玉島町並み保存地区
玉島町並み保存地区は、新町、仲買町、矢出町の3地区からなり、かっての堤防上の通路の両脇には虫籠窓や格子、漆喰壁やなまこ壁を持つ本瓦葺きの商家や土蔵が数多く残されている。
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これらの伝統的な町並みと背後の山の緑や水辺景観と一体となった優れた歴史的景観を保存していく目的で、平成7年(1995年)に岡山県により倉敷市玉島地区の町並み保存地区として指定され、また、平成29年(2017年)4月28日には日本遺産の構成文化財に認定された。
歴史ー玉島はかつては瀬戸内海に点在する小さな島々であった。江戸時代になると備中松山藩により新田開発の為の堤防が築かれると共に瀬戸内海を行き来する北前船や高梁川の高瀬舟による水運を利用した物資が集散する港町となり、堤防上には、商家や土蔵が次々と建設され繁栄していった。
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玉島は瀬戸内海に浮かぶ小さな島々の集まりであった。江戸時代松山藩の新田開発に伴い羽黒神社西側の潮止堤防上に造られた「新町通り」には虫籠窓やなまこ壁の商家や土蔵が今に数多く残され優れた歴史的景観を呈している。
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仲買町は、円通寺参道の鳥居から里見川に沿って北に延びる町で、酒や味噌の醸造場、徳川時代から続く紙問屋の蔵、稲作や綿作に使われた北海道の「にしんかす」などを運んだ廻船問屋などが今も軒を連ねている。
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旧柚木家住宅は、新町通りから運河を隔てた対岸山麓の矢出町にあり、江戸中期の庄屋建築の遺構を良く残している西爽亭部分と、旧主屋部分を改修した生涯学習施設から成っている。
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