倉敷市児島地区
ジーンズの産地として知られた倉敷市児島地区は、倉敷美観地区の南東方向にある瀬戸内海に面した地区で、JR瀬戸大橋線児島駅を中心に市街地が広がり、南西から北西方向にかけては瀬戸内海国立公園鷲羽山に始まり龍王山、石鉄山、鴨ヶ辻山と続く鴨ヶ辻山系の山々が、北東から東方向にかけては、由加権現で知られた由加山から王子が岳につながる由加山系の山々が取り囲んでいる。
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北方には、奈良時代(8世紀)に紀州、熊野権現から勧請した熊野権現(五流尊院・熊野神社)が祀られ、1300年の伝統を誇る「お日待ち祭」、「権現大祭」が行われている。
主な見所
ー鷲羽山、瀬戸大橋、下津井町並み保存地区、下津井港、下津井城跡、王子が岳、象岩、児島「風の道」、由加山蓮台寺、由加神社本宮、熊野神社、五流尊瀧院、通仙園、旧野崎家住宅、日本遺産ー荒海を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~玉島・下津井ー
日本遺産~北前船寄港地・船主集落~の一つとして岡山県では玉島港と下津井港が選ばれているー江戸から明治にかけて、北海道から日本海沿岸を通り関門海峡・瀬戸内海を経由して大阪まで航行した商船は、北前船と呼ばれ寄港地に大きな繁栄をもたらした。
下津井港は児島半島の西部に半島状に突き出した鷲羽山麓の長浜(四ヶ浦ーしかうらーとも総称 )と呼ばれていた浜に出来た良港。西から下津井港、下津井漁港、吹上港、田之浦港、大畠港と連なる四港を総称して呼ばれている。
鷲羽山は多島美を誇る瀬戸内海の中でも屈指の景勝地で、鷲が羽を広げた様に見える事からその名が付いたといわれている。特にレストハウスからビジターセンターに続く遊歩道と標高133mの頂上(鍾秀峰)からの眺めは最高である。
鷲羽山の山頂、鍾秀峰(標高133m)のすぐ下、テラスから瀬戸内海の眺望を楽しめる位置に建設された施設で鷲羽山の自然や下津井瀬戸大橋の建設過程を学び鷲羽山の散策を楽しく味わい深いものにすることを目的にしている。
下津井節で知られる下津井は、瀬戸内海に面した古い港町で、特に江戸時代中期以降北前船や内海航路の風待ち潮待ちの港として賑わった。今でも「むかし下津井回船問屋」など当時を偲ぶ建物が残っている。
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回船問屋の母屋やニシン倉として使われていた建物をできるだけ当時に近い形で復元してむかしの下津井に関する資料を展示すると共に下津井の歴史・文化・観光情報を提供する施設。下津井町並み保存地区のメインとなる。
下津井港の背後の小高い丘に瀬戸大橋架橋記念公園が造られている。これは慶長年間の初め宇喜多秀家によって築かれ後小早川家、池田家など歴代領主によって整備され寛永16(1639)年一国一城令により廃城となった下津井城跡。
鷲羽山の西の丘陵にある遊園地で入園料を支払えば乗り物はすべて無料で乗り放題。ジェットコースター、ターボドロップ、パンジージャンプ等の絶叫マシン、瀬戸内海や瀬戸大橋をゆっくり眺められる観覧車等楽しい乗り物がいっぱい。
瀬戸内海に臨む小高い岬で平安時代頃に造られた旧長浜城址。室町時代に城の鎮守「長浜宮」として創建、長浜大明神と呼ばれた。その後「祇園神社」、「素戔嗚神社」などと呼ばれた後、今の名前となっている。
瀬戸中央自動車道児島ICより車約3分と近く、鷲羽山へも車で5分程の交通至便、瀬戸大橋や瀬戸内海に浮かぶ塩飽諸島の眺望も素晴らしい丘陵上にあるホテル。すぐ隣は鷲羽山ハイランド。
鷲羽山の西の丘陵上、鷲羽山ハイランドのすぐ前にあるホテル。全室が海に面しており瀬戸内海や瀬戸大橋を一望することが出来る。屋上の露天風呂からの眺望も最高。
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鷲羽山の麓、瀬戸大橋がまじかに見える大浜海岸(海水浴場)に位置するホテル。海岸には子供用のプールも備え、海岸の庭園ではバーベキューも楽しめます。
下津井港の西部、瀬戸内海に面した丘陵上にある。静かな瀬戸内海に浮かぶ塩飽の島々、茜色に染まる空とそれを映し出す瀬戸の海、備讃瀬戸の美しさを堪能できるホテル。
鷲羽山の麓、下津井港のすぐ横にある料理と宿の下津井亭。たこ、鯛、ふぐなど活のいい天然地物にこだわった自慢の料理をご提供。
児島が瀬戸内海に浮かぶ島の頃から磐座信仰の近郊の人々に崇められ、天平5年に行儀菩薩が十一面観音を祀ってからは神仏混淆の霊山として、江戸時代中期には池田候の祈願所として繁栄、「こんぴらさん」との両参りも盛んになってきた。
瀬戸内海国立公園「由加山」の一角を占める。奈良時代の天平年間に創建された由加山蓮台寺とそれ以前から磐座信仰のあった由加神社が鎮座しており、讃岐の金毘羅宮と共に、両参りの「瑜加大権現」と呼ばれ全国庶民の信仰を集めて繁栄した。
休日や行楽シーズンに児島の由加山にお参りする時に必ず寄るのが正面参道にある「とらや」。ここでは、杵つき餅にこしあんをその場でまぶしてくれ、竹の皮に包んで手渡してくれる、昔懐かしい「あんころ餅」を入手することが出来る。
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県道21号線(児島線)の瀬戸中央自動車道水島ICの少し東を南に入った山裾に、熊野神社と修験道の寺院が一体となった神仏習合の宗教施設群がある。古くは由加神社、由加山蓮台寺とも一体となって新熊野三山として篤い信仰を集めていた。
江戸時代に賑わった金比羅往来を歩いてみるのも面白い。早島ー茶屋町ー天城ー藤戸から林を経て、由加にある瑜伽大権現へ通じていた。瑜伽山への途中には熊野神社と五流尊瀧院があり、瑜伽山を含めて新熊野三山と呼ばれ大いに賑わった。
JR木見駅近くにあるこの陵墓は承久の変で隠岐に流された父後鳥羽上皇に連座して児島に配流された頼仁親王の墓で、近くの五流尊瀧院には「この里に われ幾年か過してむ 乳木の煙 朝夕にして」の歌碑と同院御庵室には御影が安置されている。
市街の中心部に瀬戸大橋の架橋を記念し造られた公園。日本の昔の各地の珍しい橋をテーマにして一筆書きで廻れるように工夫して造られており、江戸時代以前の各地の様子を思い浮かべながら回るのも楽しい。
児島市街中心地から鷲羽山、下津井までの下津井電鉄の跡地を遊歩道、自転車道として整備。常に車を意識して歩く車社会の中、車を意識しないで道路脇の花や瀬戸内の風景を楽しみながら歩けるのがうれしい。
児島市街の東部下の町、上の町、田の口、唐琴の総氏神。例大祭で各町内からの「だんじり」の進行に合わせて演奏される「しゃぎり」と呼ばれる祭りばやしが岡山県無形民俗文化財に指定されている。
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日本の塩田王と呼ばれた野崎家の別荘として建設、その名前は、梅の清楚な香がするこの庭園と、この庭園からの眺望を愛した近衛文麿によって名づけられた。文麿の他にも、犬養木堂、平沼騏一郎、後藤新平らの先人達も訪れた。
瀬戸内海国立公園は、昭和9年にわが国初の国立公園として指定され、通仙園は、昭和25年に追加指定された。春にはつつじの花を楽しむことが出来、源平合戦の昔から変わらない、水島灘の島々を眺めることができる。
塩田王、野崎武左衛門が江戸後期の天保から嘉永に築いた、雄大な規模を有する上層民家。本瓦葺の主屋群、土蔵、庭園が創建当時のままに保存されている。約3,000坪の敷地には、主屋、意匠の優れた表書院、土蔵群、茶室、水琴窟が。