06/30/2018 / 最終更新日時 : 01/21/2020 桃太郎 旅日記 地球史研究所 地球史研究所は、国内外の地質学研究者らでつくるNPO法人により整備された民間研究機関で、赤磐市を中心に吉井川流域に分布する約3億年前~現在に至る地質より太古の川の化石である吉備層群周匝層を核とした物語を構築、瀬戸内地方初のジオパークとすることを目指し、博物館を併設した地球科学の研究・教育・普及・展示活動拠点とすることを目的としている。
06/29/2018 / 最終更新日時 : 01/11/2020 桃太郎 ジオサイト候補地 血洗の滝 落差,約20メートル、須佐之男命尊が出雲でヤマタノオロチを退治したあと、剣の血をこの滝で洗い、清水で身を清めたという伝説から「血洗の滝」の名がつけられたと伝えられている。落下する水は清冷で枯れたことがないといわれ、古くから神霊の宿るものとして、みそぎや、遥拝が行われている。
06/29/2018 / 最終更新日時 : 06/29/2018 桃太郎 郷土記念物 郷土記念物 宗形神社の社叢 吉備高原の東部、台地上に位置し、神社とそれを取り巻く社叢がうまく調和して郷土的景観を形成している。宗形神社は、三間二面流造り、桧皮葺で、「延喜式神名帳」にも載せられている由緒深い古社であり、祀神は多紀理比売命、市寸島比売命。この社叢には、アカガシ、モミが優占しており、下層にユズリハ、アオキ、ヤブツバキ、ヒサカキ、シロダモ、テイカカズラなどが生育し、この地方の原植生をよくとどめている。
06/29/2018 / 最終更新日時 : 06/29/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 宗形神社 本殿 是里 本殿は、天神山城を居城とした戦国武将浦上宗景によって永禄5年(1562)に再建されたものである。棟札によると江戸時代になって数度の屋根の改修と土台の修理が行われている。三間社流造で屋根はもと檜皮葺―現在鉄板葺―正面と側面に高欄付きの廻縁がつく。また、身舎は内陣と内々陣に分かれ、内々陣はさらい三区分される。軒を支える組物の形態や彫刻に、再建された中世末期の建築様式が残っている。
06/29/2018 / 最終更新日時 : 06/29/2018 桃太郎 県指定重要文化財 宗形神社 鳥居 鳥居は神社境内の東端にあり、高さ約3.7m、幅約4.9mをはかる石造の明神鳥居である。明神鳥居は笠木や島木の両端が反り上がる特徴をもつ、石材は凝灰岩の中でも緻密な材質のものを用い、粗いたたき仕上げとなっている。額束裏面の銘文から享徳2年(1453)に建立されたことが分かる。
06/29/2018 / 最終更新日時 : 06/29/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 宗形神社 宗形神社は、延喜式神名帳にも記載されている備前国の古社の一つで、宗形の三女神を祭っており、浦上宗景が永禄年間に再建したことが棟札に書かれている。付近には竪穴式住居の遺跡や須恵器等の埋蔵物の出土が多く、古事記に記載されている仁徳天皇と黒姫の伝説もある。
06/27/2018 / 最終更新日時 : 07/02/2018 桃太郎 神社 石上布都魂神社 日本書紀に素戔嗚尊が八岐おろちを退治した剣を奉斎したと記す古社。延喜式内社であり備前一宮として格式高い神社で、広く全国から参拝される。最近、巨大な磐座のある山頂は、パワースポットとしても人気が高まっている。。
06/26/2018 / 最終更新日時 : 06/27/2018 桃太郎 史跡 牟佐大塚古墳 牟佐大塚古墳は、総社市こうもり塚、倉敷市箭田大塚と並んで岡山県下三大巨石墳の一つに数えられている。墳丘の規模は直径約30m、高さ約8.5m、南側には横穴式石室の羨道部が開口しており、石室内に入ることが出来る。石室は花崗岩の巨石を用いた両袖式で、その規模は全国でも十指にはいる。羨道が玄室の約二倍の長さがあり、入口に向かって開く形状となっている。
06/25/2018 / 最終更新日時 : 06/25/2018 桃太郎 旅日記 石碑 神恩洪大 石碑「神恩洪大」は、倉敷市出身の大本三代教主補出口日出麿師(1897~1991)の書で、青年時代に当神社によく参詣されていた記念として建碑。師は、昭和10年の第二次大本弾圧事件で苦難に遭遇、以来神仙の境涯にあって、書画をよくし、書道家等をして、清澄にして神韻縹渺と評せしむ。また青年期の思索の著書「いきがいの探求」「生きがいの創造」「生きがいの確信」の生きがいの三部作は現代人の心の糧として広く読まれている。
06/25/2018 / 最終更新日時 : 06/25/2018 桃太郎 神社 箆取神社 創立年代は不詳、第40代天武天皇の御代、壬申の乱の頃、吉備の穴海に浮かぶ都羅之郷と呼ばれる孤島から、神官が前方の海上に箆の御神紋が顕れたので箆取大権現と名付けたとの伝説がある。春は桜、ツツジ、秋は紅葉の見所でもある。
06/24/2018 / 最終更新日時 : 07/10/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 矢上山 宝嶋寺 Sponsored Link 宝嶋寺は平安時代初期の貞観元年(859)に理源大師により創建され多くの塔頭や末寺を有する大寺であったが、慶長年間(1596~1615)に殆んど焼失し、その後江戸時代中期の名僧寂厳(じゃくごん […]
06/23/2018 / 最終更新日時 : 06/23/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 聖運寺 真如院 宝嶋寺の塔頭の一つとして、宝嶋寺を開創した理源大師聖宝により、宝嶋寺建立の平安時代前期の貞観元年(859)もしくはその数年後の間に創建。本尊は、十一面観世音菩薩で病気平癒、安産、癇の虫封じに霊験あらたかな寺。
06/23/2018 / 最終更新日時 : 06/23/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 円海山 観音寺 慈眼院 矢上山 宝嶋寺の塔頭の一つ。貞観元年(859)、宝嶋寺創建と同時に塔頭寺院の一つとして円海坊という名で開創、その後貞享年間(1684~1688)に円海法印によって慈眼院と改称されている。高野山 真言宗の寺院で本尊は如意輪観世音菩薩。
06/23/2018 / 最終更新日時 : 06/23/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 宝嶋寺 仁王門 平安時代初期に創建された宝嶋寺の仁王門。室町時代初期に建てられ、寺域の殆んどの建物が焼失した慶長の大火でも難を逃れたもので、木部をすべて丹塗りにした素朴で落ち着きのあるたたずまいをしている。昭和59年度に解体復元修理が、平成28年度に塗装修理が行われている。
06/21/2018 / 最終更新日時 : 06/21/2018 桃太郎 大学 倉敷芸術科学大学 学校法人加計学園が岡山理科大学に次いで平成7年に開学した大学で、現在は、芸術学部(メディア映像学科、デザイン芸術学科)、生命科学部(生命科学科、健康科学科、動物生命科学科、生命医科学科)、危機管理学部(危機管理学科)の3つの学部を設置している。
06/21/2018 / 最終更新日時 : 06/21/2018 桃太郎 グルメ ヘルスピア倉敷 アイススケートリンク、屋外レジャープール、フィットネスルーム、テニスコートなどの運動施設に加えてラドン温泉施設、レストラン、パーティルーム、スポーツスクール、鍼灸ケアセンターなどを備えた、健康をテーマに運動、食事、癒し、学びを複合的に体験できる施設。
06/20/2018 / 最終更新日時 : 03/17/2021 桃太郎 花の見所ーサクラー 足高公園ー足高山ー 倉敷笹沖の国道2号線沿いにある小高い丘。かっては吉備の穴海に浮かぶ小島でその頃から山上には足高神社が祀られていた。神社の両脇に自由広場や遊戯広場が設けられており山上一帯には約300本のソメイヨシノやオオシマザクラなどが植えられ桜の名所としても知られている。
06/20/2018 / 最終更新日時 : 06/20/2018 桃太郎 神社 足高神社ー帆下げの宮ー 国道2号線沿い、倉敷市笹沖の小高い丘の上にある神社。室町時代までは吉備の穴海に浮かぶ小島で周囲に葦が茂っていたことから「葦高神社」と呼ばれていた。この付近は東西航路の要衝であったが潮流の動きが激しく通る船はすべて帆を下げて山の神に敬意を表し危難を逸れた為帆下げの宮とも呼ばれていた。
06/19/2018 / 最終更新日時 : 06/19/2018 桃太郎 城跡 城山稲荷神社ー倉敷城跡ー この付近は、戦国時代まで小野城という砦があった所。この城山稲荷神社は、明応2年(1493)に当時の城主小野好信が伏見稲荷を勧請して祠ったのが始まりで、元和5年(1619)になって城山稲荷大明神と命名され、江戸時代を通じて霊験あらたかな神としてこの地の人々の信仰を集めた。
06/19/2018 / 最終更新日時 : 06/19/2018 桃太郎 コンサートホール アイビースクエア フローラルコート 大正時代の建物を改造した、貸切気分で利用できる広々とした空間を有する趣きのある多目的ホール。パーティや展示会、発表会、ディナーショー、会議など多目的に使用可能。
06/19/2018 / 最終更新日時 : 06/19/2018 桃太郎 グルメ 武野屋ートラットリア自家製蕎麦ー 倉敷美観地区入口から徒歩3分ほどの、広い屋敷内にある和風レストランで自家製の和蕎麦をトラットリアスタイルで楽しめる店。同じ敷地内には隣接して和風料理店もあり。
06/19/2018 / 最終更新日時 : 06/19/2018 桃太郎 グルメ 蔵 Pura 和膳 風 倉敷美観地区入口からほど近い、和風の落ち着いた空間で庭を眺めながらちらし寿司、刺身、天ぷらなどの和食をいただける旅館風の和風料理店。ささざまの大きさの個室があり家族やグループでの会食も楽しめます。隣接してトラットリア自家製蕎麦店もあり。
06/18/2018 / 最終更新日時 : 06/19/2018 桃太郎 グルメ 茶屋 大橋ー100円ソフトクリームー 倉敷中央通り、倉敷美観地区入口の少し南、倉敷国際ホテルの正面付近の酒屋さんになんと!クレープ・かき氷、100円ソフトクリームの看板。バニラ・抹茶ミックスを買ってみたら結構美味しい。以後倉敷美観地区を訪れるたびに立ち寄っています。
06/18/2018 / 最終更新日時 : 06/18/2018 桃太郎 旅日記 クラシキ クラフト ワーク ビレッジーKurashiki-Craft-Work-Villageー 倉敷美観地区内にある、国の重要伝統的建造物群保存地区の町家を改築、製作見学や製造体験が行える工房付きの店舗を整備して、地元素材を使ったオーダーメイドクラフト製品の製造・販売を行っている。倉敷の町家の中の様子も楽しめます。
06/17/2018 / 最終更新日時 : 06/18/2018 桃太郎 旅日記 倉敷デニムストリート 国産デニム発祥の地、児島産のデニムを使用したジーンズやバッグ、小物などの雑貨商品にこだわって販売している。店頭では、デニム色と称して青系の色のソフトクリームや、バーガー、まんじゅう、飲み物などが人気。
06/17/2018 / 最終更新日時 : 06/17/2018 桃太郎 行事・イベント 倉敷千歳楽 阿智神社の祭礼に合わせて行われる太鼓神輿で、江戸中期頃盛んであったと言われている。昭和47年に有志が保存会組織を作り、その灯をつないでいる。この太鼓神輿は、春のハートランド倉敷(5月)、夏の倉敷天領夏祭り(7月)でも繰り出し祭りを盛り上げている。
06/17/2018 / 最終更新日時 : 06/17/2018 桃太郎 行事・イベント 倉敷屏風祭 倉敷の美観地区を見おろす鶴形山の阿智神社の秋の祭礼は、昔から別名「屏風祭」との呼ばれ、神社下の町家が各家の屏風を飾り、花を活けて人々をもてなしたと言われている。倉敷の街興しのために、2002年に再興され、阿智神社の秋祭りに合わせて10月20日前後の土曜、日曜に行われている。
06/16/2018 / 最終更新日時 : 06/17/2018 桃太郎 行事・イベント 倉敷雛めぐり 毎年3月の雛まつりの前後に、倉敷市内の観光スポット、商店街、ギャラリー、旅館・ホテルや公的な施設など約400ヶ所で雛飾りが行われる「倉敷雛めぐり」が開かれる。江戸時代から現代まで各地の各家に残る様々な雛人形が飾られます。
06/15/2018 / 最終更新日時 : 06/16/2018 桃太郎 行事・イベント 素隠居 素隠居とは、阿智神社のお祭りの御神幸の獅子に付き添う、じじ・ばばの面をかむった若者のこと。その由来は元禄時代、神輿の行列が町内を巡る神事(御神幸)に戎町では雌雄の獅子を出してそれに沢屋のじいさん、ばあさんが付き添っていた。その後足が弱った沢屋のじいさんがじじ・ばばの面を作らせ若者にかむらせて代わりをさせたのが始まり。明治時代になってこれが他の町内にも広がり、昭和の初期になって素隠居またはらっきょう(面の形が似ている為)と呼ばれだした。うちわでたたかれると元気で賢くなるという言い伝えがある。
06/14/2018 / 最終更新日時 : 07/07/2018 桃太郎 旅日記 秦原の郷ー古代吉備国発祥之地ー 高梁川が秋葉山にぶつかって大きく南に迂回、広い開口部に噴き出すところの内側にできた平地とその西方にある正木山、城山(荒平山)を含む地域。平地の中心部近くには岡山県下で最も古い寺跡とされる秦原廃寺跡があり、渡来人の秦氏が治めていた地域で吉備の国発祥の地との説もある。それを裏付けるかのように西方城山の丘陵からは60基を越える古墳が発見されている。
06/13/2018 / 最終更新日時 : 06/13/2018 桃太郎 花の見所ーサクラー 金子大池の桜並木 サントピア岡山総社の南にある灌漑用水の池。堤防には桜並木が植えられており、丘の上にはサントピア岡山総社を眺めることが出来る。秦の郷案内用のパンフレットによれば金子池は昔、唐人池または韓人池と呼ばれ、今は訛って金子池(かなごいけ)と呼ばれているとか。
06/13/2018 / 最終更新日時 : 06/15/2018 桃太郎 神社 秦八幡神社 八幡神社は八幡大菩薩とも呼ばれ武家の守護神として幕府や地方領主により保護され、神仏習合の祈祷寺として全国に祀られてきた。当八幡神社は、かって正木山を望む、現サントピア岡山総社のプール付近にあったが、元禄7年(1694)現在の地に遷座したものと思われる。
06/12/2018 / 最終更新日時 : 06/12/2018 桃太郎 史跡 金子石塔塚古墳 Sponsored Link 金子石塔塚古墳は奥場古墳群の一角にある円墳で、古墳時代後期(6世紀後半)の築造と考えられており、奥場2号墳とも呼ばれている。石棺は家の形をしており、材質は井原市浪形で産出する貝殻石灰岩(浪形 […]
06/12/2018 / 最終更新日時 : 06/12/2018 桃太郎 神社 秦天神社 Sponsored Link 学問の神様として崇められてきた菅原道真を祀った神社。境内右手の地中には秦廃寺の瓦の窯跡がある。左手の手水鉢は高梁市有漢町保月にある市指定文化財の保月山二重の塔の塔心部分と伝えられている。 名 […]
06/11/2018 / 最終更新日時 : 07/07/2018 桃太郎 史跡 秦大ぐろ古墳 総社市秦のサントピア岡山総社敷地内も含めてその周辺に点在する金子古墳群の一つ。サントピア岡山総社南部の山林にある4世紀前半に築造されたと推測される前方後円墳で、金子10号墳とも呼ばれている。前方部を北西に向けた前方後円墳で全長は約61mと、サントピア北方尾根にある前方後方墳の一丁ぐろ1号墳の約70m、茶臼嶽古墳の約65mに次ぐ大きさ。
06/10/2018 / 最終更新日時 : 06/10/2018 桃太郎 展望の良い所 秦パノラマ展望台ー城山ー 石畳神社への参道脇に秦パノラマ展望台登山口との表示があり、前回石畳神社を訪れた時に一度登ってみたいと思っていた所。城山(荒平山城跡)山頂からの眺望に比べれば展望できる範囲も限られているが、城山山頂まで行く時間が無い場合にはこの展望台まで登ってみるのも一法。
06/10/2018 / 最終更新日時 : 06/12/2018 桃太郎 城跡 荒平山城跡からの眺望 飛鳥時代に創建された岡山県最古の寺院秦廃寺で知られた総社市秦地区の西に横たわる城山(標高約191m 荒平山城跡)からの眺望。そこから見えるのは、中国山地に源を発し吉備高原を侵食しながら流下、突如広がる開口部に流れ出た高梁 […]
06/09/2018 / 最終更新日時 : 06/10/2018 桃太郎 城跡 荒平山城跡の縄張ー城郭配置ー 川西氏の城とされる荒平山城跡は連郭式の山城跡でその縄張は北から南に向かって一ノ壇、二ノ壇、三ノ壇、四ノ壇、五ノ壇、七ノ壇と並んでおり六ノ壇は五の壇付近の西側にある。七ノ壇の南側は深い堀切となっており南から尾根伝いに侵入してくる敵の侵入を防ぐようになっている。
06/09/2018 / 最終更新日時 : 06/12/2018 桃太郎 城跡 荒平山城跡 荒平山城跡は、総社市秦の西部に横たわる城山(標高約191m)の山頂に永享年間(1429~1440)に地元の豪族川西氏によって築かれた山城跡。天正年間(1573~1585)の備中兵乱期、川西氏が三村氏に味方したため、天正3年(1575)に毛利方の小早川隆景に攻められ、城主川西是之秀は城兵の助命を条件に降伏、開城し、讃岐へ落ちのびた。
06/09/2018 / 最終更新日時 : 06/09/2018 桃太郎 神社 金刀比羅神社ー総社市秦ー 讃岐の金刀比羅宮で良く知られた海上安全の神様が何故この様に山奥にあるのだろう?戦国時代頃までは酒津付近まで海だったというからその頃には既に祀られていたのか。それとも高梁川の河川交通の安全を祈ったものか?境内からは総社方面の眺望が開けている。
06/08/2018 / 最終更新日時 : 06/08/2018 桃太郎 史跡 茶臼嶽古墳 総社市秦の西部にある城山からサントピア岡山総社方面に延びる尾根の内、茶臼嶽に位置する全長約65m、幅38mの前方後方墳(大きさについては諸説あり)。出土した土器などから3世紀後半頃に造られたものと推測されている。地元の人から古墳ではないかとの指摘により発掘調査の結果判明。
06/08/2018 / 最終更新日時 : 06/08/2018 桃太郎 史跡 一丁ぐろ古墳群 一丁ぐろ古墳群は、総社市秦の西側に横たわる城山の南嶺に沿って4世紀前半から7世紀後半にかけて断続的に築かれた古墳群で現在発見されているだけでも33基におよんでいる。中でも1号墳は全長70mにも及ぶ前方後方墳で、発掘された埴輪などから4世紀前半に築造されたものと推定されている。
06/06/2018 / 最終更新日時 : 06/07/2018 桃太郎 史跡 宇喜多堤起点之地碑 戦国時代末期、戦国大名宇喜多秀家が児島湾干拓の端緒を開いた所。秀家はここ多聞ヶ鼻を起点として倉敷の向山の宮崎へ至る堤と、当時は高梁川の河口であった酒津から向山に至る堤を築くことを命じて早島と向山周辺に広大な大地を生み出し、以後400年にわたる児島湾干拓が始まった。
06/06/2018 / 最終更新日時 : 06/07/2018 桃太郎 神社 龍神社ー早島ー 延享元年(1744)領主戸川氏が和多都美神を近郷三ヶ村の水神として 小高い丘の上に奉祭したのが始まり。現在は県道152号線脇の数段高い広場の奥に進雄神社(境内神社)、鶴崎神社の御旅所と並んで祀られている。
06/05/2018 / 最終更新日時 : 06/06/2018 桃太郎 史跡 南山明地古墳群ー南山明地2~4号墳ー 小田川合流点付替え事業での南山城跡発掘調査において、南山城跡西側の尾根上に古墳時代の古墳3基ー南山明地2~4号墳ーが並んで築かれているのが見つかった。どの古墳にも周りに円形の溝が掘られており、4号墳では二つの埋葬施設が、2号墳、3号墳には一つの埋葬施設が見つかっている。築造時期は古墳時代前期後半~古墳時代中期前半と考えられている。
06/05/2018 / 最終更新日時 : 06/06/2018 桃太郎 史跡 南山明地遺跡 小田川合流地点付替え事業における発掘調査で南山城跡西側の丘陵の南斜面で弥生時代中期の竪穴住居や土坑(大きな穴)が見つかると共に弥生土器や石器が出土。北風を防げる南斜面に弥生時代の集落が広がっていたことが推測される。2018年5月25日の小田川合流点付替え事業、南山城跡現地説明会に参加し取材した情報です。
06/04/2018 / 最終更新日時 : 06/06/2018 桃太郎 城跡 南山城跡ー倉敷市ー 南山城跡は、戦国時代(約440年前)に毛利軍が築いた城跡。高梁川と小田川との合流点に位置、北方には中世の山陽道が通り、当時は高梁川が瀬戸内海へ流出する河口近くでもあったことから、陸、河川、海上交通の要衝に築かれた城であったと考えられている。