04/27/2021 / 最終更新日時 : 05/22/2021 桃太郎 城跡 岡山城 天守閣からの眺め 岡山城天守閣からは、大名庭園としてよく知られた岡山後楽園は勿論、城と後楽園の間を流れる旭川、そして岡山市街とそれを取り巻く周囲の丘陵を眺めることができる。従って、岡山市内観光をする前や後に訪れれば、岡山市の概要を体感的に掴むには最適の所である。
04/27/2021 / 最終更新日時 : 05/22/2021 桃太郎 城跡 岡山県庁・県立図書館方面ー岡山城 天守閣よりー 岡山城 天守閣から南方には岡山県政の中心である岡山県庁と岡山県立図書館がある。JR岡山駅に近い「イオンモール岡山」前の市役所筋から岡山県庁前を取り旭川を渡った先にある国道250号線までは、県庁通りと呼ばれる道路がまっすぐに貫いている。
04/27/2021 / 最終更新日時 : 05/22/2021 桃太郎 城跡 岡山市中心部・石山城跡方面ー岡山城 天守閣よりー 岡山城 天守閣から見て西方から南西方面には、江戸時代山陽道が通り城下町岡山の賑わいの中心であった表町商店街が通り、西方には宇喜多直家時代の岡山城(別名 石山城)跡が見える。表町商店街の中心には天満屋百貨店があり、南端の千日前には2023年夏頃の完成を目指して「岡山芸術創造劇場」を核とする町の再開発ビルの建設が進んでいる。
04/27/2021 / 最終更新日時 : 05/22/2021 桃太郎 城跡 石山公園・シンフォニーホール方面ー岡山城 天守閣よりー 岡山城天守閣から西方、JR岡山駅方面を眺めると円形の建物、岡山シンフォニーホールや旭川右岸に設けられた市民憩いの公園、石山公園を見下ろすことが出来る。この一帯は岡山カルチャーゾーンの一角を占めており、岡山県立美術館、岡山市立オリエント美術館、岡山県天神山文化プラザなどの文化施設が立ち並んでいる。
04/26/2021 / 最終更新日時 : 05/22/2021 桃太郎 城跡 龍の口山方面ー岡山城 天守閣よりー 龍ノ口山は、岡山城下の北東部に位置する龍ノ口山丘陵のピークの一つで、北西麓の龍ノ口グリーンシャワー公園は、新緑や紅葉の季節には市民のハイキングコースとしても人気がある。山頂近くの展望スポットからは、南に横たわる操山丘陵や岡山市街地、よく晴れた日には遠く瀬戸内海まで見渡すことができる。
04/26/2021 / 最終更新日時 : 05/22/2021 桃太郎 城跡 岡山城 本丸 本段方面ー岡山城 天守閣よりー 天守閣から南方を眺めた上の写真は、岡山城 本丸のうち、天守閣南部に広がる本段から旭川、その右岸に建てられた岡山県庁、岡山市街および岡山平野・児島湾を越えて向こうにある児島半島方面を眺めたものである。天守閣のある本段は、城主の生活の場所で御殿と築山や池のある庭園も造られていた。
04/25/2021 / 最終更新日時 : 05/22/2021 桃太郎 主な庭園 岡山後楽園・旭川方面ー岡山城 天守閣よりー 岡山城 天守閣からは、岡山 後楽園全体の様子をとらえることができ、後楽園散策の前または後に訪れるには最適。岡山後楽園は、金沢 兼六園、水戸 偕楽園と並んで日本の三名園に数えられる回遊式の大名庭園で国指定名勝となっている。
04/25/2021 / 最終更新日時 : 05/22/2021 桃太郎 城跡 操山・後楽園方面ー岡山城 天守閣よりー 操山は、岡山市街東部に横たわる標高169mの丘陵で岡山後楽園の借景であると共に、丘陵一帯は、岡山市の管理する操山公園で岡山市中心部から麓までは10分ほどで行くことのできる市民憩いの森をなっている。南麓には岡山藩主池田家の菩提寺曹源寺がある。
04/25/2021 / 最終更新日時 : 05/22/2021 桃太郎 展望の良い所 金山・後楽園方面ー岡山城天守閣よりー 金山は、岡山市街北部に見える標高499mの山で中腹には天台宗の古刹 金山寺がある。山頂近くにはかって健康・娯楽施設金山休暇村がありそこからの眺望は素晴らしかった。残念ながら廃業となり久しいが、施設跡は立ち入り禁止となっており折角の眺望を楽しむことが出来ないのが非常に残念である。
04/24/2021 / 最終更新日時 : 05/22/2021 桃太郎 城跡 岡山城 天守閣 岡山城の天守閣は、本格的な城づくりのスタートとされる織田信長の築いた安土城にならって作られた日本を代表する城郭建築で、天守閣の基壇(天守台)が、北(後楽園方向)に大きく突き出した、不等辺五角形という全国に全く例のない珍しい形をしている。
04/22/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 旅日記 家型石棺の蓋ー浄泉山 正法寺ー 西花尻にある浄泉山 正法寺の門を入って左手の庭に不思議な板状の石の板が建てられている。この石の板は播磨国の竜山石(たつやまいし)で造られた刳り抜き式家型石棺の蓋と推定されている。
04/22/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 神社 御崎神社ー西花尻ー ここ西花尻に鎮座する御崎神社(おんさきじんじゃ)は、平安時代中期、醍醐天皇の延喜年中(901年~923年)に吉備津彦命の御墓を守護する御崎の神として創建せられたと伝わる。
04/22/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 旅日記 吉備の中山と備前国・備中国の国境 古代吉備の国は、あまりにもその勢力が強かったため、大和政権により備前国、備中国、備後国に分けられ、その後備前国はさらに備前国と美作国に分けられた旨伝わっている。ここでは、吉備の中山とその周辺にある備前国・備中国国境を示している場所を取り上げる。
04/20/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 史跡 吉備の中山と古墳 吉備の国は大和の国や出雲の国と並ぶ勢力を持ち、その中心が吉備の中山といわれてきた。この山には、最古級の前方後円墳とされている大和の箸墓古墳よりもさらに古い前方後円墳との説もある矢藤治山古墳をはじめ、吉備津彦命の墓ではないかとされている中山茶臼山古墳など多くの古墳が造られている。
04/19/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 吉備の中山と神社・仏閣(寺院) 吉備の中山は、吉備の国の中心にあり神聖な山として古代から崇められてきた。そしてそこにある巨岩を神の依代(よりしろ)即ち磐座として吉備の中山を崇拝する祭祀を行ってきたが、仏教が伝来してくると寺院建築の影響でこの祭祀の場に社 […]
04/19/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 神社 天神社ー西花尻ー この天神社は、鎌倉時代の創建といわれており、菅原道真公をご祭神としてお祀りしている。正法寺の北西、帝釈天への参道の途中に鎮座している。
04/18/2021 / 最終更新日時 : 04/21/2021 桃太郎 磐座・巨石 吉備の中山と磐座・巨石・奇岩など 磐座は、石位・石坐・石座・岩倉・磐倉・石蔵・岩蔵などとも書かれ、またその定義についても専門家の中では様々な説がある。薬師寺慎一氏はその著書「祭祀から見た古代吉備」(吉備人出版)で、磐座(イワクラ)とは神の依代(ヨリシロ)即ち、祭りなどの際に神様が一時的に宿るあるいはお座りになる岩と述べている。
04/17/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 磐座・巨石 影向石ー新宮社跡ー 吉備の中山の西麓で、吉備武彦命を祀っていたといわれる新宮社跡にある影向石(ようごいし)。影向とは神仏が一時的に人前に現れることをいい、影向石とは神を遙拝したり、降臨する神を拝んだりする場所にある石のことで「拝み石」ともいう。
04/16/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 史跡 大守大藤内家宅跡 備前の豪族難波氏の一族大守氏(おおもりし)の家宅跡。平安時代から明治まで代々大藤内(おうとうない)ー王藤内とも書くーを名乗り、備前吉備津宮(現在の吉備津彦神社)の社家頭(筆頭の神職)を継ぐ家柄。
04/16/2021 / 最終更新日時 : 04/16/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 三十番神堂ー岡山市北区尾上ー 三十番神は、神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民などを守護するとされた30柱の神々のことで。伝教大師 最澄が比叡山に祀ったのが最初とされ、鎌倉時代には盛んに信仰されるようになった。中世以降は特に日蓮宗・法華宗で重視され、法華経守護の神とされた。この三十番神堂は、尾上車山古墳の方墳部の前方近くにある。
04/16/2021 / 最終更新日時 : 04/16/2021 桃太郎 神社 尾上八幡宮 尾上八幡宮は、吉備の中山の東側に突き出した台地上に鎮座しており、南東方面の眺望に優れている。創建は永保元年(1081)で、祭神は応神天皇、神功皇后、中山主命。
04/15/2021 / 最終更新日時 : 04/16/2021 桃太郎 神社 保存樹 クスノキー尾上八幡宮境内ー 尾上八幡宮の境内にある保存樹のクスノキ。指定番号第86号・第87号の二本のクスノキがある。第86号は、推定樹齢100年、樹高20.0m、幹周1.3m、第87号は、推定樹齢150年、樹高25m、幹周1.6m、いずれも指定年月日平成18年3月31日
04/15/2021 / 最終更新日時 : 04/16/2021 桃太郎 神社 備前焼の狛犬ー尾上八幡宮ー 備前焼の狛犬ー尾上八幡宮ー狛犬は医師で作られたものが多いが、ここ尾上八幡宮の狛犬は備前焼で造られている。一方が口を開き、他方は口を閉じた「阿吽(あうん)の形をしている。備前伊部住 木村新七郎作の銘が刻まれ、江戸時代後期の作と思われる。
04/15/2021 / 最終更新日時 : 04/16/2021 桃太郎 神社 稲荷神社ー尾上八幡宮末社ー この稲荷神社は、京都の伏見稲荷大社の祭神 宇迦之御魂大神の分霊をお迎えしてお祀りしたものと考えられている。この神は伊勢神宮、外宮の祭神豊宇気比売神と同神視される神で、食物、農業、商業などに携わる多くの人々から信仰されて全国の神社の中で最も数が多いのが稲荷神社。稲荷とは稲を荷う神。
04/15/2021 / 最終更新日時 : 04/16/2021 桃太郎 神社 佐留女神社(さるめじんじゃ)ー尾上八幡宮 末社ー 佐留女神社(さるめじんじゃ)は、高天原で須佐之男命の悪戯に怒って天の岩戸に隠れた天照大神を、神々の歌に合わせておもしろおかしく踊り、天の岩戸から誘い出した天宇受売命(あまのうずめのみこと)を祀った神社。芸能の神様として崇拝されている。
04/15/2021 / 最終更新日時 : 04/16/2021 桃太郎 歴史的建造物 尾上八幡宮の土蔵ー元岡山城内石山にあった倉庫を移築再建したものー この土蔵(尾上八幡宮の倉庫として使用)は、かって岡山城内石山にあった倉庫を移築再建した建物。土蔵の棟に「岡山城内 石山倉庫之内 小倉ヲ請求シ村内 字中石 機器倉トスル。上棟者 深井永五郎」と書かれていることから証明される。
04/14/2021 / 最終更新日時 : 04/16/2021 桃太郎 神社 家形石棺の底石ー尾上八幡宮・天神様の台石の前側の石ー ここ尾上八幡宮境内に祀られている天神様の台石の前側の石は、吉備の中山の横穴式古墳石室に葬られた組合せ式家形石棺の底石を転用したものです。吉備の中山では、約30基の横穴式古墳石室が確認され、尾上の石舟古墳を含めて石棺が五個出土しているが、いずれも播磨龍山産の龍山石です。
04/11/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 福寿山 立成寺 立成寺(りゅうじょうじ)は、吉備の中山の南麓東花尻にある日蓮宗の寺院である。山号は福寿山という。旧本山は庭瀬の不変院。山門は明治維新後の廃藩置県の際に庭瀬城の表門が移築されたもので重厚な四脚門として知られる。
04/11/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 題號山 妙伝寺 吉備の中山の南麓にある日蓮宗の寺院で永禄年間の1558年頃に日戒により備前国尾上に開創された。岡山藩主池田光政の時代に行われた日蓮宗不受不施派の弾圧(寛政の法難)を逃れるため当時備中国の現在地に移転し難を逃れたという。
04/10/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 神社 神道山ー黒住教本部ー 神道山は、江戸時代後期に岡山で生まれた神道、黒住教本部のある所で、春は桜やつつじ、秋には紅葉を楽しめる自然豊かな山。また、日の出の名所としても知られており、山頂に設けられた日拝所では、正月の初日の出は勿論、毎朝日の出を迎え拝む「日拝式」が欠かさず執り行われている。
04/09/2021 / 最終更新日時 : 04/09/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 天台宗 山神山 徳寿寺 徳寿寺は十一面観世音菩薩を本尊とする天台宗の寺院。かっては備前吉備津宮(現在の吉備津彦神社)の社寺の一つで、池田光正が強行した寺社整理ー寛文6年(1666年)ーの対象からはずれた備前一宮では唯一の寺院。
04/08/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 神社 八幡宮ー花尻ー 備前国旧藩主池田家文庫本神名帳に花尻八幡宮とあり、建武年間(1334年~1336年)の勧請という。尾上車山古墳の方墳の真南に位置していることから、薬師寺慎一氏はその著ー「吉備の中山と古代吉備」吉備人出版ーの中で、八幡宮として祀られる前には、この場所で尾上車山古墳の祭りを行っていたのではないかと書いている。
04/08/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 神社 天神社ー東花尻ー 天神社ー学問の神様として知られる菅原道真を祀った神社。尾上車山古墳の円墳の真南に位置していることから、薬師寺慎一氏はその著ー「吉備の中山と古代吉備」吉備人出版ーの中で天神社として祀られる前には、ここで尾上車山古墳の祭りを行っていたのではないかと書いている。
04/08/2021 / 最終更新日時 : 04/20/2021 桃太郎 史跡 国指定史跡 尾上車山古墳 昭和昭和47年7月29日指定 尾上車山古墳ー全長138.5m、後円部径96m、同高約11m、前方部幅52m、同高9mを測る前方後円墳で、ギリギリ山古墳とも呼ばれている。吉備中山南東部、標高約五十メートルの尾根部先端に位置する。
04/06/2021 / 最終更新日時 : 04/06/2021 桃太郎 史跡 犬養木堂(毅)生家 犬養毅(木堂)は、安政2年(1855)この地に生まれた。明治23年(1890)36歳で衆議院議員に初当選し、以後、憲政擁護運動の先頭に立った。昭和6年(1931)内閣総理大臣となったが、翌年の5月15日首相官邸において兇徒に襲われ(5.15事件)「話せばわかる」の言葉を最後に志なかばにして没した。
04/06/2021 / 最終更新日時 : 04/06/2021 桃太郎 史跡 木堂塾 木堂塾ー犬養毅(木堂)は、明治元年(1868年)に父親を亡くした後、門脇の部屋で近所の子供たちに読み書きを教えていたというエピソードが残っていた。この木堂塾はこのエピソードを受けて昭和56年(1981年)に建設された。木堂塾は、文化的な学習・研究会・講座や集いなどの場として利用することが出来る。
04/05/2021 / 最終更新日時 : 04/05/2021 桃太郎 史跡 ハナノキー犬養木堂生家ー 木堂がこよなく愛したといわれるハナノキが木堂生家裏 木堂塾横、犬養木堂記念館への通路横にある。ハナノキはカエデの一種、長野・岐阜・愛知の県境地域と長野県大町市にのみ自生する雌雄異株の落葉高木でハナカエデともいわれ3月末から4月初めにかけて珍しい形の赤い花を咲かせ、秋には葉が鮮やかに紅葉または黄葉する。
04/05/2021 / 最終更新日時 : 04/06/2021 桃太郎 国指定重要文化財 国指定重要文化財(建造物)ー旧犬養家住宅ー昭和53年1月21日指定 旧犬養家住宅の主屋は18世紀前半の建築で、構造は和小屋。昭和53年(1978年)に国指定重要文化財に指定後、解体修理を行い、正徳年間(1711~1716)四代目に建て替えられた姿に復元されている。
04/05/2021 / 最終更新日時 : 04/05/2021 桃太郎 駐車場 犬養木堂生家・記念館駐車場 犬養木堂生家・記念館の駐車場は、山陽新幹線に沿って走る県道242号線を倉敷方面に走行する道路沿いにある。犬養木堂生家・記念館は、駐車場より歩いて約3分程度で途中には犬養木堂の葬られている墓地もある。
04/04/2021 / 最終更新日時 : 04/06/2021 桃太郎 博物館・資料館 犬養木堂記念館 犬養木堂記念館は、「憲政の神様」と呼ばれ、第29代総理大臣となりながら、翌昭和7年(1932年)に五・一五事件で海軍の青年将校らの凶弾に倒れた政治家犬養毅(木堂)の人柄、功績を広く顕彰する為、木堂生家(国指定重要文化財)に隣接して建設、平成5年に開館した。
04/03/2021 / 最終更新日時 : 04/06/2021 桃太郎 史跡 犬養毅(犬養木堂)の墓と顕彰碑 五・一五事件で凶弾に倒れた犬養毅(犬養木堂)の墓と顕彰碑が生家近くの先祖代々の墓地の中にある。毅の墓の左隣には政治家(法務大臣)であり小説家でもあった三男の犬養健(たける)の墓も並んで建てられている。
04/02/2021 / 最終更新日時 : 04/02/2021 桃太郎 道の駅 道の駅「山陽道やかげ宿」 令和2年6月29日に重要伝統的建造物群保存地区に指定された「矢掛宿」に令和3年3月28日、道の駅「山陽道やかげ宿」がオープン。岡山市出身の工業デザイナー水戸岡鋭治氏デザインによる黒を基調とした駅舎に白いタイルで装飾された […]