04/21/2020 / 最終更新日時 : 04/23/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 高松山 妙玄寺(こうしょうざん みょうげんじ) 高松山 妙玄寺は、慶長5年(1600年)、領主 花房職之公により花房家の菩提寺として建立された寺で最上稲荷の高松城支院である。境内には宗治公自刃の地として建立された元高松城主清水宗治公の供養塔がある。
04/21/2020 / 最終更新日時 : 04/23/2020 桃太郎 史跡 清水宗治自刃の地 天正10年(1582年)年6月4日、秀吉の用意した小舟に乗り込み、舞を舞った後に「浮世をば 今こそ渡れ武士の名を 高松の苔に残して」と辞世の句を詠み切腹をした清水宗治。その自刃の地は高松城の東、高松山 妙玄寺境内にある。
04/19/2020 / 最終更新日時 : 07/09/2020 桃太郎 史跡 備中高松城跡 備中高松城は、備前国に通じる平野の中心、松山往来沿いの要衝の地にあり、天正10(1582)年、中国の役の主戦場となった城跡で、羽柴秀吉により水攻めをされ、城主清水宗治公が家来達の助命を願って切腹した城として有名である。
04/18/2020 / 最終更新日時 : 04/23/2020 桃太郎 史跡 清水宗治公首塚 高松城水攻めにより自刃した清水宗治公の首級は、秀吉の本陣にて首実検、本陣脇に葬られ五輪塔が建立されたといわれている。その後、地元の人々により公の顕彰へと進展、明治42年にここ備中高松城本丸跡へ首塚の移築がなされた。
04/17/2020 / 最終更新日時 : 04/23/2020 桃太郎 博物館・資料館 高松城址公園資料館 高松城址公園資料館は、備中高松城址内にある歴史資料館で、織田信長の命により羽柴秀吉が備中高松城水攻めをした際の資料を中心に展示すると共に、ボランティア活動の拠点にもなっている。
04/17/2020 / 最終更新日時 : 04/23/2020 桃太郎 史跡 宗治蓮 宗治蓮は、岡山市が昭和57年に備中高松城跡を歴史公園として造成するにあたり、本丸と二の丸との間にある蓮池と呼ばれている所の沼を復元した際、その沼に自然に蓮が生えてきた蓮に名付けられた名前。
04/14/2020 / 最終更新日時 : 06/11/2020 桃太郎 史跡 蛙が鼻築堤跡 蛙が鼻築堤跡は、羽柴秀吉が備中高松城を水攻めするにあたり、城地の南東約700mの山根ー蛙ケ鼻(かわずがはな)-から西北西約1,500mの足守川上流まで築いた約3㎞の堤防で、わずか12日間で築いたと伝えられている。
04/14/2020 / 最終更新日時 : 04/23/2020 桃太郎 史跡 水攻め築堤跡(ちくていあと)の調査 平成10年(1998年)の4月から5月にかけて、水攻め築堤の遺構状況を確認するため、発掘調査が行われました。その結果、築堤の大半はすでに削り取られていたものの、現在の水田の下約1mのところで、基底部(きていぶ)が確認された。
04/12/2020 / 最終更新日時 : 04/23/2020 桃太郎 史跡 高松城水攻め史跡公園 高松城水攻め史跡公園は、天正10年(1582年)中国の役で、羽柴(後に豊臣)秀吉が備中高松城の水攻めの際築いたと伝わる築堤史跡、蛙が鼻築堤跡(昭和4年12月17日国指定史跡)に隣接して整備した公園(面積約4,000㎡)。
04/02/2020 / 最終更新日時 : 04/23/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 経王山 寺宝院 観世音石仏 ここ寺宝院をはじめ高松地区内の各所には、自然石の平坦面に刻線彫を主体に一部半肉彫を用いた素朴な表現の観世音石仏が分布している。同様の石仏は、北は岡山市北区山上、東は赤磐市にも認められ、地域独特の石仏。
04/02/2020 / 最終更新日時 : 06/11/2020 桃太郎 史跡 御崎神社 御崎神社は、旧立田村の村社で、祭神は「吉備武彦(きびたけひこ)の命」、創建は弘治年間(1555~1558)。天正10年(1582年)高松の役のとき、この御崎神社は、秀吉配下の掘尾茂助の陣となった。