったが、江戸時代初期の寛永6(1629)年になって宥賢和尚により現在地へ移転、再興された。現在の本堂は昭和59年に建築されたもの。
07/31/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 金毘羅道 「こんぴらさん」に参詣する往来に建てられた「金毘羅道」の道標。岡山城下からは、野田付近で庭瀬往来と別れて南下し、下津井湊を通るルートの他、江戸時代中期以降は、児島の「瑜伽大権現」との両参りも盛んになり、岡山城下からは吉備津神社、高松稲荷へ参詣してから庭瀬、早島、天城を経るルートを選ぶ人々も多かった様子。
07/30/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 松林寺 清水山松林寺は、歴応2(1339)年、白幡城主赤松円心が、別峰和尚(大殊円光国師)を招いて開いたのが始まりで、元禄12(1699)年に、庭瀬藩2万石で入封した板倉重高は篤く帰依し元禄15(1702)年には菩提寺となってい […]
07/30/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 不変院 関ヶ原の戦いで功をなした戸川達安公が慶長7(1602)年に3万石で庭瀬に封ぜられた時に建立され、城国院日鳳上人によって開かれた戸川家の菩提寺。代々藩主から寺領を受け、領内十数ヶ寺の座主を務めている。境内には戸川家累代の墳墓がある。また、境内には不変院の鎮守として八幡大菩薩が祀られている。
07/29/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 応徳寺 臨済宗東福寺派の寺院で、応永2(1395)年に円光国師が薬師如来を祀って開山。盛衰を経て、寛文9(1669)年、撫川藩主戸川安宣により、また文政6(1823)年に心界和尚来任時などに復興発展を重ね、明治以降も檀家の篤志に […]
07/28/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 太鼓橋 この太鼓橋は、撫川城跡の北西の住宅地の中にあり、戸川氏の時代にはここに大手門があったと言われている。そしてここにあった大手門は現在撫川城址公園の門として撫川城跡に移設されている。撫川城周辺はもともと沼地であり、運河が張り巡らされており橋も数多くあったものと思われるが、現在はこの太鼓橋だけが当時の様子を語っている。
07/27/2017 / 最終更新日時 : 07/27/2017 桃太郎 旅日記 旧撫川大橋の常夜灯と親柱 庭瀬往来が足守川を渡る所に、全長22m程の橋が架けられ、そのたもとには石造の常夜灯と親柱があった。この撫川大橋が昭和43年に元あった場所から少し南に架け替えられた時、その東側のたもとにあった石造の常夜灯と親柱が住民たちの熱意によって移設され現在は、大橋中之町公民館前に保存されている。
07/26/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 旧庭瀬港と常夜燈 陣屋町庭瀬は、町を東西に貫く庭瀬往来や足守川があったことから、明治24年に山陽鉄道(現在のJR山陽本線)が開通するまでは、足守川とその支流や地区内に張り巡らされた堀や水路を利用した船運が盛んで、足守川河口で瀬戸内海を航行 […]
07/25/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 撫川城跡 撫川城は、永禄2(1559)年に備中成羽城主三村家親が、備前の宇喜多直家の侵攻に備えて築城したといわれている。城跡は東西77m、南北57mの長方形で、外側に幅15mの濠をめぐらしている。約30アールの城跡の北側と西側には完全な石垣が残り、水をたたえた濠が周囲を取り巻いていて、戦国時代末期の沼城の跡を留めている。
07/25/2017 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 城跡 庭瀬城跡 庭瀬城は室町時代の末頃に備中松山の三村元親が、備前宇喜多氏の侵攻に対する固めとして築いた城であるが、江戸時代の慶長7(1602)年には、宇喜多の重臣戸川達安が入城し城を拡張して城下町を整備した。その後4代目藩主が早世、戸川家は断絶、改易となり、元禄12(1699)年になって板倉氏の居城となり、板倉氏で明治を迎える。
07/23/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 植物園 RSKバラ園 RSKバラ園は、山陽放送がラジオ送信所の用地を利用し昭和49年に開園。バラは中央のRSKラジオ放送アンテナ(高さ105m)を中心にした約3万平方メートルの同心円型花壇に約400品種、15,000株を栽培し、春は5月中旬から6月上旬、秋は10月中旬から11月上旬の年2回のシーズンに最も美しいバラが楽しめる様管理している。
07/22/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 一本松古墳 岡山市街地の北部半田山丘陵の一角、半田山植物園の上標高85mにある、全長65mの前方後円墳。後円部の頂上には、大きな穴の跡があるがこれは、第二次大戦中の高射砲陣地の跡とか。この古墳の下に設けられた展望台からは岡山市街地はもとより、操山丘陵から児島半島方面に向けての眺望が広がっている。
07/22/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 展望の良い所 岡山市半田山植物園 岡山市街地の北部、半田山の丘陵地(標高10m~85m)に設けられた、約3,200種、15万本の花木を管理育成する総合植物園。山頂付近、一本松古墳の下に設けられた展望所からは、岡山市街中心部から、旭川、東部の操山丘陵、遠くは児島半島方面にかけての眺望を楽しむことができる。
07/21/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 総合公園 岡山県総合グラウンド JR岡山駅西口から北へ約1.5km 徒歩15分 山陽自動車道岡山ICからは、南へ約7km 車で10分程の全国でもまれにみる程便利なところにある。平成17年に実施された国体に合わせて、メインスタジアム、体育館などの施設を更新すると共に、遺跡&スポーツミュージアムなども新しく併設して素晴らしい総合体育施設に生まれ変わった。
07/20/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 総合公園 総合グラウンドクラブ この建物は、練兵場内に明治43(1910)年10月12日、旧陸軍の将校の社交場「第十七師団岡山偕行社」として誕生した建物で、県下では数少ない明治時代を代表する近代建築物として、平成24年8月13日に国の登録有形文化財に指定された。現在は、保存・再生の改修により、園内の憩いの場「総合グラウンドクラブ」として復活。
07/20/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 総合公園 岡山県総合グラウンド岡山武道館 岡山県総合グランドの北西に位置する施設で、武道その他のスポーツを通じて県民の心身の健全な発達と、併せて文化的諸行事、その他各種会合の場として広く県民文化の向上を図るために設けられた施設。使用可能競技ー柔道、剣道、空手、そ […]
07/20/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 総合公園 岡山県総合グラウンドテニスコート 岡山県総合グラウンドの北部と西部にあるテニスコート。西部にあるテニスコートは、南テニスコートと呼ばれ、テニスハウスが併設されており、1番コートから10番コートまで。北部にあるテニスコートは北テニスコートと呼ばれ、11番コートから14番コートまで。
07/20/2017 / 最終更新日時 : 07/20/2017 桃太郎 総合公園 岡山県総合グラウンド体育館 第60回国民体育大会(2005)の会場として2005年5月に完成した施設で、ジップアリーナ岡山は、岡山県総合グラウンド体育館の命名権によって、ダイレクトメール発送代行業「ジップ」が命名権を取得し使用されている呼称。メインアリーナとサブアリーナで構成され、メインアリーナは最大11,000人を収容可能。
07/19/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 総合公園 岡山県総合グラウンド陸上競技場 シティライトスタジアムは、岡山県総合グラウンド陸上競技場の命名権によって使用されている呼称。第17回国民体育大会(1962年)の主会場として1957年に竣工、その後第60回国民体育大会(2005年)の主会場として水戸岡鋭治(ドーンデザイン研究所)デザインにより全面的な改築が行われ2003年に竣工した。
07/18/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 津島遺跡 縄文時代末期から弥生、古墳時代にかけての大規模な集落の遺跡、昭和43(1968)年、岡山武道館の建設工事中に発見された。竪穴式住居跡をはじめ多量の石器、土器が出土し、弥生時代中期の半乾田が確認されるなど、わが国が水田稲作を始めた頃の様相を知る上できわめて貴重な遺跡である。
07/15/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 岡山市北区市街地とその周辺の寺社 岡山市北区の市街地とその周辺にある寺社、特に岡山ゆかりの武将、藩主にゆかりの深い寺社や歴史ある寺社を中心に訪問。北区の内吉備路、庭瀬、御津、建部地区の寺社はこことは別にそれぞれの地区に掲載。
07/15/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国指定重要文化財 皷神社宝塔 岡山空港近く、四道将軍の1人として、吉備を平定したとして知られる吉備津彦命の后、高田姫命を祭った皷神社境内にある宝塔。総高約4m、花崗岩製、南北朝時代の貞和2(1346)年の造立。石造宝塔としては県下最大。
07/15/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国指定重要文化財 皷神社 皷神社は備中二宮で、主神は、四道将軍の1人として、吉備を平定したとして知られる、吉備津彦命の后、高田姫命。かっては、五社殿があり、「皷五社大明神」と称せられていた。本殿に向って左奥手に、鎌倉時代の特徴を伝える南北朝期の名 […]
07/14/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 日応寺 番神堂 岡山空港近くの日応寺(日蓮宗)境内にある建物で、茅葺単層、入母屋造り。桁行三間、梁間三間の建物。内部に彩色紋様を施し、江戸時代初期の様式・技法を示す。
07/14/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 日応寺 養老2年(718)、報恩大師によって創建されたと伝えられている。聖武、孝謙、桓武天皇らの病気平癒祈願が行われ、勅命をもって仏恩に感謝したという故事をもち、周辺に勅使堂、勅使道、玉御膳所などの地名や旧跡が残されている。栄西 […]
07/13/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 蓮昌寺 当初は岡山城内(榎の馬場)にあったが、城主の変転に伴い城内で場所を移動、その後、慶長6年(1601年)に現在地に移る。それ以来2万4,000坪に及ぶ広大な境内に七堂伽藍を有し、48ヶ寺もの塔頭を有していたが、昭和20(1945)年の空襲により全焼。昭和43(1968)年新本堂を再建。
07/02/2017 / 最終更新日時 : 03/12/2018 桃太郎 主な庭園 宗忠神社 教派神道の一つである黒住教の教祖、黒住宗忠を祭神として、京都の神楽岡宗忠神社ー文久2(1862)年鎮座ーに続いて、祭神の生誕地に、明治18年(1885)建立、鎮座された。黒住教本部は、道路道路拡張の影響で、昭和49(1974)年に岡山市尾上の神道山へ遷った。
07/01/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 今村宮 浮田直家が岡山城を拡張した際、内山下榎の馬場にあった三社明神を現在地に移し、同地の八幡宮と合祀したもの。本殿は、元和9(1623)年に再建された、桃山時代の特色をよく伝える建物(岡山県指定重要文化財)である。
07/01/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大雲寺・日限地蔵尊 大雲寺の本尊は阿弥陀如来であるが、大雲寺がこの地へ移転時に掘り出された地蔵尊が「日限地蔵尊」として祀られ、境内の地蔵堂にも様々の地蔵尊が祀られている。毎月23日には、縁日が開かれ、夜店も立ち並ぶことから、一般的には、このお地蔵さんにお参りすることが大雲寺へお参りする目的となっている。
07/01/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 太然寺 奈良時代に、当時南都五大寺の一つであった大安寺の荘園を管理するための支院として創建されたのが始まりと伝わる。その後、室町時代初頭に、岩根山太然寺という禅宗寺院となり、戦国時代の永禄4(1561)年には、備前国守護の松田一族により日蓮宗に改宗されている。