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吉備路ー鬼ノ城よりー

総社市は、岡山県中南部、吉備高原が岡山平野に移行する付近に位置する町で、市街の西部を高梁川が南北に流れ、この川によって運ばれてきた土砂による肥沃な平野が開けている。

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Google Mapー倉敷・総社・玉野市内ホテル・旅館案内地図ー

昔話「桃太郎」の発祥となった温羅伝説の舞台「吉備路」は、この総社市から岡山市西部にかけての地域を言い、古代、大和、出雲や北九州にも劣らぬ勢力を誇っていた吉備国の中心として、温羅伝説にまつわる旧跡や地名が数多く残っている。

また、雪舟が修行した寺として知られる「井山宝福寺」、吉備路を象徴する風景を造り出している備中国分寺五重塔」、全国第9位の作山古墳(すぐ東の岡山市側には全国第4位の規模を誇る造山古墳がある)、奇岩絶壁の間を清流が流れ、春の新緑、秋の紅葉が美しい名勝「豪渓」など訪れる所は多い。

南部倉敷市との境界には、南北朝初期の延元元(1336)年、南朝方の新田義貞の武将大井田氏経の軍勢と北朝方の足利尊氏の弟、直義の軍勢が死闘を繰り返した福山合戦の舞台福山(標高302m)を最高峰とする山系が東西に走っている。

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総社市-市役所 TEL 0866-92-8200 〒719-1192 岡山県総社市中央1-1-1
人口 68,209 うち65歳以上人口 18,685人(27,4%) 世帯数 26,486世帯 総面積 211.90㎢

主な見所

吉備路エリアー総社地区内ー備中国分寺こうもり塚古墳備中国分尼寺跡総社吉備路文化館作山古墳備中総社宮雪舟誕生地碑鬼ノ城吉備路自転車道温羅伝説ー桃太郎伝説ー、乳神さま(軽部神社)ー

その他総社市内宝福寺湛井十二ヶ郷用水井神社・兼康神社石畳神社秦廃寺福山城跡秋葉山国民宿舎サンロード吉備路サントピア岡山総社秦原の郷

祭り、イベント-れんげまつり(4月)、雪舟フェスタ(8月)、赤米フェスタ(9月)、宝福寺ライトアップ(11月)、備中国分寺五重塔ライトアップ、SOJAイルミネーション(12月)、そうじゃ吉備路マラソン(2月)

名物・特産-桃、ぶどう、千両ナス、セロリ、いちご、玉どうふ、赤米、きびみどり

市の木-もみじ、市の花-れんげ、市の鳥-タンチョウ

沿革
平成17(2005)年3月22日 総社市、都窪郡山手村、清音村が合併。

湛井堰ー高梁川合同堰ー

湛井堰

湛井十二ヶ郷用水

国道180号線より宝福寺へ入る道路から高梁川方面を見ると真横に大きな井堰が見える。この井堰は平安時代末期の平氏の武将妹尾太郎兼康により改修されたと伝えられており十二箇郷六十八ヶ村(現三市)の約5,000haの田畑を潤してきた。

井神社・兼康神社参道

井神社・兼康神社参道

井神社・兼康神社

湛井堰から北方、権現山の山腹、湛井堰を見下ろす所には、井神社と平安末期に湛井堰を改修妹尾兼康を祀った神社が建てられている。この地域は吉備国の中でも農業用の灌漑用水の水源として非常に重要な位置を占めていた所である。

仏殿ー井山宝福寺ー

仏殿

井山宝福寺

高梁川が大きく迂回した所、秋葉山のふもとにあるこの臨済宗東福寺派の禅寺は、画聖雪舟が幼い頃この寺で修行してねずみの絵を描いたエピソードで有名。妻側に入口のある妻入りの庫裡と朱色優美な姿の三重塔が印象的。

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石畳神社ご神体

石畳神社ご神体

石畳神社

高梁川湛井堰の上流、JR豪渓駅を過ぎ国道180号線を左にそれて新豪渓秦橋を渡っていると対岸下流側に異様に大きな石柱が突っ立っているのが見る。これが万葉集にも詠われているという石畳神社の御神体の磐座で、古来より信仰されてきた。

心礎ー秦廃寺ー

心礎

秦廃寺

高梁川の右岸、総社秦地区にある飛鳥時代に創建された岡山県最古の寺院で秦氏の氏寺とも云われている。心礎が残っているのみであるが、様々の調査結果や歴史書を読みながら当時のこの秦の地の様子を想像するのも楽しいもの。

高梁川ー秋葉山よりー

高梁川

秋葉山

jr総社駅から井山宝福寺を経由でjr豪渓駅へ抜ける登山の山として親しまれている標高247.4mの秋葉山。山頂からの眺めは素晴らしく備中平野をゆるやかに流れ下る高梁川や瀬戸内海、良く晴れた日には四国の山々を見わたすことが出来る。

サンロード吉備路

サンロード吉備路

国民宿舎 サンロード吉備路

吉備路の中央備中国分寺等に近く、山陽自動車道倉敷ICと国道180号線を結ぶ国道429号線沿いの交通至便な所にある。日帰入浴施設の吉備路温泉、産直市場、レストラン、カフェ、バーベキューコーナー等も併設しており日帰りでも楽しめる。

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サントピア岡山総社

サントピア岡山総社

高梁川右岸の小高い丘の上にある、民間保養施設で眼下の高梁川から総社市街方面の眺望は最高。幼い頃の雪舟が修行しねずみの絵を描いたと伝わる井山宝福寺から備中国分寺、鬼城山、吉備津神社などのある「吉備路」訪問の基地として好適。

福山城跡

福山城跡

福山城跡

新田義貞と足利尊氏の対立による南北朝時代の端緒となった備中福山合戦の地。麓には清音ふるさとふれあい広場や古墳群があり散策路も整備。山頂や幸山城跡からは総社市内は勿論真備町方面、良く晴れた日には大山方面まで望むことが出来る。

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秦の郷

秦の郷

秦原の郷

中国山地に源を発し、吉備高原を侵食しつつ流下してきた高梁川が秋葉山にぶつかって大きく南に迂回、広い開口部に噴き出すところの内側にできた平地とその西方にある正木山、城山(荒平山)を含む地域。平地の中心部近くには岡山県下で最も古い寺、秦原廃寺跡がある。

一丁ぐろ古墳群1号墳

一丁ぐろ古墳群1号墳

一丁ぐろ古墳群

城山の南嶺に沿い4世紀前半から7世紀後半にかけて断続的に築かれた33基(既発見分)の古墳群。中でも1号墳は全長70mにも及ぶ前方後方墳で斜面には葺石がめぐらされており、発掘埴輪などから、4世紀前半に築造されたものと推定されている。

荒平山城跡

荒平山城跡

荒平山城跡

城山の山頂に永享年間(1429~1440)に地元の豪族川西氏によって築かれた山城跡。川西氏が三村氏に味方したため、天正3年(1575)に毛利方の小早川隆景に攻められ、城主川西是之秀は城兵の助命を条件に降伏、開城し、讃岐へ落ちのびた。