秦原の郷ー古代吉備国発祥之地ー

秦の郷パノラマ

秦の郷パノラマ

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中国山地に源を発し、吉備高原を侵食しながら流下してきた高梁川が秋葉山にぶつかって大きく南に迂回、広い開口部に噴き出すところの内側にできた平地とその西方にある正木山、城山(荒平山)を含む地域。平地の中心部近くには岡山県下で最も古い寺跡とされる秦原廃寺跡があり、渡来人の秦氏が治めていた地域で吉備の国発祥の地との説もある。それを裏付けるかのように西方城山の丘陵からは60基を越える古墳が発見されている。

心礎ー秦廃寺ー

心礎ー秦廃寺ー

秦廃寺

高梁川の右岸、総社秦地区にある飛鳥時代に創建された岡山県最古の寺院で秦氏の氏寺とも云われている。心礎が残っているのみであるが、様々の調査結果や歴史書を読みながら当時のこの秦の地の様子を想像するのも楽しいもの。

サントピア岡山総社

サントピア岡山総社

サントピア岡山総社

総社秦地区西方の丘にある、民間保養施設で眼下の秦地区から総社市街方面の眺望は最高。地元秦地区は勿論、幼い頃の雪舟が修行したと伝わる井山宝福寺から備中国分寺、鬼城山、吉備津神社などのある「吉備路」訪問の基地として好適。

一丁ぐろ古墳群1号墳

一丁ぐろ古墳群1号墳

一丁ぐろ古墳群

城山の南嶺に沿い4世紀前半から7世紀後半にかけて断続的に築かれた33基(既発見分)の古墳群。中でも1号墳は全長70mにも及ぶ前方後方墳で斜面には葺石がめぐらされており、発掘埴輪などから、4世紀前半に築造されたものと推定されている。

二ノ壇ー荒平山城跡ー

二ノ壇

荒平山城跡

城山の山頂に永享年間(1429~1440)に地元の豪族川西氏によって築かれた山城跡。川西氏が三村氏に味方したため、天正3年(1575)に毛利方の小早川隆景に攻められ、城主川西是之秀は城兵の助命を条件に降伏、開城し、讃岐へ落ちのびた。

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石畳神社

石畳神社

石畳神社

高梁川湛井堰の上流、国道180号線を左にそれて新豪渓秦橋を渡っていると対岸の下流側に異様に大きな石柱が突っ立っているのが見える。これが万葉集にも詠われているという石畳神社の御神体の磐座で、古来より信仰されてきた。

湛井堰ー高梁川合同堰ー

湛井堰

湛井堰

国道180号線より宝福寺へ入る道路から高梁川方面を見ると真横に大きな井堰が見える。この井堰は平安時代末期の平氏の武将妹尾太郎兼康により改修されたと伝えられており十二箇郷六十八ヶ村(現三市)の約5,000haの田畑を潤してきた。

秦大ぐろ古墳

秦大ぐろ古墳

秦大ぐろ古墳

サントピア岡山総社敷地内とその周辺に点在する金子古墳群の一つ。4世紀前半に築造されたと推測される前方後円墳で、金子10号墳とも呼ばれている。全長は約61mと、一丁ぐろ1号墳の約70m、茶臼嶽古墳の約65mに次ぐ大きさ。

秦茶臼嶽古墳

秦茶臼嶽古墳

茶臼嶽古墳

城山からサントピア岡山総社方面に延びる尾根の内、茶臼嶽に位置する全長約65m、幅38mの前方後方墳。出土した土器などから3世紀後半頃に造られたものと推測されている。地元の人から古墳ではないかとの指摘により発掘調査の結果判明。

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金刀比羅神社拝殿

金刀比羅神社拝殿

金刀比羅神社

海上安全の神様が何故この様に山奥にあるのだろう?戦国時代頃までは酒津付近まで海だったというからその頃には既に祀られていたのか。それとも高梁川の河川交通の安全を祈ったものか?境内からは総社方面の眺望が開けている。

秦天神社

秦天神社

秦天神社

学問の神様として崇められてきた菅原道真を祀った神社。境内右手の地中には秦廃寺の瓦の窯跡がある。左手の手水鉢は高梁市有漢町保月にある市指定文化財の保月山二重の塔の塔心部分と伝えられている。

金子石塔塚古墳

金子石塔塚古墳

金子石塔塚古墳

奥場古墳群の一角にある円墳で、古墳時代後期(6世紀後半)の築造と考えられ奥場2号墳とも呼ばれている。石棺は家の形をしており、材質は井原市浪形で産出する貝殻石灰岩である。副葬品などから相当地位の高い人が葬られていたと思われる。

金子大池の桜並木

金子大池の桜並木

金子大池の桜並木

サントピア岡山総社の南にある灌漑用水の池。堤防には桜並木が植えられており、サントピア岡山総社を眺められる。秦の郷案内のパンフレットによれば金子池は昔、唐人池または韓人池と呼ばれ、今は訛って金子池(かなごいけ)と呼ばれているとか。

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秦八幡神社

秦八幡神社

秦八幡神社

八幡大菩薩とも呼ばれ武家の守護神として幕府や地方領主により保護、神仏習合の祈祷寺として全国に祀られてきた。当八幡神社はかって現サントピア岡山総社のプール付近にあったが、元禄7年(1694)現在の地に遷座したものと思われる。

パノラマ展望台

パノラマ展望台

秦パノラマ展望台

石畳神社への参道脇に秦パノラマ展望台登山口との表示があり一度登ってみたいと思っていた所。城山山頂からの眺望に比べれば展望できる範囲も限られているが、城山山頂まで行く時間が無い場合にはこの展望台まで登ってみるのも一法。

 

姫社神社 参道

姫社神社 参道

姫社神社

応神天皇の代、新羅の王子天之日矛の妻、阿加流比売が王子に罵られて日本に逃げて帰ってしまった。王子も妻を追って日本に渡来し製鉄の技術を持った家来たちによりこの地方に製鉄技術が広まり、阿加流比売は製鉄の神ー比買碁曾神ーとして姫社神社に祀られている。

 

古代吉備国発祥之地碑

古代吉備国発祥之地碑

この石碑はサントピア岡山総社のプール横、秦大ぐろ古墳へ行く道の左側に建てられています。近くには、三角縁神獣鏡出土地、神宮寺跡の標識があります。

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